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外伝 第5話

それは誰に説明するのか

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湊原市役所、施設マネジメント担当課。

住民説明会が紛糾した翌朝、担当課長の梶原誠一は、市長室に呼ばれていた。

西條泰久市長は、机の上に広げた新聞へ目を落としたまま言った。

「青葉市は、どうやったんだ」

「青葉市、ですか」

「個別施設計画とか、そういうやつだ。よくできているという話を聞いた。何か参考になるものはないのか」

指示というには曖昧な口調だった。

市長は、梶原に答えを求めているというより、自分の中に浮かんだ疑問を、そのまま口にしただけのように見えた。

「調べます」

梶原は即答した。

だが、本気で調べるつもりはなかった。

十年近く前、意気込んで新しい企画を提案したことがある。

必要性を説明し、資料も揃えた。

それでも議会では質問に答えきれず、散々な結果に終わった。

以来、梶原は、提案をする前に前例を探すようになった。

前例があれば安全だ。

他の自治体がすでに実施しているなら、少なくとも自分だけの責任にはならない。

前例がなければ、提案しない方がいい。

そう考えるようになった。

市長室を出た梶原は、喫煙所へ寄ってから、自席へ戻った。

「林、青葉市の資料を探してくれ」

係長の林伸吾は、すぐにパソコンを開いた。

「個別施設計画と、公共施設白書が見つかりました」

画面を操作しながら、林が続ける。

「ほかに、自治体FMを題材にした小説や、メールマガジンも公開しているみたいです。少し変わったことをやっていますね」

「小説はいい」

梶原は、画面へ目を向けた。

「計画書と白書だけで十分だ」

林が表示した計画書を、梶原はざっと眺めた。

表紙を見た。

目次を見た。

施設分類と、再編方針のページを数枚めくった。

それだけで、必要なものは確認した気になった。

「これで報告書の骨子を作ってくれ」

「どういう内容にしますか」

「青葉市では、計画的に公共施設の再編を進めているようです、くらいでいい」

林が、手を止めた。

「それだけですか」

「市長に概要を示すだけの資料だ。深く調べる必要はない」

林は、何か言いたそうな顔をした。

だが、結局、

「分かりました」

とだけ答え、作業へ戻った。

二日後、梶原は林が作成した報告書を、そのまま西條市長へ提出した。

市長は一通り目を通した。

それから、しばらく黙っていた。

「これだけか」

「はい」

市長は報告書を机へ置いた。

「お前も、まだ様子を見ているのか」

梶原は、何も答えられなかった。

詰問するような言い方ではなかった。

むしろ、「お前も」という部分が気になった。

市長自身も、自分が決めきれていないことを分かっている。

決めろと言えない市長と、前例だけを探して様子を見る課長。

立場は違っても、していることは同じだった。

「分かりました。もう少し調べます」

梶原はそう答えた。

だが、その日は何もしなかった。

報告書を、自席の引き出しへ入れた。

それで終わった。

数日後、梶原は別の案件を調べていた。

市内の集会所で、空調設備が故障した。

修繕するか、更新するか。

判断する前に、似た事例がないか検索していた。

その途中で、青葉市の文化会館に関する記事が目に入った。

全館停電訓練で、非常用発電機が停止したという内容だった。

リンクを開くと、記事ではなかった。

自治体のメールマガジンのバックナンバーだった。

「読み物か」

梶原はそう呟き、画面を閉じようとした。

だが、題名が目に入った。

「停電の日」。

湊原市の施設でも、前月に似たトラブルが起きていた。

非常用回路に接続された機器が増え、発電機の負荷が想定を超えていたという報告だった。

仕事の参考になるかもしれない。

梶原は、自分にそう言い聞かせて、読み始めた。

読み終えた時には、外が暗くなっていた。

乾という若い技術職員が、非常用回路へ接続された機器を、一つずつ確認していく話だった。

冷蔵庫。

Wi-Fi。

防犯カメラ。

AED保管庫。

それぞれに、接続した理由があった。

石末という年配の技術職員が言う。

設備には理由がある。

だが、理由だけを積み重ね、全体を見なければ、いつか設備は止まる。

途中から、宮野彩乃という教育委員会の職員が現れた。

宮野は、乾たちに同じことを繰り返し聞いていた。

「利用者への説明は、どうなりますか」

「なぜそうなったか、説明できますか」

責めているわけではない。

急かしているわけでもない。

ただ、説明できる状態になっているかを、静かに問い続けていた。

梶原は、林に作らせた報告書を思い出した。

青葉市は、計画的に進めているようです。

それで、誰に何を説明したことになるのか。

考えたことがなかった。

市長に報告するための資料だった。

だから、市長が一読できる程度でいいと思った。

だが、市長は、その先を聞いていたのではないか。

なぜ青葉市では進んだのか。

湊原市でもできるのか。

できないなら、何が違うのか。

梶原は、そこまで調べていなかった。

何度か、画面を閉じようとした。

青葉市の話だ。

湊原市とは違う。

施設の規模も、財政状況も、住民の構成も違う。

参考にはならない。

そう思おうとした。

だが、思うたびに、次の話が気になった。

別の回では、長谷という管財課長が、若い頃の失敗を記録したファイルを残していた。

住民説明会で答えられなかったこと。

予算要求を削られたこと。

議員対応で誤った回答をしたこと。

長谷は言う。

「成功事例は報告書に残る。失敗事例は、残そうとしないと残らない」

梶原は、その一文で手を止めた。

自分はこれまで、失敗した案件を残したことがあっただろうか。

議会で答えられなかった時のこと。

提案を引っ込めた時のこと。

修繕を先送りした理由。

住民説明会で、何も決めずに終えた経緯。

残していない。

恥を覚悟して、次の担当者のために何かを書いたこともない。

その考えが浮かぶと、梶原はすぐに打ち消した。

「自分の案件とは違う」

声に出してみた。

だが、胸の奥に残ったものまでは消えなかった。

読み進めるうちに、梶原は何度も登場する名前に気づいた。

折原悠斗。

行政管理課。

各話の中心にいるわけではない。

何かを決める人物でもない。

それでも、問題が起きるたびに文書を探し、過去の経緯を掘り起こしていた。

「残ってますよ」

折原は、何度もそう言っていた。

その言葉は、大した台詞ではないように見えた。

だが、誰も覚えていない理由が、どこかに残っている。

前の担当者が何を考えたのかを、次の担当者が確かめられる。

そのこと自体が、物語の中では何度も誰かを助けていた。

メールマガジンの末尾には、問い合わせ先が掲載されていた。

青葉市役所企画政策課。

代表番号。

メールアドレス。

物語の中では行政管理課にいた折原も、今は異動しているらしい。

梶原は、机の上にあったメモ用紙へ書き写した。

折原悠斗。

企画政策課。

連絡するつもりはなかった。

ただ、何かの時に必要になるかもしれない。

それだけだった。

様子を見ることしかできない自分にも、名前を書き留めるくらいはできた。

翌朝、西條市長と廊下ですれ違った。

「あの件、進んでるか」

「もう少し調べてから、報告します」

市長は、

「そうか」

と答えただけだった。

それ以上は追及しなかった。

市長も、決めろとは言わない。

梶原も、いつまでに答えを出すとは言わない。

互いに踏み込まない。

それが、いつものやり方だった。

梶原は自席へ戻った。

折原の名前を書いたメモ用紙を、引き出しの奥へしまった。

林が聞いた。

「青葉市の件、どうなりましたか」

「まだ調べてる」

梶原は、それだけ答えた。

連絡するつもりはなかった。

今すぐ、何かを変えるつもりもなかった。

ただ、名前だけは覚えていた。

折原悠斗。

企画政策課。

その名前が、いつか本当に必要になるとは、まだ思っていなかった。

それでも、捨てずに残した。

梶原が、自分から何かを残した、最初の一枚だった。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら