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第3巻 第5話

消防団の詰所

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消防団詰所は、57棟の方針の中で「広域統合」というパターンを試す事案として選ばれていた。市内11箇所のうち、山間部・上野々地区の詰所が、団員の減少が最も進んでいるとして、検証の対象になった。

「市内11箇所、築51年。広域統合すれば、個別改修の4億2,000万円が、1億1,000万円まで下がります」

津久見は、詰所の机で資料を広げた。統合の効果は、津久見にとって、これまでの現場で何度も使ってきた、最も説得力のある種類の数字だった。差が大きく、機能は代替できる。こういう案件は、自分の専門性が一番分かりやすく機能する領域だと思っていた。

「数字はそうなんでしょうね」

松岡勇(50代後半)は、詰所の壁にかけられた古い消防服を見ながら言った。消防団歴二十五年、地元の建設業者でもある松岡の腕は、長年の現場仕事で太く節立っていた。

「数字はそう、というと、納得されていない、ということですか」

「納得とかしないとか、そういう話じゃないんです」

松岡が、津久見を睨んだ。

「詰所がなくなったら、ここの若いやつらは、もう練習に来なくなりますよ」

「なぜですか。練習場所がなくなるからですか」

「練習だけなら、別の場所でもできる。でも、ここに来る、ということ自体が、続ける理由になってる」

「具体的にはどういうことですか」

津久見が質問を重ねると、松岡が少し苛立った様子で答えた。

「具体的にと言われても、説明できないから困ってるんです。あんたらは、説明できるものしか、数字にしないでしょう。俺たちが守ってきたものを、あんたは数字にできるのか」

松岡が、声に怒りを滲ませた。

「全部残せ、とは言わん。ただ、11箇所を4箇所にする必要が、本当にあるのか」

「4箇所という数字は、車両の配置と出動時間から、消防と協議して出した数字です。それより多く残せば、更新費用の削減効果が、目標の半分以下になります」

「目標があるから、俺たちに引け、ということか」

松岡の言い分は、感情としては分かる。だが、11箇所を維持したまま更新すれば、他の46棟に回す財源が、それだけ目減りする。全てを守ることはできない。

津久見は、資料の別の一枚を取り出した。「詰所そのものは統合します。ただし、訓練の場としての機能は、別に考えることはできます。上野々の建物は解体しますが、器具置き場と、簡易な訓練スペースを残せます」

松岡は、しばらく黙っていた。

「器具置き場と訓練スペースだけ残す……」

視線は壁に掛かった消防服から動かなかった。

「それで若いやつが残ると思いますか」

津久見は答えなかった。

松岡が続けた。

「詰所っていうのは、建物じゃないんですよ。仕事帰りに寄って顔を合わせる。消防車を磨きながら話をする。新人が先輩に教わる。火事がなくても、そこに人が集まる。それが消防団なんです」

「統合すれば、そこまで来る理由がなくなる。来る人間は減るでしょう」

津久見は静かに聞いていた。

「数字には出ません」

松岡は津久見を見た。

「団員が一人辞めることを、あんたの数字は測れますか」

津久見は少し考えてから答えた。

「今の資料では測れていません」

松岡は意外そうな顔をした。

言い返されると思っていたのだろう。

「だからと言って、統合しなくていいとも言えません」

津久見は続けた。

「十一か所を維持すると、更新費用だけで四億二千万円になります。その財源を確保できません」

「だから四か所にする」

「はい」

「その代わりに、地域で訓練を続ける場所だけは残します」

松岡は小さく息を吐いた。

「完全には納得できん」

「私も、これで全部解決するとは思っていません」

津久見は正面から答えた。

「ただ、今の条件で示せる案としては、これが限界です」

松岡は壁の消防服をもう一度見上げた。

「反対しても、変わらないんだろう」

「方針そのものは変わりません」

「だったら」

少し間を置いて、松岡が言った。

「器具置き場だけでも残してくれ。若いやつが集まる理由を、一つでも残してやりたい」

梶原は、その背中を見送りながら、住民説明会の資料を思い浮かべていた。4箇所への統合は、財政上、動かせない。だが、松岡たちの反発を、ただ押し切ったという形にはしたくなかった。

住民説明会で、質問に答えるのは、梶原の役割だ。こればかりは、外部のコンサルに任せることはできない。梶原は、そう決めていた。

「なぜ、詰所を減らすんですか」

「更新費用の総額を、市の財政では負えないからです。11箇所を維持すれば、他の施設に回す財源が、それだけ減ります」

「訓練スペースだけ残す、というのは、気休めじゃないんですか」

「気休めだと言われれば、否定はできません。ただ、何も残さないより、少しでも残す方を、私たちは選びました」

梶原は、原稿を見ずに、そう答えた。会場の後方に、腕を組んだ松岡がいた。発言はなかった。

説明会のあと、津久見は梶原に聞いた。

「松岡さんの反発は、収まっていませんね」

「収まるとは思っていません」

梶原は会場の出口を見た。

「十一か所を四か所に統合する方針は、財政上も、消防体制上も変えられません」

少し間を置いて続けた。

「住民の希望を全部かなえることはできません。今回は、その線を引く必要がありました」

津久見は梶原を見た。

以前なら、「もう少し様子を見ましょう」と言っていた人とは思えなかった。

「ただし」

梶原は続けた。

「線を引いたあとに何が起きるかは、見続けます」

「何を見ますか」

「団員が減るのか。訓練に来なくなるのか。地域の消防活動が維持できるのか」

梶原は資料を閉じた。

「もし松岡さんの言ったとおりになったら、統合のやり方を見直します」

津久見は少し考えてから、自分の資料に書き加えた。

・団員数の推移

・訓練参加率

・地域活動の継続状況

・出動時間

・資機材管理への影響

「これを統合後の検証項目にします」

「お願いします」

梶原は静かに頷いた。

決めることは、終わりではない。

決めた結果を見届けることまでが、自分たちの責任なのだと、ようやく思えるようになっていた。

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つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら