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第3巻 第12話

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p>住民説明会の三日前、梶原は市長室に呼ばれていた。

「ガソリンスタンドの件、最終確認したい」

西條市長は、資料を前に置いていた。隣には、奥田副市長が座っている。

「土地の買収額、改修費、運営移管。すべて、もう一度説明してくれ」

梶原は、頷いた。これまで、この場で何かを説明するときは、いつも津久見か来島に同席を依頼していた。今日は、一人で説明することを選んだ。

「査定額で土地を買収します。防災拠点として整備し、燃料備蓄と自家発電設備を設けます。運営は地域運営組織に移管します」

「移管する、のであれば」奥田副市長が、資料をめくりながら聞いた。「他の57棟との公平性は、どう説明するんですか。なぜ、この1棟だけ、こういう特別な扱いをするのか」

これまで、このような問いは津久見が答える場面だった。

「他の施設には適用しない、特別な扱い、ということではありません」

梶原は、言葉を選びながら続けた。

「57棟の方針の中には無かった、行政以外の主体に委ねる、というパターンの試行です。今後、同じパターンが当てはまる施設には、同じ枠組みを使います。この1棟だけの話ではありません」

「試行、というと、まだ実績がない、ということですよね」

「ありません。だから、慎重に進めてきました」

「慎重に進めたことは結構です。財政的な妥当性は、どう説明しますか」

奥田副市長は、引かなかった。

「土地の買収と改修で、約3,200万円。一方、何もしなければ、この地区の生存基盤――燃料供給、医療への送迎、生活物資の確保――が失われます。それを別の手段で代替する場合のコストを、概算で出しました」

梶原は、資料の一枚を、奥田の前に置いた。

「代替手段の概算コストは、年間でこの金額です。10年で見れば、買収・改修費を上回ります」

奥田は、その資料を、しばらく黙って見ていた。

「概算ですね」

「概算です。ですが、何もしないことのコストを、初めて数字にしました」

西條市長は、それまで黙って聞いていた。

「梶原くん」

「はい」

「住民は、この話を、どう受け止めると思う」

梶原は、その問いに、すぐには答えられなかった。これは、奥田の問いとは違う種類の問いだった。

「分かりません。ただ」

「ただ、何だ」

「浜田さんが、地域運営組織を、自分で立ち上げると言いました。宮地さんも、施設管理を担うと言いました。誰かに押し付けられたからではなく、彼らが決めたことです。その取組を住民たちが、どう受け止めるのかは、私には予測できません。ただ、行政から押し付けられた話ではない、ということだけは、確かです」

市長は、しばらく窓の外を見ていた。

「宮地さんの店が、なくなることに、変わりはないんだな」

「変わりはありません。店はなくなります。でも、その場所で続いていたものは、別の形で残ります」

「別の形、というのは、君が決めたことか」

「いえ。津久見さんが制度の枠を整理しました。来島さんが、人と役割の枠を整えました。中身を決めたのは浜田さんたちです。私は、それを行政として引き受けると決めただけです」

市長は、その答えを、しばらく黙って受け止めていた。

「それだけ、というほど、簡単なことではないと思うが」

「簡単では、ありませんでした」

梶原は、それだけ答えた。これまで二十年、様子を見ましょう、と言い続けてきた自分にとって、その一言を口にすることは、確かに簡単ではなかった。

「分かった」

西條市長は、資料に判を押した。

「住民説明会は、予定通り進めてくれ」

奥田副市長は、それ以上何も言わなかった。だが、資料を閉じる前に、もう一度、概算コストの一枚に目を落としていた。

住民説明会の会場には、市内各地区の住民が集まっていた。沿岸部から、山間部から、中心部の商店街関係者まで、普段は顔を合わせることのない人々が、同じ会場に並んでいた。その中に、港ノ浦から来た浜田一郎、宮地清、田所和子、松岡勇の姿もあった。梶原にとって、見慣れた顔だった。

梶原は、原稿を持たなかった。原稿を作ろうとした夜が、何度もあった。だが、どの原稿も、書き終える前に破棄した。原稿に書ける言葉は、結局、誰かから借りた言葉だ。今、ここで話すべきなのは、自分の言葉でなければならないと、梶原には分かっていた。

「廃止する施設があります。湊原市全体で23棟です」

梶原は、自分の言葉で話し始めた。声が震えていないか、自分でも分からなかった。だが、震えていたとしても、それを隠そうとは思わなかった。

「でも、なくなるのは、建物だけです。暮らしまで無くすための計画ではありません。サービスは、できる限り別の形で残します」約9割は、形を変えて続けられる見込みです」

会場は、静かだった。誰も、拍手はしなかった。だが、誰も、声を荒らげることもなかった。その静けさを、梶原は、悪いものとは感じなかった。

説明会の後、津久見と来島は、庁舎の前で並んで立っていた。

津久見が、口を開いた。

「建物を削減するのは方針どおりでした。ですが、ここまでサービスを残せたのは、来島さんの設計のおかげです」

来島は首を横に振った。

「私は、人と役割を示しただけです。今回は、仕組みは設計していません。あなたが立ち止まったことで見えてきた選択肢です」

「私が立ち止まったのは、法と数字の枠の外だからです」

津久見が答えると、来島は頷いた。

「その通りです。あなたが測れないような問いならば、私は、枠の外を考えざるを得ませんでした」

その言葉に、津久見は何も返さなかった。

「でも役割を押し付けることはできません。今回、地域の暮らしを残せたのは、役割に手を挙げて下さった皆さんのおかげです」

説明会が終わったあと、西條市長が、梶原の方に歩いてきた。

「遅かったな」

それだけ言って、市長は会場を後にした。

市長の背中が見えなくなってから、

梶原は、小さく呟いた。

「遅かった、か」

二十年。

その二文字を口にするまでに、

かかった時間だった。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら