一度だけ
大滝野生活改善センターは、集落の入口にあった。
平屋。鉄骨造。築三十八年。壁のモルタルに、縦のひびが何本か走っている。
黒瀬は屋上に上がった。防水層の表面が、ひび割れて反り返っている。端の方は、めくれて下地が見えていた。
「五年は持ちませんね」
樫村悠が言った。手にした端末で写真を撮っている。
「三年だな」
黒瀬は即答した。
中に入ると、床にワックスがかかっていた。掲示板に、行事の予定表が貼ってある。四月、総会。六月、草刈り。九月、敬老会。十月、秋祭り。
三崎は、利用実績の帳簿を借りて数字を写した。
昨年度の年間利用日数は、九十七日。うち定例の利用は四十二日。残りが、地区行事とその準備だった。
帳簿を返しに事務室へ行くと、鍵の管理をしている女性がいた。
「調査ですか」
「施設の状況を見に来ました」
「なくなるんですか、ここ」
三崎は、答え方に迷った。
「今の段階では、何も決まっていません」
女性はうなずいて、それ以上は聞かなかった。
帰り際、鍵の受け渡し簿が目に入った。使用者の欄に、同じ名前が何度も並んでいる。三崎はそれを、書き写さなかった。
「維持費は」
黒瀬が聞いた。
「光熱水費、警備、清掃、点検で、年間およそ三百万です」
三崎が答えた。
「利用一日あたり、三万円か」
黒瀬は台帳を閉じた。
樫村が顔を上げた。
「日数だけで割るんですか」
「他に何がある」
「行事の日は、地区の人が百人以上来ます。定例の使い方とは、規模が違います」
黒瀬は、樫村の方を見た。
「その数字はあるか」
「祭りの実行委員会が、参加者を数えてます。去年は百四十人」
「借りてこい」
樫村は少し驚いた顔をした。
黒瀬は続けた。
「数えたものは、資料に入れる。入れた上で、どう評価するかを決める」
翌週、資料の原案ができた。
三崎が組み、樫村が現地の写真と行事の記録を添えた。
黒瀬はそれを一枚ずつ見ていった。
「行事利用の欄を、別立てにしろ」
「別立て、というと」
「定例利用の稼働率と、同じ表に並べるな。性質が違う数字を一つの表に入れると、どちらも説明できなくなる」
三崎は指示どおりに直した。
定例利用の欄と、行事利用の欄が、別々の頁になった。
黒瀬は、それを見て少し考えていた。
「本会議の資料は、何枚までだ」
「例年、施設一件につき二枚です」
「なら、二枚に収めろ」
「行事の欄は、どうしますか」
「補足資料に回す」
黒瀬はそう言った。
「配布はする。説明の時間は、定例利用の方に使う」
その週の金曜、黒瀬は最終版を確認した。
本会議用の二枚には、築年数、劣化状況、年間維持費、定例利用日数、利用一日あたり単価が並んでいた。
行事利用の欄は、なかった。
補足資料の束は、机の脇に積まれている。三崎が二十部作っていた。
「補足、何部いる」
黒瀬が聞いた。
「委員の数だけ用意しました」
「本会議は時間が短い。全部配ると、どれを見ればいいか分からなくなる」
黒瀬は補足資料の束を手に取った。
「必要なら、聞かれた時に出す」
三崎は、その言葉に少しだけ引っかかった。
聞かれなければ出さない、ということになる。
だが、黒瀬の言うことも分かった。二時間の会議で、十件の施設を審議する。全部の補足を配れば、資料は百枚を超える。
「分かりました」
三崎はそう答えた。
その日の夕方、財政課から電話があった。塩谷だった。
「大滝野、本会議に出すそうですね」
「はい」
「資料、二枚ですか」
「例年どおりです」
塩谷は、すぐには続けなかった。
「あそこは、うちが二年、改修を落としてます。落とした側が言うことじゃないですが」
そこで、言葉が切れた。
「何でしょうか」
「いえ。会議で聞きます」
電話は切れた。
三崎は受話器を置いてから、机の脇の補足資料を見た。
樫村が、金曜の夕方に課へ戻ってきた。
祭りの実行委員会から、参加者名簿の写しを借りてきていた。
「入れてもらえますか」
「補足に入れる」
黒瀬は言った。
「本会議の資料は、もう固めた」
樫村は、束を手に持ったまま立っていた。
「あの、この数字も必要では」
「今回は日常的な利用状況を評価する」
黒瀬は即答した。
「行事は年に数回だ。定例の比較には含めない」
「でも、地区にとっては……」
「必要なら、質問が出る」
樫村はそれ以上言わなかった。
黒瀬が席を立ったあと、樫村は名簿の写しを自分の机に置いた。
しばらくして、それを補足資料の束の中ではなく、自分の端末の中に取り込んだ。
理由は、自分でもうまく説明できなかった。
会議の前夜、黒瀬は執務室で二枚の資料を読み返していた。
数字に、誤りはない。
行事があること自体を隠してもいない。補足資料には載っている。
ただ、意思決定の場に出てくるのは、定例利用の稼働率だけになる。
黒瀬は、それが少し引っかかった。
町民会館の時、利用者属性調査は判断の場に出なかった。誰も削ろうとしたわけではない。ただ、出さなかった。
それを、自分は六年の遅れの原因だと思っている。
今回は、逆だ。出せば、決まらなくなるかもしれない。
黒瀬は、資料を閉じた。
一度だけだ。
そう考えた。
この施設は、どのみち三年で防水が切れる。決めなければ、また同じことになる。
黒瀬は電気を消して部屋を出た。
補足資料の束は、机の脇に積んだままだった。
この話のFM豆知識
FMの教訓:短い会議資料にも、定例利用と行事利用の違いを記し、詳しい資料の場所を示す。
◆ この話で扱う仕事
関係するFMの仕事:財務・供給の評価/統括マネジメントのデータ管理
施設を比べる数字には、何を数えたかを添えます。定例の活動で使った日数と、祭りなどの行事も含めて使った日数では、数える対象が違います。「利用一日当たりの費用」なら、費用をどの日数で割ったかを記します。また、利用できる時間のうち実際に使った時間の割合を示す「スペース稼働率」とも分けて扱います。
◆ 判断に関わる情報は、会議で使う資料から分かるようにする
定例利用が少なくても、祭りや防災訓練では多くの人が集まる施設があります。定例利用だけを会議資料に載せると、参加者は他の利用があると知らないまま判断するかもしれません。詳しい集計を別紙にする場合も、行事の種類、利用の規模、別紙の番号や保存場所を会議資料に記し、必要な説明を行います。
◆ 省略を認めるときは、今回限りか、次も使うかを決める
時間がないために確認を省き、結果として問題が表れなかった場合、その省略が次の案件でも続くことがあります。何を省いたか、なぜ省いたか、誰が認めたかを残します。結果がよかった場合も、見落としがなかったかを確かめ、次の案件で同じ省略をしてよいかは改めて判断します。
◆ 物語の場面
大滝野では、定例利用が少ない一方、秋祭りや防災訓練には多くの人が集まっていました。会議で使う二枚の資料には、定例利用日数や一日当たりの費用が載り、行事利用は補足資料へ回ります。黒瀬は、聞かれたら補足を出すことにして、会議では配りません。資料の数字を偽らなくても、判断する人に伝わらない利用実態が残ります。
■ 担当者が行うこと
短い資料には、結論とともに、結論を選ぶうえで注意すべき事実を記してください。例えば、定例利用が少なくても、行事で多数が使うなら、その内容も載せます。詳しい資料の番号や保存場所を示し、判断する人が読めるようにします。確認を省く場合は、理由、承認した人、対象の案件、次回の扱いを残します。
確認する法令・計画・庁内のルールなど
- 各自治体の決裁・文書管理規程:会議や決裁で使った資料、補足資料、起案の理由を、後から確認できるように保存します。
- 各自治体の情報公開条例:開示請求を受けた際の手順や、公開できる範囲を確認します。文書の作成・保存は文書管理の規程に従い、開示の判断と分けて扱います。
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
一般財団法人 建築保全センター