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第1巻 第15話

包括管理という手段

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深夜。

長谷の自宅。

掲示板を開くと、中性化から新しい書き込みが届いていた。

「包括管理委託を検討しろ。

施設ごと、業務ごとに分かれている保守点検、清掃、修繕などをまとめて発注し、民間事業者に一括して管理させる方式だ。発注事務を減らし、業務の重複を整理できる。規模をまとめることで、維持管理費を抑えられる可能性もある。

ただし、これまで個別に受注してきた地元業者との衝突は覚悟しろ」

翌朝。

管財課。

長谷は、中性化の書き込みを石末に見せた。

石末は一通り読むと、低い声で言った。

「理屈は通っている」

「導入する価値はありますか」

「ある。施設ごとにばらばらに発注するより、点検や修繕の情報も集約しやすい」

石末は少し黙った。

「ただし、地元業者は傷つく」

「はい」

「二十年、三十年と役所の仕事をしてきた業者もいる。顔を知っている人間が仕事を失うのを見るのは、きついぞ」

長谷は頷いた。

「もう一つ、気になっていることがあります」

「何だ」

「包括管理委託に任せる範囲が増えれば、俺たちが現場を直接見る機会が減ります。職員の技術的な判断力が落ちていく可能性があります」

石末は、すぐには答えなかった。

「わかっている」

図面の上に手を置く。

「仕組みが便利になるほど、自分で現場へ行く理由は減る。報告書だけを見て、建物を見た気になる職員が増えるかもしれない」

「コストだけを見て導入すると、別のものを失う」

「そういうことだ」

その夜。

長谷が掲示板に懸念を書き込むと、中性化から続きが届いた。

「包括管理委託を導入するなら、地域企業が参入できる余地も設計しろ。

ただし、特定の地元業者を使うよう受託者へ求めるのは駄目だ。競争性と公平性を損なう。

考えられる方法はいくつかある。

地域の維持管理体制への貢献や、災害時の対応力を、客観的な評価項目として設定する。

地域企業との連携体制を提案させる。

高度な専門性や施設固有の事情がある業務は、一括発注に含めず、合理的な理由を示したうえで別契約にする。

小規模事業者でも参加しやすい業務区分や契約規模を検討する。

どの方法も、応募者すべてに同じ条件で開かれていなければならない。発注方式と仕様書の設計が重要だ」

翌日。

石末は図面から顔を上げずに言った。

「この建物を何十年も見てきた地元業者は、図面に載っていないことを知っている」

「図面に載っていないこと?」

「どこを過去に補修したか。雨が強いとき、どこから水が回るか。どの配管が図面どおりに施工されていないか」

石末は古い改修図を指で叩いた。

「大手には人も技術もある。だが、その建物に固有の記憶までは持っていない」

図面を置き、長谷を見た。

「もう一つある」

「何ですか」

「十年後、この街に施設を直せる職人が残っているかだ」

長谷は黙って続きを待った。

「包括管理で地域の受注機会が急に減れば、小さな業者は若手を採れなくなる。仕事がなければ、技術を教える相手も雇えない」

石末は腕を組んだ。

「施設を半分に減らしても、残した施設を直せる人間がいなくなれば、維持できない」

施設マネジメントの持続可能性と、地域の建設産業の持続可能性。

二つは、別の問題ではなかった。

長谷は、その問いを抱えたまま試行仕様書を作成した。

千々岩へ方針を報告すると、返事は短かった。

「地元企業への影響は、議会にも直結する」

「はい」

「いきなり全施設へ広げるな。まず限定した施設で試行しろ」

千々岩は仕様書案をめくった。

「試行対象は、客観的な基準で選べ。施設数、業務内容、現在の契約額、既存事業者への影響。なぜその範囲にしたのか、決定する前に文書へ残しておけ」

「後から理由を作るな、ということですね」

「そうだ。結果が出てから都合のいい説明を加えれば、必ず疑われる」

数か月後。

包括管理委託の試行結果がまとまった。

対象施設における同一範囲の維持管理費は、前年度比で一八パーセント減少していた。全市へ単純に換算すれば、年間約三千万円の削減に相当する。

ただし、まだ試行施設だけの結果だ。

業務品質や緊急対応、施設職員の負担まで含めて、今後も検証する必要がある。

それでも、管財課には久しぶりに明るい空気が流れていた。

「数字は出たな」

石末が報告書を見ながら言った。

「はい。発注事務も減っています。緊急修繕の連絡先も一本化できました」

「地元業者からの反応は?」

「設備や専門工事を担当した地域企業からは、今のところ大きな問題は出ていません」

長谷は言葉を切った。

「ただし、包括契約に含めた清掃や軽微な修繕について、従来の契約を失った業者があります」

「そっちは、黙っていないだろうな」

「……はい」

数日後。

管財課の入口で、大きな声が響いた。

「包括管理の担当者は誰だ」

地元で清掃業を営む坂本義雄だった。五十代。顔を紅潮させている。

長谷は立ち上がった。

「私が担当しています」

「あんたか」

坂本が長谷の前まで来た。

「うちは二十年間、市の施設を清掃してきた。今年から仕事がなくなった。大手の包括管理に全部持っていかれた。どういうことだ」

「今回の試行では、清掃業務を一括契約に含めました。競争入札の結果――」

「その入札に、うちは参加できなかった」

坂本が遮った。

「何十施設もまとめて管理する人員も、保証を出す体力もない。大手と共同で参加しろと言われても、そんなつながりもない」

「募集条件そのものが、小規模な事業者には参加しにくかったということですね」

「参加しにくいんじゃない。事実上、参加できなかったんだ」

坂本は机を叩いた。

「行政が入札をしたと言えば、公平に聞こえる。だが、最初から入れない大きさにまとめたら、結果は決まっているじゃないか」

長谷は答えられなかった。

坂本の指摘には、筋が通っていた。

「専門工事については、一括契約から外し、別に発注できるようにしています」

「清掃は専門工事じゃないから、切られても仕方がないということか」

「そういう意味ではありません」

「うちは二十年間、一度も重大な問題を起こしていない」

坂本の声が震えた。

「施設の職員の顔も、汚れやすい場所も、全部知っている。それでも、値段と会社の規模で切られる。では、俺たちは何をすればよかったんだ」

長谷は、しばらく黙った。

「正直にお答えします」

坂本が長谷を見る。

「包括管理委託を試行した判断自体は、妥当だったと考えています。費用と発注事務を減らし、施設情報を集約する効果が確認できました」

「なら、俺たちは仕方がないと言うのか」

「いいえ」

長谷は首を振った。

「坂本さんのような小規模事業者が、競争へ参加しにくい発注条件だったことも事実です。その影響を十分に緩和できなかった点は、制度設計が不十分でした」

坂本が意外そうな顔をした。

「……不十分だったと認めるのか」

「認めます」

「では、包括管理をやめるのか」

「やめるつもりはありません」

長谷は坂本を見た。

「ただし、次の契約では、業務をまとめる範囲、地域企業が参加できる方法、受託者との連携方法を検討し直します」

「うちへ仕事を戻すということか」

「その約束はできません」

坂本の表情が再び険しくなった。

「特定の事業者へ将来の仕事を約束することは、公務員としてできません。仕様も、特定の会社が有利になる形にはできません」

「では、何をする」

「商工会などを通じて、公開の意見交換の場を設けます」

長谷は答えた。

「現在の発注条件のどこが、小規模な事業者にとって参加しにくいのか。地域企業が持っている施設情報や緊急対応力を、競争性を損なわずにどう評価できるのか。坂本さんの二十年の経験も、そこで聞かせてください」

坂本は、黙って長谷を見た。

「……正直だな」

「申し訳ありません」

「謝罪を聞きに来たわけじゃない」

「はい」

「答えは、それだけか」

「今日お答えできるのは、そこまでです」

長谷は頭を下げた。

「次の契約をどうするかは、公開の手続で決めます。坂本さん個人に有利な約束はできません。ただ、今回の影響をなかったことにはしません」

長い沈黙のあと、坂本は立ち上がった。

何も言わず、管財課を出ていく。

長谷は、その背中を見送った。

追いかけなかった。

施設の利用者には、「修繕の実現に向けて努力する」と言えることがある。

だが、発注者である行政が、特定の業者へ次の仕事を約束することはできない。

そこには、越えてはならない線があった。

「……それでいい」

石末が言った。

「できない約束をしなかった。判断からも逃げなかった」

「でも、何も解決していません」

「そうだな」

石末は坂本が出ていった扉を見た。

「坂本さんは前に言っていた。息子は会社を継がない。職人も、ほとんど六十代だと」

「次の仕様書で参加しやすくしても、十年後に会社が残っているとは限らない」

「そういうことだ」

「担い手の問題は、仕様書だけでは解決できない……」

「包括管理の問題より、もっと深いところにある」

その夜。

商工会を通じて、地元事業者の有志が倉持議員へ陳情した。

翌日、倉持は市長秘書室へ乗り込んだ。

「千々岩。包括管理委託で、地元業者が仕事を失っているぞ」

「試行事業の影響については、管財課が調査しています」

「専門工事は別発注にしたそうだな」

「はい」

「では、清掃業者や小規模な修繕業者はどうなる」

倉持は千々岩を睨んだ。

「一括契約へ参加できず、下請けにも入れない会社が出ている。市が経費を削るために、地域の雇用を削っているということじゃないのか」

「その点も含め、次回契約の見直しを――」

「見直すと言っている間に、会社は潰れる」

倉持は言い切った。

「議会で取り上げる。包括管理でいくら削減し、その陰で何社が仕事を失ったのか、説明してもらう」

倉持が帰ったあと、千々岩は長谷を呼んだ。

「倉持議員が、次の議会で包括管理を取り上げる」

「はい」

「答弁に立つ覚悟はあるか」

「あります」

千々岩は長谷の表情を確かめた。

「逃げないんだな」

「妥当だと考えて実施した施策で、正当な怒りを受けました」

長谷は答えた。

「判断が正しかったと言うだけでは済みません。何が足りなかったのか、議会で説明します」

千々岩は、少しだけ表情を緩めた。

「坂本さんに、公開の場で意見を聞かせてほしいと伝えたそうだな」

「はい」

「個別に仕事を約束しなかったことも正しい」

千々岩は机上の資料を長谷へ渡した。

「議会でも同じ姿勢を崩すな。影響を認めろ。だが、謝って終わるな。何を維持し、何を変えるのかを示せ」

議会。

倉持議員が質問席に立った。

「包括管理委託について伺う」

倉持は資料を掲げた。

「市は、維持管理費を削減したと成果を強調している。その一方で、長年、市の施設を支えてきた地域企業が契約を失った」

議場が静まる。

「管財課は、地元業者の仕事を大手事業者へ移した。この選択を、市民へどう説明するのか」

長谷が答弁席に立った。

「今回の試行によって、一部の地域企業が従来の契約を失ったことは事実です」

「影響を把握していたのか」

「包括化によって受注機会が減る事業者が生じることは想定していました。そのため、一部の専門業務は一括契約から除外しました」

長谷は続けた。

「しかし、清掃や軽微な修繕を担ってきた小規模事業者が、包括契約の競争へ参加しにくい点について、対応が十分ではありませんでした」

「不十分だったと認めるのか」

「はい」

議場がわずかにざわついた。

倉持が尋ねる。

「では、包括管理委託を撤回するのか」

「撤回は考えていません」

長谷は答えた。

「試行では、同一範囲の維持管理費が前年度比で一八パーセント減少しました。発注事務の削減や、施設情報の集約にも効果が確認されています」

「地元業者の犠牲によって得た削減ではないのか」

「その指摘を軽く受け止めることはできません」

長谷は資料を開いた。

「次回の発注では、業務をまとめる範囲、小規模事業者が参加できる契約区分、地域企業との連携体制を、競争性と公平性を確保したうえで見直します」

「具体的にはどう進める」

「商工会を通じ、公開の意見交換を実施します。そこで出された意見と市の対応方針も、公表します」

「地元業者へ仕事を確保するのか」

「特定の事業者への受注を保証することはできません」

長谷は明確に答えた。

「ただし、地域企業が持つ施設固有の知識、緊急対応力、災害時の地域体制を、発注上どのように評価できるか検討します」

倉持は、さらに尋ねた。

「それで、十年後も地元の職人が残るのか」

「それだけでは足りません」

長谷は一度、息を整えた。

「今回の影響は、包括管理委託の発注方式を見直すことで、一定程度改善できると考えています」

議場を見渡す。

「しかし、地域企業の後継者不足や、技術者・技能者の高齢化は、発注方式だけで解決できる問題ではありません。市が地域企業へ求める技術、将来必要となる工事量、人材育成の在り方を、産業政策も含めて検討する必要があります」

倉持は黙った。

長谷は続けた。

「包括管理委託による効率化を進めながら、地域の維持管理能力を失わない方法を考える。それが、今回の試行から明らかになった次の課題です」

しばらく沈黙が続いた。

倉持は資料を机へ置いた。

「……効率化の陰で何が失われるか、忘れるな」

「はい」

「公開の意見交換は、必ず実施するんだな」

「実施します」

「なら、その結果を議会へ報告してもらう」

「承知しました」

追及は終わった。

長谷は議論をかわさなかった。

包括管理の効果も、地域企業が受けた影響も、どちらも議会の記録に残せた。

「管財課が悪いかどうか」だけでの問いではなくなった。

この街の施設を、誰が十年後に直すのか。

議会で、その問いを初めて共有することができた。

深夜。

地下資料室。

萬代は、黒い冊子を開いていた。

財政余力を示す数字が、わずかに上がっている。

一方で、地域の技術継承を示す指標は下がっていた。

改善と悪化が、同じページに並んでいる。

余白には、以前はなかった小さな文字が浮かんでいた。

――地域維持管理体制・要確認。

萬代は、その文字を指でなぞった。

「一つを良くすれば、別の何かが弱くなる」

冊子を閉じる。

「だが、弱ったものから目を逸らさなかった」

黒から灰色へ変わりつつある表紙に、そっと手を置いた。

「それが、今日動いた数字なのかもしれんな」

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら