ep113

自治体FM物語第1巻 › 第13話
第1巻 第13話

記録が語ること

この話の公開状況
状態

← 第1巻 目次に戻る

大浜公民館。

建物には使用制限がかかり、一部の部屋が閉鎖されていた。

石末は、先日行った応急処置の状態を確認しながら、雨漏り箇所や外壁を点検している。

長谷も台帳と図面を手に、建物の状態を調べていた。

使用制限をかけた。

応急処置を行った。

次年度の優先候補として、個別施設計画にも記載した。

だが、この建物は今も老い続けている。

長谷は、古い廊下を歩いた。

壁には、地域行事の写真が並んでいる。

夏祭り。

子ども会。

老人クラブの集会。

色褪せた写真の中に、この建物で積み重ねられてきた時間が残っていた。

長谷は、これまで何百棟もの廃墟を見てきた。

使われなくなり、看取られることもなく朽ちていく建物にも、人が生きていた痕跡は残る。

閉鎖中の会議室へ入った。

椅子と机は、使用を止めた日のまま並んでいる。少し前まで、誰かがここで会議をしていたことがわかる。

長谷は図面を開き、現在の壁や柱の位置と照らし合わせた。

部屋の隅に、古い書類棚があった。

館長の許可を得て中を確認すると、竣工当時の図面や建設資料が残されていた。

その一冊を開く。

設計者が書いたと思われる手書きのメモが、図面の余白に残っていた。

「昭和五十一年三月。基礎工事完了。予算内に収めるため設計変更を調整中。集会室の面積は死守できそうだ」

別のファイルには、当時の自治会の議事録が綴じられていた。

「公民館建設に関する住民投票を実施。賛成八十二パーセント。この施設を地域の核とし、子どもから高齢者まで利用できる場所とする。そのため、地域として応分の負担を受け入れる」

長谷は、しばらく資料から目を離せなかった。

当時の設計者は、限られた予算の中で、地域のために最善を尽くした。

住民も、自分たちの負担を受け入れて、この場所を作った。

誰も間違っていたわけではない。

それでも、時代が変わり、建物は老いた。

そして今、長谷たちは修繕の順番を決め、大浜公民館を後へ回した。

――二十年後、自分たちも同じように見られるのかもしれない。

そのとき、石末が会議室へ入ってきた。

「何かあったか」

「建設当時の資料です」

長谷は、設計者のメモと自治会の議事録を見せた。

「設計者も住民も、この建物が地域のためになると信じていました」

「そうだろうな」

石末は資料に目を落とした。

「俺が若い頃に見た建物も同じだ。造ったときには、必要だった。人口も増えていたし、利用者もいた」

「それが、時代が変われば重荷になる」

「建物は変わらなくても、街の方が変わるからな」

長谷は壁の写真を見た。

「その建物を壊す判断をするのが、俺たちの仕事なんでしょうか」

「壊すか残すかを決めるだけじゃない」

石末は答えた。

「そこで担っていた役割を、次にどうつなぐかを考えるのも仕事だ」

「大浜公民館については、まだ次の形を示せていません」

「だから、点検と応急処置を続ける。次年度の判断から外さない。今のお前にできるのは、それだ」

長谷は設計者のメモを見つめた。

「この建物を造った人たちに、恥ずかしくない判断をしないといけませんね」

「そうだな」

管財課へ戻ったあと、長谷は地下資料室を訪れた。

萬代は、ソファで黒い冊子を開いていた。

「萬代さん」

「どうした、若い管財官」

「この冊子の数字は、なぜ変わるんでしょう」

萬代は冊子から顔を上げた。

「わしにもわからん」

「三十年、この資料室にいたのに?」

「だからこそ、最初に見たときは驚いた」

「でも、今はあまり驚いていないように見えます」

萬代は冊子を閉じた。

「驚き続けても、何もわからんからな」

ドライエリアから差し込む光が、黒い表紙を斜めに照らしていた。

「この冊子が何を示しているにせよ、お前のすることは変わらん」

「俺のすること……」

「数字を集める。現場を見る。そこにいる人間の話を聞く。そして、判断する」

萬代は冊子の表紙に手を置いた。

「冊子の数字は、その結果についてきているだけなのかもしれん」

「建物を作った人の思いまで、数字に入っているんでしょうか」

「それはわからん」

萬代は穏やかに答えた。

「だが、数字に入っていないからといって、忘れてよいわけではない」

長谷は、大浜公民館で見た設計者のメモを思い出した。

「俺が廃墟を巡ってきたのも、似た理由だったのかもしれません」

「そうかもしれんな」

長谷は地下資料室を出た。

階段を上がりながら考えた。

まだ使える建物を、廃墟にしたくない。

それが、始まりだった。

だが今、自分がしているのは、守る建物と、後へ回す建物を選ぶ仕事だ。

すべてを守ることはできない。

だからといって、選ばなかった建物や、そこで過ごした人の時間を忘れてよいわけではない。

森下の顔。

設計者のメモ。

祭りの写真。

そのすべてを抱えたまま、決め続けるしかない。

長谷は階段を上り切った。

「……続けよう」

誰に聞かせるでもなく、呟いた。

数日後。

南小学校との複合化について、教育委員会と市長部局が正式に基本方針を発表した。

その日のうちに、SNSへ投稿が相次いだ。

「不特定の大人を学校に入れるのか」

「不審者対策はどうする」

「子どもの安全より施設削減を優先するのか」

「子どもを人質にして、公民館を閉鎖するな」

一部の投稿は急速に拡散された。

説明会で示した動線分離や安全管理の内容はほとんど触れられず、「学校へ大人が自由に出入りする計画」として情報が広がっていた。

管財課。

響矢が廊下へ目を向けた。

「上層部の足音が変わりました」

「どう変わりましたか」

長谷は尋ねた。

「市長室と教育委員会の間を、何人も速い足取りで行き来しています。複合化との距離を取りたい人が増えていると思います」

長谷は、画面上に並ぶ投稿を見た。

「千々岩さんに相談します」

市長秘書室。

千々岩は、長谷がまとめたSNS上の反応と、問い合わせ状況を確認した。

「炎上している最中に正面から反論すれば、さらに広がる」

「では、何もしない方がいいんでしょうか」

「何もしなければ、反対意見だけが世論として残る」

千々岩は資料を机に置いた。

「今すぐ計画を撤回するのも、正面から反論するのも悪手だ。少し時間を置きながら、正確な情報が届く経路を作る」

「公式に説明を出しますか」

「当然出す。安全対策、利用時間、動線分離、管理責任を整理して公表しろ」

千々岩は続けた。

「それだけでは足りない。説明会では、複合化を評価する住民もいたはずだ」

「いました」

「その人たちが意見を述べられる場も用意しろ」

長谷は少し迷った。

「行政が、支持する住民に発言を求めるということですか」

「支持意見を書けと頼むのは駄目だ」

千々岩は即座に答えた。

「計画に賛成でも反対でも、意見を提出できる場を作る。説明会の記録も公開する。関係団体には、意見募集を始めたことを平等に知らせる」

「声を上げる機会を知らせるだけ……」

「そうだ。何を言うかは住民が決める」

千々岩は長谷を見た。

「反対する者だけが住民ではない。黙っている者の意見も、政策判断には必要だ」

長谷は、中央地区公民館の利用団体を訪ねた。

最初は、囲碁クラブの代表だった。

「市が意見募集を始めます。複合化について感じていることを、賛成でも反対でも構いませんので、聞かせてください」

代表はゆっくり頷いた。

「私は、南小学校なら悪くないと思っています。歩いて行けますし、子どもの声を聞きながら碁を打つのも一興でしょう」

「その意見を、提出していただけますか」

「構いません。ただ、安全面で心配する人の気持ちもわかります。その点は、市にきちんとしてもらわないといけません」

次に、子育てサークルの代表と会った。

「放課後に使えるなら、今より便利になる可能性はあります」

代表は少し迷ってから言った。

「でも、賛成だと言うと、子どもの安全を軽く考えていると思われそうで、言いにくかったんです」

「安全への不安も含めて、そのまま書いてください」

「賛成か反対か、どちらか一方を選ばなくてもいいんですか」

「はい。条件付きの賛成でも、懸念の表明でも構いません」

自治会長は、資料を読みながら答えた。

「公民館がなくなるのは寂しい。ただ、何も残らないより、南小学校に新しい場ができる方がいい」

「市の意見募集について、地域にも知らせていただけますか」

「知らせます。ただし、賛成を取りまとめるつもりはありません。それぞれが考えて出せばいい」

「それでお願いします」

市は、複合化計画の説明資料をウェブサイトで公開した。

児童と地域利用者の動線。

利用可能な曜日と時間。

防犯設備。

受付方法。

責任分担。

寄せられた主な質問への回答。

同時に、賛否を問わず意見を提出できる窓口を設け、説明会の議事概要も公開した。

数日後。

反対意見は依然として多かった。

「対策を書いても、事故が絶対に起きないとは言えない」

「学校は教育だけに使うべきだ」

そうした声は消えなかった。

一方で、これまで表に出ていなかった意見も届き始めた。

「中央地区公民館の活動場所が残るなら、複合化を支持する」

「南小学校は近く、移動の負担が少ない」

「安全対策が実施されるなら、地域と学校がつながる機会になると思う」

「賛成だが、夜間の騒音対策は必要」

単純な賛否だけではなく、条件や懸念を伴った意見が増えていった。

SNS上の反応も、少しずつ変わった。

強い言葉だけが拡散されていた状態から、計画の具体的な内容や、安全対策を確かめようとする投稿が見られるようになった。

響矢が、意見集計の画面を見ながら言った。

「反対意見がなくなったわけではありません」

「はい」

「でも、反対だけが住民の総意だとは言えなくなりました」

「千々岩さんの言ったとおりでしたね」

響矢は少し考えた。

「最初は、行政が支持者を使っているように感じました」

「俺も少し抵抗がありました」

「でも、市は賛成意見を書かせたわけではありません。意見を出せることを、関係者に知らせただけです」

響矢は、条件付き賛成の意見を開いた。

「実際に書いた人たちは、自分の懸念も一緒に書いています。誰かに言わされた文章ではありません」

「声を上げたのは、住民自身です」

「はい」

響矢は頷いた。

「行政がしたのは、黙っていた意見にも届く経路を作ったことです」

長谷は、集まった意見を見た。

反対だけではない。賛成も、迷いも、条件付きの意見も、ようやく同じ場所に並んでいた。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら