それでも残す
来島は、港ノ浦地区の集会所で、旧里浦町の失敗を別の角度から見ていた。
「この町には、運営組織がありませんでした」
津久見から受け取った旧里浦町の資料を開き、住民有志の会の名簿を示した。
「担おうとした人はいました。でも、役割が決まっていなかった。誰が何をするのか。誰が決めるのか。それが曖昧なまま、有志という言葉だけで進めようとしていました」
「それって、危険なんですか」
津久見が尋ねる。
来島は頷いた。
「危険です。有志は、人に頼る仕組みです」
「誰か一人が疲れれば止まってしまいます」
「続けるには、人ではなく役割を残さなければいけません」
来島は白紙に図を書き始めた。
代表。
会計。
施設管理。
そこまで書くと、手が止まった。
人を書く欄は空けたままにする。
「人は私が決めません」
「役割だけ用意します」
「誰が担うかを決めるのは、この地域です」
来島はペンを置いた。
ガソリンスタンドの案件は、五十七棟の再編方針には含まれていない。
だが、最初の現地調査で見えた「生存基盤」という課題に、市が初めて示す具体的な答えだった。
集会所には、浜田一郎、宮地清、田所和子、そのほか十数人の住民が集まっていた。
テーブルには、来島が作った設計図が広げられている。
「代表、会計、施設管理」
来島が図を指した。
「まず、この三つの役割を分けます」
「代表は、市との窓口になります」
「会計は、お金を管理します」
「施設管理は、設備と燃料を管理します」
説明が終わる。
部屋が静かになった。
誰も口を開かない。
来島は急がなかった。
この沈黙も、地域が決める時間だと思っていた。
やがて浜田が周囲を見回した。
「……俺でいいなら」
宮地が笑った。
「いいなら、じゃないだろ」
「お前しかいない」
部屋のあちこちから頷く人がいた。
浜田は照れたように頭をかいた。
「じゃあ、やる」
「地域運営組織は、俺が立ち上げる」
来島は何も言わず、代表の欄に浜田一郎と書いた。
「会計は」
田所が静かに手を挙げた。
「私がやります」
「祭りの寄付も、自治会の会費も、ずっと帳面をつけてきました」
「お金なら任せてください」
会計の欄に名前が入る。
「施設管理は」
少し間があった。
宮地が口を開いた。
「俺だ」
皆が宮地を見る。
「店は畳んだ」
「でも設備までは捨ててない」
宮地は少し笑った。
「危険物取扱者の資格も残ってる」
「燃料だけは俺が見る」
来島は施設管理の欄に宮地清と書いた。
紙の上の設計図が、
初めて現実の組織になった。
「これで、組織として動けますか」
梶原が尋ねた。
「動けます」
来島は答えた。
「ただ、もう一つ決める必要があります」
「行政との役割分担です」
来島は三人を見渡した。
「運営を続けるには固定費を下げなければいけません」
「土地の取得は、市に案として求めます」
「改修費についても、市に働きかけます」
「でも、日々の運営は皆さんが担います」
来島は三人へ向き直った。
「主役は皆さんです」
「行政は、皆さんが動けるように支える側になります」
梶原はゆっくり頷いた。
そして口を開いた。
「私は、この案を市の案として上げます」
そこで一度、言葉が止まった。
以前の自分なら、
「持ち帰って検討します」
そう言っていた。
今日は違う。
この案を、自分の案として通すと決めた。
「土地は査定額で取得する案で進めます」
「防災拠点として整備し、位置付けます」
「燃料備蓄と非常用発電設備の整備も含めます」
「燃料の種類と量は消防と協議し、法令の範囲で設計する形で、市長まで責任を持って説明します」
宮地が静かに聞いた。
「俺の店じゃなくなる、ということだな」
来島が頷いた。
「所有は市になります」
「でも、運営は皆さんです」
「行政だけでも続きません」
「地域だけでも続きません」
「両方あることで、この施設は続きます」
誰も反対しなかった。
梶原は胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
自分の腹は決まった。
その決定に、
浜田が応えた。
田所が応えた。
宮地も応えた。
決めることは怖かった。
それでも、
決めたから動き出したものが、確かにあった。これまでの自分が経験したことのない種類の喜びが、そこにあった。自分の決定が、誰かの行動を引き出した。先送りでは、決して起こらなかったことだった。
説明会が終わった。
津久見が来島に声を掛ける。
「行政が関与しなければ成立しない」
「以前とは言い方が変わりましたね」
来島は少し笑った。
「以前は、行政がやるしかない、と思っていました」
「今は違います」
「私は役割の枠を作っただけです」
「中身を決めたのは、浜田さんたちでした」
津久見が尋ねる。
「行政の役割は弱くなりませんか」
来島は首を振った。
「むしろ明確になります」
「行政が全部やるのではありません」
「行政しかできないことをやります」
「地域しかできないことは地域がやる」
「それだけです」
津久見は静かに頷いた。
「なぜ、そこまで考え方が変わったんですか」
来島は少しだけ考えた。
「あなたが」
言葉を選ぶ。
「数字だけでは答えにならない案件で」
「何度も立ち止まっていたからです」
津久見は苦笑した。
「立ち止まっていましたか」
「ええ」
来島も笑った。
「だから私も」
「設計を変えました」
二人は、それ以上話さなかった。
以前のような気まずさは、もう残っていない。
五十七棟の方針を検証するために始まった仕事だった。
いつの間にか、
施設を残す方法ではなく、
地域が続いていく仕組みを考える仕事へと変わっていた。
この話のFM豆知識
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※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
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