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自治体FM物語外伝 › 第6話
外伝 第6話

同じ轍

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津久見渉が、三十歳で蒼波町の施設マネジメント担当になってから、八年が過ぎていた。

本来なら、数年で異動するはずの職場だった。

だが、耐震性に問題のある施設を残したまま異動することに、津久見は納得しなかった。異動の話が出るたびに、担当を続けたいと申し出た。周囲も、頑なな津久見の扱いに困り、いつしか異動の話をしなくなった。

町内で特に危険だったのは、築五十年を超える地区公民館だった。

耐震診断の結果は、Is値〇・三未満。大地震が発生した場合、倒壊する危険性が高いと判定されていた。

一方、利用者は年々減少していた。

津久見は着任二年目に、公民館の存廃を判断するための資料を作成した。

劣化状況。

利用率。

年間維持費。

耐震改修費。

代替施設までの距離。

必要な情報を集め、すべて数字で示した。

結論は明確だった。

危険性が高く、利用者も減少している。公民館は閉鎖し、担っている機能を別の施設へ移すべきだ。

資料を上司へ提出した。

上司は一通り目を通し、

「分かった」

と言った。

だが、閉鎖を決めるのは、担当者でも上司でもない。

町長が方針を決め、最終的には議会の議決を得る必要がある。

町は、地元住民への説明会を開くことにした。

翌年、津久見は資料を更新した。

劣化は進み、維持費は増えていた。利用者数は、さらに減少していた。

結論は変わらない。

それでも、閉鎖の決定は下りなかった。

住民説明会が開かれたのは、津久見が担当になって三年目のことだった。

会場には、公民館を何十年も利用してきた老人会の人々が集まった。

津久見は、耐震診断の結果を示した。

地震時の危険性を説明した。

改修に必要な費用と、利用者数の推移も示した。

公民館を閉鎖し、近隣施設へ機能を移す必要があると伝えた。

五十年以上、この地区で暮らしてきたという男性が立ち上がった。

「ここがなくなったら、どこに集まればいいんだ」

「代替施設として、隣の地区の交流センターを想定しています」

「バスで二十分もかかる場所だろう」

「送迎方法については、別途検討します」

男性は、資料を見ようともしなかった。

「地震が来たら、外へ逃げればいいだけじゃないか」

津久見は、用意していた別の案を示した。

「全面閉鎖が難しいのであれば、少なくとも、特に危険性の高い二階部分の利用を制限させてください」

廃止までの間の、暫定的な措置だった。

何も制限しないよりは、安全性を高められる。

そう考えた。

会場がざわついた。

「一部でも使うなと言うなら、全部使うなと言うのと同じだろう」

「何十年も何も起きなかったんだ。これまでどおりで大丈夫だ」

「年寄りに、毎回バスで二十分も移動しろと言うのか」

津久見は、繰り返し説明した。

地震がいつ起こるかは分からない。

過去に事故がなかったことは、今後の安全を保証しない。

少なくとも危険な場所だけでも、利用を止めてほしい。

だが、言葉は届かなかった。

高齢の住民にとって、バスで二十分という距離は、津久見が資料に記した「代替施設までの距離」とは違う意味を持っていた。

数字の上では、移動可能な距離だった。

住民の暮らしの中では、日常的に通うことを諦めさせる距離だった。

結局、一部利用制限の案も受け入れられなかった。

説明会は、何も決まらないまま終わった。

公民館は、八年目になっても残っていた。

劣化は進んだ。

維持費は増えた。

利用者は減った。

津久見が毎年更新する資料の数字は、すべて悪化していた。

それでも、閉鎖は決まらなかった。

津久見は、何度も住民説明会の再開催を提案した。

そのたびに、町長は同じことを言った。

「まだ、時期ではない」

何を待っているのかは、誰も説明しなかった。

住民の理解が進む時期。

議会の反発が弱まる時期。

自然に利用者がいなくなる時期。

あるいは、誰かが責任を取らなくても済む時期。

誰も決められなかった。

正確には、それぞれの立場に、決めない理由があった。

町長は、住民の反発を受けたくなかった。

議会は、地域の施設をなくした責任を負いたくなかった。

担当課は、町長の判断がなければ動けなかった。

住民は、長年使ってきた場所を失いたくなかった。

津久見だけが、数字を更新し続けた。

数字が悪化すれば、いつか誰かが決めると思っていた。

八年目の秋、津久見は、自治体間連携をテーマとした研修に参加した。

会場で、一人の男性と名刺を交換した。

桐島衛。

元国土交通省職員で、複数の自治体を支援する組織の設立に関わっていると紹介されていた。

休憩時間、津久見は何気なく尋ねた。

「複数の自治体を見て回るというのは、どういう感覚ですか」

桐島は、少し考えてから答えた。

「同じものを、何度も見ることになります」

「同じもの、というのは」

「老朽化した施設。決められない担当者。決められない組織。繰り返される同じ説明」

桐島は、津久見の名札へ目を落とした。

「あなたの町にも、似たものがあるんじゃないですか」

津久見は、すぐには答えられなかった。

桐島が続けた。

「自治体職員は、基本的に自分の町しか見られません。それ自体は悪いことではない。ただ、自治体を横断して見る人間がいないために、同じ失敗が、別々の町で繰り返されています」

「誰も、それに気づかないまま」

「そうです」

「知っていれば、何か変わりますか」

「分かりません」

桐島は、即答した。

「ただ、知らないよりはいいでしょう」

桐島は、津久見の名刺をもう一度見た。

「蒼波町にも、古い公民館がありましたね。耐震性に問題があるのに、なかなか方向が決まらない施設が」

津久見は、短く答えた。

「はい」

帰りの電車で、津久見は、桐島が最後に投げかけた問いを繰り返していた。

「同じことが全国で起きているとしたら、あなたはどうしますか」

窓の外を、夕方の街並みが流れていく。

津久見は、自分の八年間を振り返った。

あの公民館の資料を、何度更新しただろう。

何度、同じ危険性を説明しただろう。

何度、「まだ時期ではない」と言われただろう。

津久見は、それを蒼波町特有の問題だと思っていた。

小さな町だから決められない。

住民との距離が近いから進まない。

財政力が弱いから、選択肢がない。

だが桐島は、同じ光景が全国の自治体で繰り返されていると言った。

もし、そうなら。

どこかに、自分と同じ問題に直面し、同じように資料を作り、同じように説明し、同じように決められずにいる人間がいる。

ほとんどの担当者は、互いの存在を知らない。

自分の町だけが進まないと思い、自分の力が足りないと思いながら、一人で同じ資料を作り続けている。

津久見は、窓の外を見た。

自分は八年をかけて、一つの公民館を閉鎖することさえできなかった。

その事実は変わらない。

不甲斐なかった。

だが、同じ失敗が全国で繰り返されているのなら、自分の八年間も、一つの町だけの失敗ではない。

別の町が、同じ轍を踏まないための材料にできるかもしれない。

一つの自治体ではなく、多くの自治体を見る場所。

それぞれの町で起きた失敗を横断し、共通する構造を見つける場所。

同じ説明を、別々の担当者が最初から繰り返さなくて済むようにする場所。

そんな場所が、どこかに必要だった。

退職が決まるまで、半年かかった。

家族への説明。

上司との調整。

担当業務の引継ぎ。

八年間かけて集めた資料の整理。

最後の出勤日、津久見は、公民館のファイルをもう一度開いた。

耐震性。

利用率。

維持費。

改修費。

代替施設までの距離。

すべての状況が、八年前より悪化している。

住民との溝も、埋まらないままだった。

津久見はファイルを閉じ、後任者の机へ置いた。

何か言葉を添えることも考えた。

住民説明の難しさ。

数字だけでは決まらなかったこと。

一部利用制限さえ受け入れられなかった経緯。

八年間、自分がどこで立ち止まったのか。

だが、結局、何も書かなかった。

資料はすべて揃っている。

判断に必要な数字も、法令上の論点も、過去の説明会の記録も残してある。

あとは、決めるかどうかだけだ。

そう考えた。

退職の挨拶で、津久見は短く言った。

「同じことが、どこかで起きています。それを、もう少し違う場所から変えていきたいと思います」

職員たちは、静かに聞いていた。

誰も、その言葉の意味を正確には理解していなかった。

津久見自身も、まだ半分も分かっていなかった。

桐島が立ち上げに関わった地域施設支援機構――RFSCへ入ってから、津久見は複数の自治体を訪ねた。

どの町にも、似た光景があった。

老朽化した施設。

何年も更新されていない計画。

同じ説明を繰り返す職員。

決断を先送りする組織。

住民に反発され、立ち止まる担当者。

町の規模も、財政状況も、施設の種類も違う。

だが、問題の構造は似ていた。

津久見は、そのたびに、蒼波町で過ごした八年間を思い出した。

法令上、何ができるのか。

財政的に、何が持続可能なのか。

改修と更新では、LCCがどう変わるのか。

代替施設までの距離は、どの程度なら許容できるのか。

自分が八年間で身につけた知識は、別の自治体でも使えた。

一つの自治体で得た知見を整理し、別の自治体へ持っていく。

個別の事情から共通する構造を取り出し、判断のための手順に変える。

これは、汎用の答えになる。

一つの町で八年かけて学んだことを、整理し、磨き、多くの自治体へ届ける。

そうすれば、自分と同じように、一人で決められずに苦しむ担当者を減らすことができる。

津久見は、そう確信した。

ある夜、自治体への報告書を整理しながら、ふと考えた。

八年間、蒼波町しか見ていなかった。

今は、多くの自治体を見ている。

知識も、事例も増えた。

それでも、自分には足りないものがある。

施設が終わりに至るまでに、何が起きるのか。

閉鎖を決めた後、住民の暮らしがどう変わるのか。

代替施設へ、本当に人が移るのか。

失われた場所の代わりに、何が残るのか。

その最後までを、見届けた経験がなかった。

蒼波町の公民館が、その後どうなったのか、津久見は聞いていない。

連絡を取れば、確かめることはできた。

だが、知る必要はないと思った。

結果を見届けることが、自分の役割ではない。

自分の役割は、各地で繰り返される同じ失敗を整理し、次の自治体へ汎用の答えとして渡すことだ。

一つの町へ戻るより、次の町へ行く方が、多くの自治体を救える。

津久見は報告書を閉じた。

その考えが、間違っているとは思わなかった。

少なくとも、その時は。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら