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急ぐ理由 第5話

決まったこと

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桔梗台児童館の説明会は、九月の第一土曜に開かれた。

会場は、地区の集会所だった。折り畳み椅子が四十脚。埋まったのは、三十ほどだった。

黒瀬がスライドを示した。

築四十二年。前年度に屋上防水を改修したが、躯体と設備の老朽化は残る。空調は更新から十八年。給排水管も同時期。

「今後十年で必要な改修費は、概算で一億八千万円になります」

黒瀬は続けた。

「児童館については、廃止の方向で整理されています」

正式な廃止方針は、まだ決まっていない。

だが、黒瀬はそう言った。

蔵本徳次議員が、会場の中ほどで手を挙げた。

「決まった、ということですか」

「方向性として、です」

黒瀬は即答した。

「最終的には、施設廃止条例案と代替機能の予算案を、十二月議会へ提出します」

「その決裁は、いつごろになりますか」

「十二月を予定しています」

蔵本はうなずいて、腰を下ろした。

方向性として、という言葉は、市役所ではよく使われる。まだ決まっていないという意味にも、もう変わらないという意味にも取れる。

蔵本には、その日の黒瀬がどちらの意味で言ったのか、判断がつかなかった。

久遠田松江が手を挙げた。

「うちの地区の学童は、あそこしかないんですよ」

「代替の学童保育は、桔梗台東小学校内に新設します。距離は八百メートルです」

「距離の話をしてるんじゃないんです」

久遠田は続けた。

「あの子たちは、学校が終わってから児童館まで、商店街を通って歩くんです。途中で、菓子屋のばあさんが声をかける。うちの前を通る子もいる。誰が今日は元気がないか、大人が見てるんですよ」

「見守りの機能ということでしたら、新施設でも維持します」

「学校の中でですか」

「はい」

「学校の中には、地域の大人はおらんでしょう」

黒瀬は、すぐには答えなかった。

「安全面では、むしろ向上します」

「安全は、そうでしょうね」

久遠田は言った。

「でも、上の子と下の子が一緒におるのも、なくなりませんか。学校の中なら、学年で分かれるでしょう」

「運営の詳細は、教育委員会と協議します」

久遠田は、それ以上言わなかった。

言いたいことが、うまく言葉にならない。そういう表情だった。

三崎は、会場の後ろでその様子を見ていた。

黒瀬は、質問に答えていないわけではない。距離を答え、機能を答え、所管を答えている。

それでも、久遠田の顔から、伝わらなかったという表情が消えなかった。

説明会が終わってから、三崎は久遠田に声をかけた。

「先ほどのお話、もう少し伺えますか」

久遠田は、少し驚いた顔をした。

「あの子らはね、児童館で年寄りとも会うんです。将棋教えたり、教えられたり。それが、学校の中に入ったら、たぶんなくなる」

「記録に残します」

三崎はそう言って、手帳に書いた。

商店街の見守り。異年齢の交流。地域高齢者との接点。

書きながら、これをどの様式に入れればいいのか分からなかった。

施設評価の様式に、そういう欄はなかった。

説明会の翌週から、庁内が動き始めた。

教育委員会は、桔梗台東小学校の空き教室の改修について、概算の見積もりを取り始めた。

福祉部局は、跡地利用の案を三つ作った。

営繕は、解体費の積算に入った。

正式な方針決定も、議会提出も、まだだ。

蔵本は、その動きを議員控室で聞いた。

翌日、資産経営課を訪ねた。

「もう、いろんな部署が動き始めてますよ」

「そうですか」

黒瀬は短く答えた。

「まだ決裁されてないのに、いいんですか」

「準備は、決裁の後からでは間に合いません。空き教室の改修は、来年度の当初予算に載せる必要があります。今から見積もりを取らなければ、間に合わない」

「それは、分かります」

蔵本は言った。

「ただ、そうやって準備が進むと、十二月に議会が反対しにくくなりませんか」

「反対の理由があれば、反対されるでしょう」

黒瀬は即答した。

「だから、何もしないのか」

蔵本は、答えられなかった。

黒瀬の言うことは、行政の手順として間違っていない。予算の年度は決まっている。準備を止めれば、間に合わないのも事実だった。

十一月の推進本部で廃止方針が決まり、十二月議会は、施設廃止条例案と代替機能の予算案を可決した。

大きな反対は出なかった。

蔵本は、質疑で一度だけ立った。

「地域の見守り機能について、移転後の担保はどうなりますか」

「教育委員会と地域の連携により、維持に努めます」

答弁は、その一言で終わった。

蔵本は、再質問をしなかった。用意していた原稿には、久遠田の言葉を書き写した箇所があった。

だが、それを議会の言葉に直すことが、うまくできなかった。

決裁の日の午後、久遠田が市役所に来た。

窓口で書類を出した帰りに、資産経営課の前を通った。

三崎が気づいて、声をかけた。

「今日、決まりました」

「そうですか」

久遠田はうなずいた。

「決まったのは、いつなんでしょうね」

「今日です」

「九月の説明会の時に、もう決まってた気もしますけどね」

三崎は、答えられなかった。

久遠田は、それ以上言わずに帰っていった。

この話のFM豆知識

FMの教訓:住民への説明では、決まったこと、これから決めること、意見で変えられることを分ける。

◆ この話で扱う仕事

関係するFMの仕事:FM戦略・計画/プロジェクト管理の承認・日程

施設の改修、移転、廃止を進める際は、実施する内容、予算、日程をそろえ、必要な承認を受けます。自治体では、担当課の検討、庁内の決裁、条例や予算に関する議会の議決などを区別します。必要な手続きは案件によって異なるため、今どこまで終わり、何が残っているかを確認します。

◆ 検討中の案を、決定済みのように伝えない

担当課がよいと考えた案と、市として必要な手続きを終えた決定は違います。住民に説明するときは、終わった手続き、これから行う手続き、今後の意見で変えられる部分を伝えます。「方向性は決まった」とだけ話すと、まだ検討中でも、もう変更できないと受け取られる場合があります。

◆ 先に準備する場合は、変更できる範囲を確かめる

正式に決める前でも、費用の見積もりや移転先の空き状況の調査は必要です。ただし、準備が進むほど、案を変えにくくなる場合があります。例えば、契約を結ぶ前と後では、取りやめた場合の負担が違います。どの準備まで進めてよいか、案を変えたら何をやり直すかを決裁する人に示します。

◆ 物語の場面

桔梗台児童館の説明会で、黒瀬は廃止の方向で整理されていると伝えます。正式な方針決定の前でしたが、住民には決定済みのように聞こえました。その後に推進本部や議会の手続きが進みます。久遠田が三崎に、いつ決まったのかを尋ねる場面は、手続きの日付と住民の受け止め方がずれていたことを示しています。

■ 担当者が行うこと

説明資料の表紙に「検討案」「庁内で確認中の方針案」「正式決定」など、実際の段階を書いてください。決定した日と決定した機関も示します。意見を受けて変更できる内容と、次に判断する時期を説明します。先に準備を進める場合は、変更や中止にかかる費用も確認してください。

確認する法令・計画・庁内のルールなど

  • 各施設の設置・管理条例:利用できるサービスや施設の位置付けを確認し、変更や廃止に必要な条例の手続きを調べます。
  • 地方自治法・各自治体の議会手続き:条例や予算などの議決と、担当課による検討や庁内の決裁を分け、必要な手続きを確認します。
つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら