それは誰に説明するのか
湊原市役所、施設マネジメント担当課。
住民説明会が紛糾した翌朝、担当課長の梶原誠一は、市長室に呼ばれていた。
西條泰久市長は、机の上に広げた新聞へ目を落としたまま言った。
「青葉市は、どうやったんだ」
「青葉市、ですか」
「個別施設計画とか、そういうやつだ。よくできているという話を聞いた。何か参考になるものはないのか」
指示というには曖昧な口調だった。
市長は、梶原に答えを求めているというより、自分の中に浮かんだ疑問を、そのまま口にしただけのように見えた。
「調べます」
梶原は即答した。
だが、本気で調べるつもりはなかった。
十年近く前、意気込んで新しい企画を提案したことがある。
必要性を説明し、資料も揃えた。
それでも議会では質問に答えきれず、散々な結果に終わった。
以来、梶原は、提案をする前に前例を探すようになった。
前例があれば安全だ。
他の自治体がすでに実施しているなら、少なくとも自分だけの責任にはならない。
前例がなければ、提案しない方がいい。
そう考えるようになった。
市長室を出た梶原は、喫煙所へ寄ってから、自席へ戻った。
「林、青葉市の資料を探してくれ」
係長の林伸吾は、すぐにパソコンを開いた。
「個別施設計画と、公共施設白書が見つかりました」
画面を操作しながら、林が続ける。
「ほかに、自治体FMを題材にした小説や、メールマガジンも公開しているみたいです。少し変わったことをやっていますね」
「小説はいい」
梶原は、画面へ目を向けた。
「計画書と白書だけで十分だ」
林が表示した計画書を、梶原はざっと眺めた。
表紙を見た。
目次を見た。
施設分類と、再編方針のページを数枚めくった。
それだけで、必要なものは確認した気になった。
「これで報告書の骨子を作ってくれ」
「どういう内容にしますか」
「青葉市では、計画的に公共施設の再編を進めているようです、くらいでいい」
林が、手を止めた。
「それだけですか」
「市長に概要を示すだけの資料だ。深く調べる必要はない」
林は、何か言いたそうな顔をした。
だが、結局、
「分かりました」
とだけ答え、作業へ戻った。
二日後、梶原は林が作成した報告書を、そのまま西條市長へ提出した。
市長は一通り目を通した。
それから、しばらく黙っていた。
「これだけか」
「はい」
市長は報告書を机へ置いた。
「お前も、まだ様子を見ているのか」
梶原は、何も答えられなかった。
詰問するような言い方ではなかった。
むしろ、「お前も」という部分が気になった。
市長自身も、自分が決めきれていないことを分かっている。
決めろと言えない市長と、前例だけを探して様子を見る課長。
立場は違っても、していることは同じだった。
「分かりました。もう少し調べます」
梶原はそう答えた。
だが、その日は何もしなかった。
報告書を、自席の引き出しへ入れた。
それで終わった。
数日後、梶原は別の案件を調べていた。
市内の集会所で、空調設備が故障した。
修繕するか、更新するか。
判断する前に、似た事例がないか検索していた。
その途中で、青葉市の文化会館に関する記事が目に入った。
全館停電訓練で、非常用発電機が停止したという内容だった。
リンクを開くと、記事ではなかった。
自治体のメールマガジンのバックナンバーだった。
「読み物か」
梶原はそう呟き、画面を閉じようとした。
だが、題名が目に入った。
「停電の日」。
湊原市の施設でも、前月に似たトラブルが起きていた。
非常用回路に接続された機器が増え、発電機の負荷が想定を超えていたという報告だった。
仕事の参考になるかもしれない。
梶原は、自分にそう言い聞かせて、読み始めた。
読み終えた時には、外が暗くなっていた。
乾という若い技術職員が、非常用回路へ接続された機器を、一つずつ確認していく話だった。
冷蔵庫。
Wi-Fi。
防犯カメラ。
AED保管庫。
それぞれに、接続した理由があった。
石末という年配の技術職員が言う。
設備には理由がある。
だが、理由だけを積み重ね、全体を見なければ、いつか設備は止まる。
途中から、宮野彩乃という教育委員会の職員が現れた。
宮野は、乾たちに同じことを繰り返し聞いていた。
「利用者への説明は、どうなりますか」
「なぜそうなったか、説明できますか」
責めているわけではない。
急かしているわけでもない。
ただ、説明できる状態になっているかを、静かに問い続けていた。
梶原は、林に作らせた報告書を思い出した。
青葉市は、計画的に進めているようです。
それで、誰に何を説明したことになるのか。
考えたことがなかった。
市長に報告するための資料だった。
だから、市長が一読できる程度でいいと思った。
だが、市長は、その先を聞いていたのではないか。
なぜ青葉市では進んだのか。
湊原市でもできるのか。
できないなら、何が違うのか。
梶原は、そこまで調べていなかった。
何度か、画面を閉じようとした。
青葉市の話だ。
湊原市とは違う。
施設の規模も、財政状況も、住民の構成も違う。
参考にはならない。
そう思おうとした。
だが、思うたびに、次の話が気になった。
別の回では、長谷という管財課長が、若い頃の失敗を記録したファイルを残していた。
住民説明会で答えられなかったこと。
予算要求を削られたこと。
議員対応で誤った回答をしたこと。
長谷は言う。
「成功事例は報告書に残る。失敗事例は、残そうとしないと残らない」
梶原は、その一文で手を止めた。
自分はこれまで、失敗した案件を残したことがあっただろうか。
議会で答えられなかった時のこと。
提案を引っ込めた時のこと。
修繕を先送りした理由。
住民説明会で、何も決めずに終えた経緯。
残していない。
恥を覚悟して、次の担当者のために何かを書いたこともない。
その考えが浮かぶと、梶原はすぐに打ち消した。
「自分の案件とは違う」
声に出してみた。
だが、胸の奥に残ったものまでは消えなかった。
読み進めるうちに、梶原は何度も登場する名前に気づいた。
折原悠斗。
行政管理課。
各話の中心にいるわけではない。
何かを決める人物でもない。
それでも、問題が起きるたびに文書を探し、過去の経緯を掘り起こしていた。
「残ってますよ」
折原は、何度もそう言っていた。
その言葉は、大した台詞ではないように見えた。
だが、誰も覚えていない理由が、どこかに残っている。
前の担当者が何を考えたのかを、次の担当者が確かめられる。
そのこと自体が、物語の中では何度も誰かを助けていた。
メールマガジンの末尾には、問い合わせ先が掲載されていた。
青葉市役所企画政策課。
代表番号。
メールアドレス。
物語の中では行政管理課にいた折原も、今は異動しているらしい。
梶原は、机の上にあったメモ用紙へ書き写した。
折原悠斗。
企画政策課。
連絡するつもりはなかった。
ただ、何かの時に必要になるかもしれない。
それだけだった。
様子を見ることしかできない自分にも、名前を書き留めるくらいはできた。
翌朝、西條市長と廊下ですれ違った。
「あの件、進んでるか」
「もう少し調べてから、報告します」
市長は、
「そうか」
と答えただけだった。
それ以上は追及しなかった。
市長も、決めろとは言わない。
梶原も、いつまでに答えを出すとは言わない。
互いに踏み込まない。
それが、いつものやり方だった。
梶原は自席へ戻った。
折原の名前を書いたメモ用紙を、引き出しの奥へしまった。
林が聞いた。
「青葉市の件、どうなりましたか」
「まだ調べてる」
梶原は、それだけ答えた。
連絡するつもりはなかった。
今すぐ、何かを変えるつもりもなかった。
ただ、名前だけは覚えていた。
折原悠斗。
企画政策課。
その名前が、いつか本当に必要になるとは、まだ思っていなかった。
それでも、捨てずに残した。
梶原が、自分から何かを残した、最初の一枚だった。
この話のFM豆知識
(豆知識は準備中)
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
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