つなぐ人
「ガソリンスタンドの件、最終確認したい」
西條市長は、資料を前に置いていた。隣には、奥田副市長が座っている。
「土地の買収額、改修費、運営移管。すべて、もう一度説明してくれ」
梶原は、頷いた。これまで、この場で何かを説明するときは、いつも津久見か来島に同席を依頼していた。今日は、一人で説明することを選んだ。
「査定額で土地を買収します。防災拠点として整備し、燃料備蓄と自家発電設備を設けます。運営は地域運営組織に移管します」
「移管する、のであれば」奥田副市長が、資料をめくりながら聞いた。「他の57棟との公平性は、どう説明するんですか。なぜ、この1棟だけ、こういう特別な扱いをするのか」
これまで、このような問いは津久見が答える場面だった。
「他の施設には適用しない、特別な扱い、ということではありません」
梶原は、言葉を選びながら続けた。
「57棟の方針の中には無かった、行政以外の主体に委ねる、というパターンの試行です。今後、同じパターンが当てはまる施設には、同じ枠組みを使います。この1棟だけの話ではありません」
「試行、というと、まだ実績がない、ということですよね」
「ありません。だから、慎重に進めてきました」
「慎重に進めたことは結構です。財政的な妥当性は、どう説明しますか」
奥田副市長は、引かなかった。
「土地の買収と改修で、約3,200万円。一方、何もしなければ、この地区の生存基盤――燃料供給、医療への送迎、生活物資の確保――が失われます。それを別の手段で代替する場合のコストを、概算で出しました」
梶原は、資料の一枚を、奥田の前に置いた。
「代替手段の概算コストは、年間でこの金額です。10年で見れば、買収・改修費を上回ります」
奥田は、その資料を、しばらく黙って見ていた。
「概算ですね」
「概算です。ですが、何もしないことのコストを、初めて数字にしました」
西條市長は、それまで黙って聞いていた。
「梶原くん」
「はい」
「住民は、この話を、どう受け止めると思う」
梶原は、その問いに、すぐには答えられなかった。これは、奥田の問いとは違う種類の問いだった。
「分かりません。ただ」
「ただ、何だ」
「浜田さんが、地域運営組織を、自分で立ち上げると言いました。宮地さんも、施設管理を担うと言いました。誰かに押し付けられたからではなく、彼らが決めたことです。その取組を住民たちが、どう受け止めるのかは、私には予測できません。ただ、行政から押し付けられた話ではない、ということだけは、確かです」
市長は、しばらく窓の外を見ていた。
「宮地さんの店が、なくなることに、変わりはないんだな」
「変わりはありません。店はなくなります。でも、その場所で続いていたものは、別の形で残ります」
「別の形、というのは、君が決めたことか」
「いえ。津久見さんが制度の枠を整理しました。来島さんが、人と役割の枠を整えました。中身を決めたのは浜田さんたちです。私は、それを行政として引き受けると決めただけです」
市長は、その答えを、しばらく黙って受け止めていた。
「それだけ、というほど、簡単なことではないと思うが」
「簡単では、ありませんでした」
梶原は、それだけ答えた。これまで二十年、様子を見ましょう、と言い続けてきた自分にとって、その一言を口にすることは、確かに簡単ではなかった。
「分かった」
西條市長は、資料に判を押した。
「住民説明会は、予定通り進めてくれ」
奥田副市長は、それ以上何も言わなかった。だが、資料を閉じる前に、もう一度、概算コストの一枚に目を落としていた。
住民説明会の会場には、市内各地区の住民が集まっていた。沿岸部から、山間部から、中心部の商店街関係者まで、普段は顔を合わせることのない人々が、同じ会場に並んでいた。その中に、港ノ浦から来た浜田一郎、宮地清、田所和子、松岡勇の姿もあった。梶原にとって、見慣れた顔だった。
梶原は、原稿を持たなかった。原稿を作ろうとした夜が、何度もあった。だが、どの原稿も、書き終える前に破棄した。原稿に書ける言葉は、結局、誰かから借りた言葉だ。今、ここで話すべきなのは、自分の言葉でなければならないと、梶原には分かっていた。
「廃止する施設があります。湊原市全体で23棟です」
梶原は、自分の言葉で話し始めた。声が震えていないか、自分でも分からなかった。だが、震えていたとしても、それを隠そうとは思わなかった。
「でも、なくなるのは、建物だけです。暮らしまで無くすための計画ではありません。サービスは、できる限り別の形で残します」約9割は、形を変えて続けられる見込みです」
会場は、静かだった。誰も、拍手はしなかった。だが、誰も、声を荒らげることもなかった。その静けさを、梶原は、悪いものとは感じなかった。
説明会の後、津久見と来島は、庁舎の前で並んで立っていた。
津久見が、口を開いた。
「建物を削減するのは方針どおりでした。ですが、ここまでサービスを残せたのは、来島さんの設計のおかげです」
来島は首を横に振った。
「私は、人と役割を示しただけです。今回は、仕組みは設計していません。あなたが立ち止まったことで見えてきた選択肢です」
「私が立ち止まったのは、法と数字の枠の外だからです」
津久見が答えると、来島は頷いた。
「その通りです。あなたが測れないような問いならば、私は、枠の外を考えざるを得ませんでした」
その言葉に、津久見は何も返さなかった。
「でも役割を押し付けることはできません。今回、地域の暮らしを残せたのは、役割に手を挙げて下さった皆さんのおかげです」
説明会が終わったあと、西條市長が、梶原の方に歩いてきた。
「遅かったな」
それだけ言って、市長は会場を後にした。
市長の背中が見えなくなってから、
梶原は、小さく呟いた。
「遅かった、か」
二十年。
その二文字を口にするまでに、
かかった時間だった。
この話のFM豆知識
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※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
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