ss07

自治体FM物語外伝 › 第7話
外伝 第7話

与条件

この話の公開状況
状態

← 外伝 目次に戻る

来島礼子が独立して、三年が過ぎていた。

コンサルタントとしての評価は、固まり始めていた。

住民の声を聞き、暮らしの実感から答えを組み立てる。

制度や数字から出発するのではなく、そこで暮らす人が何を必要としているのかを確かめ、その実現方法を設計する。

そうした仕事の進め方が、来島の名前と結びつくようになっていた。

その自治体から依頼が来たのは、夏の終わりだった。

人口減少が続く町で、公共施設の再編が課題になっている。来島に求められたのは、住民との対話を通じて、廃止される施設の機能移転や代替案を設計することだった。

依頼内容の説明を受けている途中、自治体の担当者が、もう一人の専門家の名前を口にした。

「法令と財政の面については、別の専門家にも入っていただいています。RFSCの津久見さんという方です」

「存じています。お会いしたことはありませんが」

来島はそう答えた。

名前だけは聞いていた。

法令と財政の知識を使い、自治体が抱える難しい案件を、明確な選択肢へ整理していく人物だという。

会う必要はない、と来島は思った。

自分は住民の声を聞き、自分の専門性で答えを作る。

津久見は別の場所で、法と数字による答えを作る。

それぞれが、自分の領域で最善を尽くす。

最後に行政が両者の成果を受け取り、一つの方針としてまとめる。

そうなっているはずだった。

確認はしなかった。

確認する必要があるとも、思っていなかった。

来島の仕事は、いつも現場から始まる。

町を歩き、施設を見て、そこで暮らす人の話を聞く。

高齢者。

商店主。

子育て世代。

施設がなくなることへの不安。

今の暮らしの中で、何を大切にしているのか。

何なら変えられるのか。

何だけは、失いたくないのか。

来島は、答えを急がず、一人ひとりの言葉を拾っていった。

対話を重ねるうちに、少しずつ輪郭が見えてきた。

施設という「ハコ」を残すことにこだわる必要はない。

そこで営まれていた機能を、町の別の場所へ移せばいい。

図書の機能は、商店街の空き店舗へ移す。

子どもの居場所は、既存の公民館の一角へ設ける。

高齢者の集まりは、福祉施設の共有スペースと組み合わせる。

一つの建物へ集められていた機能を、町の中へ分散させる。

来島は、その設計図を頭の中で組み立て始めていた。

ある日、自治体の担当者から尋ねられた。

「津久見さんの案とは、すり合わせていますか」

来島は、ほとんど考えずに答えた。

「そこは、行政側で調整されることだと思っています」

自分の役割は、住民の声から代替案を作ることだ。

その案を誰が受け取り、津久見の案とどう並べ、最終的に誰が一つの方針へまとめるのか。

それは、行政の仕事だと考えていた。

担当者は、

「分かりました」

と答えた。

聞かれたことには答えた。

伝わったのだろうと、来島は思った。

誰が調整するのかを、確認することはなかった。

公民館の一室で、来島はヒアリングを続けていた。

その日の相手は、小学生の子どもを二人育てている母親だった。

「施設がなくなるのは、仕方がないのかもしれません」

母親は、膝の上に置いた両手を見ながら言った。

「でも、子どもたちが集まる場所だけは、残してほしいんです。新しく建てる予算は、ないんですよね」

来島は迷わず答えた。

「それは、設計で実現できます」

母親が顔を上げた。

来島は続けた。

「新しい建物を造る必要はありません。今ある公民館の一角を使えばいい。利用時間を分ける方法もありますし、管理する人の役割を整理すれば、子どもたちの居場所として使えます」

「本当にできますか」

「できます。条件を整理してみます」

母親の表情が、少し明るくなった。

来島がよく口にする、

「それは、設計で実現できます」

という言葉には、二つの意味があった。

一つは、自分自身への約束だった。

難しいからといって、最初から不可能だと決めつけない。

もう一つは、相手の期待を引き出すための言葉だった。

実現できる可能性があると思えなければ、人は本当に望んでいることを口にしない。

だから、まずできると伝える。

その後で、必要な条件を探す。

それが来島の方法だった。

数日後、庁舎の会議室で、来島と津久見は初めて顔を合わせた。

来島が打ち合わせを終えて退出しようとしたところへ、津久見が入ってきた。

「来島さんですか」

「津久見さんですね。お話は伺っています」

短い挨拶を交わした。

津久見は、来島が想像していたより若く見えた。話し方に無駄がなく、挨拶の間にも、机に並べられた資料へ視線を向けている。

会話が終わりかけた時、来島の携帯電話が鳴った。

「失礼します」

来島は少し離れて電話に出た。

「はい。ええ、その件ですね。それは設計で実現できます。少し時間をください」

電話を切ると、津久見が聞いた。

「いつも、そう言うんですか」

「何をですか」

「設計で実現できる、と」

「言ってしまいますね。つい」

来島は少し笑った。

津久見は、数日前、施設の構造や設備の状態を確認している途中に、廊下の先から聞こえてきた声を思い出していた。

迷いのない、力強い声だった。

自分なら、先に制約を確認する。

予算。

法令。

所管。

前例。

実施主体。

それらを一つずつ整理してから、ようやく可能性を口にする。

目の前の人物は、実現できるという地点から話を始めている。

あの声は、この人だったのか。

「迷いがないですね」

津久見が言った。

「そう見えますか」

「ええ」

「迷っていないわけではありません。できる方法を探すと、先に決めているだけです」

津久見は、それ以上聞かなかった。

来島も、津久見がどのような案を作っているのかは尋ねなかった。

自分たちは、別の仕事をしている。

その時は、二人ともそう考えていた。

住民説明会の日が来た。

会場の前方に、二種類の資料が並べられていた。

一つは、来島が作成した機能移転の案。

もう一つは、津久見が作成した施設統廃合の案だった。

来島は、その場で初めて、二つの案が同時に配布されることを知った。

自分の案は、単独の答えとして提示されるものだと思っていた。

施設を廃止した後も、暮らしの中に必要な機能を残すための案として、住民へ説明されるはずだった。

だが、目の前では、津久見の案と並べられていた。

二つは、前提が違っていた。

津久見の案は、財政負担と法的条件から、維持できる施設と廃止すべき施設を分類していた。

来島の案は、住民が必要とする機能を起点に、施設の枠を越えて代替方法を組み立てていた。

対立する案ではない。

本来なら、組み合わせることもできる。

だが、その関係は、資料のどこにも示されていなかった。

住民がざわつき始めた。

「結局、どっちなんだ」

「施設を減らすのか、別の場所で続けるのか、どちらなんだ」

「二つも案を出されても、俺たちには選べない」

自治会長らしい年配の男性が立ち上がった。

「あんたたちは、それぞれ好きなことを言うだけか」

男性は、二種類の資料を掲げた。

「誰がまとめるんだ」

来島は、すぐには答えられなかった。

まとめるのは、行政の担当者だと思っていた。

だが、担当者は、会場の端で資料を見つめたまま動かなかった。

来島は、少し離れた場所に立つ津久見を見た。

津久見もまた、何も言わなかった。

彼も、自分の案がどのように扱われるのかを、知らされていなかったのかもしれない。

住民のざわめきは、収まらなかった。

二つの専門的な案が並べられたことで、選択肢が増えたのではない。

誰が決めるのかが、見えなくなった。

説明会は、結論を出せないまま終わった。

説明会の後、来島は一人で駅まで歩いた。

夕方の町は静かだった。

来島は、会場で起きたことを、何度も頭の中で繰り返した。

自分は、行政が二つの案をまとめると思っていた。

そう思い込んでいただけだった。

誰にも確認していなかった。

一度だけ、担当者から、

「津久見さんの案とは、すり合わせていますか」

と聞かれていた。

その時、自分は、

「行政側で調整されることだと思います」

と答えた。

それで済ませた。

誰が調整するのか。

いつ調整するのか。

両者の案に食い違いがあった場合、誰が決めるのか。

住民へ提示する前に、誰が一つの説明へまとめるのか。

何一つ、決めていなかった。

誰にも、その役割を与えていなかった。

津久見のことを考えた。

彼もまた、自分と同じように思っていたのかもしれない。

自分の専門領域で正しい案を作れば、誰かが最後にまとめる。

それは自分の仕事ではない。

二人とも、悪意があったわけではない。

仕事を怠けたわけでもない。

それぞれの専門性を、それぞれの場所で誠実に発揮していた。

二つの案をつなぐ人がいなかった。

正確には、つなぐ人が必要だということを、誰も設計していなかった。

与条件。

その言葉が、来島の頭に浮かんだ。

自分が何かを設計する時、最初に前提となる条件を整理する。

誰が使うのか。

どこで行うのか。

予算はいくらか。

利用できる施設は何か。

誰が管理するのか。

何を実現しなければならないのか。

今回、自分は、その与条件の中に、

「誰が最終的に二つの案を統合し、決定するのか」

という項目を入れていなかった。

設計の外側に置いていた。

それは設計で実現できます。

来島は、何度もそう答えてきた。

だが、設計の前提そのものが欠けていれば、どれほど精密な案を作っても実現しない。

実現しないだけではない。

正しい案が二つ並ぶことで、住民を迷わせることさえある。

計画は、大幅に遅れることになった。

住民の合意が得られないまま、再編の議論は、ほとんど振り出しに戻った。

来島の案も、津久見の案も、そのままでは使えなくなった。

最後に、来島は津久見と話す機会を持った。

庁舎の廊下だった。

職員のほとんどが帰った、人気のない時間だった。

津久見が先に口を開いた。

「あなたの案は、悪くなかったと思います」

「あなたの案も」

来島は答えた。

少しの沈黙があった。

二人とも、自分の案を否定する理由は持っていなかった。

だが、良い案を作ったという事実だけでは、今日の失敗を説明できなかった。

「次は、誰かがつながないといけませんね」

来島が言った。

津久見は、短く答えた。

「そうですね」

「その誰かも、最初から決めておかないといけない」

津久見が、わずかに頷いた。

それ以上の話はしなかった。

二人は、一定の距離を残したまま別れた。

互いの専門性を認めながらも、もう一度一緒に仕事をしたいとは、まだ思えなかった。

その後も、来島は何度か津久見の名前を耳にした。

別の自治体で。

別の案件で。

津久見は法令と財政の条件を整理し、難しい案件を一つずつ、判断可能な形へ変えていると聞いた。

良い仕事をする人だ。

来島は、そう思っていた。

それ以上のことは、考えなかった。

自分もまた、住民との対話を続けた。

施設を失う人の話を聞いた。

地域の中に残すべき機能を探した。

人と役割を組み直した。

「それは設計で実現できます」

その言葉も、使い続けた。

以前と同じように、迷いなく聞こえたはずだった。

だが、その後には、必ず自分の中で問いを加えるようになった。

実現するための与条件は、揃っているか。

担う人はいるか。

決める人はいるか。

異なる案をつなぐ人はいるか。

最後に責任を持つ人は、決まっているか。

条件は、最初から与えられているものではない。

不足している条件を見つけ、必要ならば、それ自体を設計しなければならない。

そして、何を与条件に入れるかを決めるのは、自分だ。

来島は、そう考えるようになった。

津久見と再び同じ現場に立つ日が来ることを、その時の来島はまだ知らなかった。

次に会う時も、二人は違う答えを持ってくるだろう。

ただ、今度は最初に確認できる。

誰がつなぐのか。

誰が決めるのか。

何を、二人で作るのか。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら