ep310

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第3巻 第10話

残らなかった町

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旧里浦町の旧庁舎を訪れた。旧里浦町には、57棟の方針の検討に含まれる施設はないが、閉鎖した施設の事例確認として、津久見がリストに加えた。旧里浦町の記録が、ほとんど残っていなかったのも理由だった。

「人口、390人から170人」

津久見が、古い資料を読み上げた。「10年間の減少数です」

「10年で……それは、何があったんですか」

梶原の問いに、津久見が資料をめくった。

「記録は残っていません」

津久見は資料を閉じた。

「何があったか分からない」

「それ自体が、この町に残った記録なんだと思います」

梶原は、手にした資料の中の一文に、目を止めた。会議録の最後のページ。「住民への説明、次回に持ち越し」。それだけが書かれていた。

その一文から梶原は目を外せなくなった。次回に持ち越し。自分も、何度も書いてきた言葉だった。先送りではない。次回、ちゃんと説明すればいい。そう思ってきた。だが、その次回が、なかったとしたら。

「次回の記録は、どこですか」

梶原の声には、動揺が抑えきれず滲み出していた。津久見は資料を探した。

「ありません。次回が、来なかったんだと思います」

津久見の言葉が、梶原の心の中の何かを打ち砕いた。行政側には次回があった。でも住民たちにはなかった。「ありません」その一言は、これまで自分が積み重ねてきた「様子を見た」すべての事案に、重なって聞こえた。

その資料は、港ノ浦診療所を思い出させた。

「私がいなくなったあとを、誰も考えていない」

宇田川の言葉だった。

旧里浦町でも同じだった。

誰かが考えるはずだった。

誰かが説明するはずだった。

そして、その誰かはいなくなった。

津久見はまだ答えを持っていない。

診療所を残す方法も。

財源も。

住民との約束も。

何一つ完成していない。

だが、来島も与条件を揃えるのは困難だと言っていた。もし、自分が考えるのを止めてしまえば、診療所は、いつかくる閉鎖を待つしかなくなる。残された時間も、そう多くはなかった。

それでも、一つだけ決めたことがある。

答えがないまま閉じることだけは、もうしない。

その夜、梶原は持ち帰った資料と共に一人で庁舎に残っていた。旧里浦町の十年間が、頭の中で何度も繰り返されていた。390人から170人。誰かが、どこかで、次回を約束した。それは果たされなかった。

「先送りにも、結果は存在した」

声に出して、初めてそう言った。声に出した瞬間、これまで自分が避けてきたものが、はっきりと見えた気がした。

翌日。

梶原は青葉市へ電話をかけた。

図書館の件で話した、折原だった。

「一つ聞いていいですか」

「はい」

「施設を廃止した判断は」

少し間を置いて言った。

「後から説明できましたか」

折原は少し考えた。

「誰に説明するかで、答えは変わります」

梶原は黙る。

折原が続けた。

「教育総務課の宮野課長補佐が、よく言う言葉があります」

「それ、誰に説明するんですか」

その問いは、

受話器越しなのに、

梶原自身へ向けられているようだった。

「もう一つ」

梶原が聞いた。

「判断記録は」

「どう残していますか」

折原は笑った。

「残すことじゃありません」

「残ってますよ、と言える状態にすることです」

「違いがありますか」

「あります」

「書類庫に眠っているだけでは、残っているとは言えません」

「必要な人が」

「必要な時に」

「すぐ取り出せる」

「そこまでできて、初めて残っていると言えます」

梶原は、その言葉を、何度も繰り返した。

電話を切ったあとも、怖さは消えなかった。

決めることは、今までと同じように怖かった。

でも、決めないことにも結果がある。

そのことだけは、もう分かってしまった。

梶原は、初めて、怖さを抱えたまま前へ進むことを選んだ。

五十七棟の再編方針は、まもなく最後の検証を迎えようとしていた。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら