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第1巻 第11話

委員会は動いているか

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本庁一階ロビー。

千々岩は、推進委員会へ向かうため、エレベーターを待っていた。

近くの相談窓口には、市民が数人並んでいる。

「また相談に来たのよ。集会所の件で」

高齢の女性が、隣の男性に話していた。

「担当の人が変わるたびに、最初から説明し直さなきゃいけなくて。前に渡した資料も、どこへ行ったのかわからないって」

男性が苦笑した。

「うちも同じだよ。児童館の雨漏りは、これで三回目だ。毎回『確認します』と言われるけど、その後は何もない」

エレベーターの扉が開いた。

千々岩は何も言わず乗り込み、三階のボタンを押した。

扉が閉じる直前まで、二人の声が聞こえていた。

本庁大会議室。

第五回公共施設等総合管理推進委員会。

長谷が、中央地区公民館と南小学校の複合化について進捗を報告していた。

「教育委員会との合同検討会を設置し、施設管理区分と安全管理体制の整理を進めています。財源協議に時間を要するため、完成時期は当初予定より一年遅れますが、来年度中の着工を目指します」

委員たちが頷いた。

資料には工程表が示され、会議は滞りなく進んでいる。

表面だけを見れば、全庁的な取組は順調だった。

説明が終わると、千々岩が出席者を見渡した。

「各部局の取組状況について、報告をお願いします」

教育委員会の課長が資料を開いた。

「推進委員会の方針に基づき、学校施設の日常点検体制を整備しています。各校へ点検シートを配布しました」

福祉部長も続いた。

「福祉施設についても、施設管理者へ点検の実施を依頼しています」

建設部からも、同様の報告があった。

どの部局も、方針に従って進めているという。

反対意見はない。

会議は予定どおり終了した。

廊下では、石末が長谷を待っていた。

「どう見た。今日の委員会」

長谷は少し考えてから答えた。

「順調に見えました」

「見えた、か」

「はい。でも、何かがおかしいんです」

「何がだ」

「どの部局も、『方針に従っている』『シートを配った』とは言います。でも、何施設で点検を実施して、どんな異常を見つけたのかは誰も報告しませんでした」

石末は鼻から息を吐いた。

「形だけは整ったということだ」

「委員会に出席して、資料を配って、報告する。それで取組を進めたことになる。でも、現場が変わったかはわからない」

「昔も同じだったらしい」

「昔?」

「諫山さんが現役だった頃だ」

石末は歩きながら続けた。

「十年ほど前にも、施設を全庁で管理する仕組みを作ろうとした。会議も、資料も、計画案もあった。だが、各部局は自分たちの仕事を変えなかった」

「それで、立ち消えになったんですか」

「詳しい経緯は知らん。だが、現場に何も残っていないのが答えだ」

石末は長谷を見た。

「お前が止めなきゃならないのは、その繰り返しだ」

翌日。

長谷は、各部局の実施状況を確認して回った。

最初に、教育委員会の田村係長を訪ねた。

「日常点検シートの運用状況を見せてもらえますか」

「配布は済んでいます」

「何校から提出されていますか」

田村は少し答えに詰まり、パソコンを操作した。

一覧表が表示される。

提出済みの欄に印がある学校は、全体の一部だった。記載内容も、「異常なし」の一行だけのものが多い。

「……学校によって、かなり差があります」

「未提出の学校には、再度依頼していますか」

「一度は連絡しました。ただ、強くは言えていません」

「なぜですか」

「教育委員会として、正式な期限や報告義務を決めていないからです。学校側からすれば、忙しい中で増えた任意の事務です」

福祉部では、担当者が申し訳なさそうに答えた。

「施設には依頼しています。ただ、人手が足りず、まだ回収できていません。全部揃うのは来年度になるかもしれません」

建設部では、別の理由が返ってきた。

「施設部門の点検と、道路・橋梁部門の点検で様式が違います。部内で統一できるか調整中です」

どの部局も、何もしていないわけではない。

依頼は出している。

様式も作っている。

担当者も動こうとしている。

だが、期限も、責任者も、確認する仕組みもなかった。

管財課へ戻った長谷は、椅子に腰を下ろし、天井を見上げた。

諫山の古いメモが頭に浮かぶ。

――見送り。

――見送り。

――見送り。

決定されないまま時間だけが過ぎれば、結果は同じになる。

地下資料室。

長谷は扉を開けると、萬代の前まで歩いた。

「少し、聞いてもらえますか」

「もちろんじゃ」

「推進委員会は動いています。各部局も、方針には従っています」

長谷は言葉を探した。

「でも、現場ではほとんど何も変わっていません。シートを配ったことで、実施したことになっている。会議で報告したことで、仕事が終わっている」

萬代は珈琲カップを置いた。

「組織は、形を整えるのが得意じゃからな」

「どうすれば、実際の行動に変えられるんでしょう」

「外から命令すれば、外形だけは変わる。書類は作るし、会議にも出る」

萬代は静かに続けた。

「だが、日々の仕事まで変えるには、その部局の内側に、必要性を理解して動く人間が要る」

長谷は、田村へ再び連絡した。

夕方、二人は教育委員会の小会議室で向かい合った。

「日常点検が進まない本当の理由を教えてください」

田村はしばらく黙ったあと、口を開いた。

「点検シートを出さなくても、何も起きないからです」

「何も起きない?」

「提出期限もありません。未提出でも注意されません。校長から見れば、授業や保護者対応の方が優先です」

「どうすれば変わりますか」

「教育委員会が、本当に必要な仕事だと示すことです」

田村は机の上の一覧を見た。

「課長が会議で報告するためではなく、未点検の学校を把握し、期限を決めて提出を求める。異常があれば、営繕課につなぐ。そこまで決めなければ、現場は動きません」

「課長を動かすには、何が必要でしょう」

「事故が起きてからでは遅い。それを、自分の問題として理解してもらうことだと思います」

田村は少し表情を緩めた。

「長谷さんが本気でやっていることは、現場にも伝わっています。だから、俺も情報を出しています。それだけは覚えておいてください」

管財課へ戻る廊下。

響矢は、近づいてくる長谷の足音に気づき、書類を見たまま尋ねた。

「うまくいかなかったんですか」

「わかりますか」

「いつもより速く、歩幅が不規則です」

長谷は響矢の机の前で足を止めた。

「各部局の課長を、本気で動かす方法がわかりません」

「課長が動くのは、自分が判断を求められる問題になったときです」

「上から命令されたとき、ということですか」

「それもあります。住民から苦情が出たときや、議会で質問されたときもです」

響矢は顔を上げた。

「維持費やLCCは、将来の話として先送りできます。でも、施設の状態を把握していないことは、管理上のリスクです」

「事故が起きた場合の責任……」

「責任を脅しに使うべきではありません」

響矢は淡々と言った。

「ただ、何を把握していて、何を把握していないのか。それを明確にすれば、判断しないことにも責任があるとわかります」

長谷は頷いた。

「点検していないこと自体を、見えるようにする」

「はい。点検結果だけではなく、点検を実施していない施設も含めて示すべきです」

深夜。

長谷は掲示板に書き込んだ。

「各部局は点検シートを配布したが、実際にはほとんど運用されていない。課長クラスに、施設の状態を把握していないこと自体がリスクだと示すには、どうすればいい」

中性化からレスが付いた。

「点検結果ではなく、点検の実施状況を一覧にしろ。

点検済み。

未点検。

記録不明。

異常あり。

対応未定。

施設ごと、部局ごとに並べれば、どこまで把握できているかが見える。

重要なのは、未点検を責めることじゃない。管理上の空白を明らかにすることだ。把握していない施設で事故が起きれば、なぜ確認していなかったのか説明を求められる。それを課長自身が判断できる形で示せ」

長谷は、各施設の点検状況を整理し始めた。

点検済み。

未点検。

点検日不明。

異常あり。

営繕課へ連絡済み。

対応方針未定。

さらに、部局ごとの実施率を集計した。

石末が画面を覗き込む。

「これは、はっきり出るな」

「数字に間違いがありますか」

「いや。提出記録と合っている」

石末は腕を組んだ。

「ただ、実施率が低い部局は、見たくない資料だろうな」

「点検していないことを責めるつもりはありません」

長谷は一覧を見た。

「どこが見えていないのかを、全員で確認するだけです」

「それでも、見えていないことが見えれば、嫌な気分にはなる」

「嫌な気分にならない資料では、何も変わらないと思います」

石末が小さく笑った。

「少しは言うようになったな」

次の推進委員会。

スクリーンに、市内施設の点検実施状況が映し出された。

施設ごとの状態と、部局ごとの実施率。

長谷は、最初に注意事項を説明した。

「この一覧は、部局間の優劣を決めるためのものではありません」

委員たちが資料を見る。

「現在、どの施設の状態を把握できていて、どの施設が未確認なのかを共有するための資料です」

教育委員会の欄では、未点検の施設が目立っていた。

課長の表情が硬くなる。

「未点検の施設は、安全であることを確認できていない施設です。直ちに危険という意味ではありません。しかし、異常の有無を判断できない状態が続いています」

長谷は次のページを示した。

「今後、各部局に実施期限と責任者を設定していただき、毎回の委員会で進捗を確認したいと考えています。異常が見つかった場合は、営繕課と管財課が対応を支援します」

傍聴席には、倉持議員がいた。

資料を眺めながら、小さく笑う。

「以前は数字で施設を切ろうとしていたのに、今度は点検のお願いか。ずいぶん行儀がよくなったじゃないか」

会議室に、わずかな笑いが起きた。

長谷も苦笑した。

「お願いだけで終えるつもりはありません」

倉持が眉を上げる。

「各部局に期限と責任者を決めていただきます。次回から、実施率と未対応の異常を継続して報告します」

会議室から笑いが消えた。

「ただし、管財課が一方的に責めるための数字にはしません。点検で問題が見つかれば、営繕課と一緒に解決方法を考えます」

倉持は腕を組んだ。

「……前よりは、使い方がわかってきたようだな」

千々岩が議事を引き取った。

「点検状況の継続的な報告について、異議はありますか」

誰も手を上げなかった。

「では、各部局は次回までに、実施期限、責任者、未点検施設への対応方針を提出してください」

委員会は散会した。

翌日。

田村から、長谷にメッセージが届いた。

「課長から指示が出ました。未点検校について、今月中に実施計画を作ります。来月から全校で点検を開始します」

続けて、もう一通届いた。

「実施率が他部局より低いことも気にしていましたが、次回も進捗を報告することになったのが大きかったと思います。今回は止まらないはずです」

長谷は画面を見つめ、息を吐いた。

数字を並べただけでは、組織は動かなかった。

誰が、いつまでに、何をするのか。

そして、次に確認されること。

そこまで仕組みにして、初めて数字が行動へつながった。

深夜。

長谷は掲示板に短く書き込んだ。

「一つの部局が動いた。点検状況を部局ごとに示し、期限と責任者を決めて、次回も報告することにした。比較されたことより、放置できなくなったことが効いたみたいだ」

中性化から返信が来た。

「それが継続的なマネジメントだ。一度動いただけで成功だと思うな。報告が形骸化しないか、点検後の異常が放置されないか、次を見ろ」

長谷は返信した。

「わかっています、アニキ」

「アニキはやめろ」

少し間を置き、もう一つ届いた。

「だが、方向は間違っていない」

長谷は画面から目を離した。

机の端には、黒い冊子が置かれている。

何気なく手に取り、表紙を見た。

漆黒だったはずの色が、ほんのわずかに薄くなっているように見えた。

照明のせいかもしれない。

長谷はしばらく見つめたあと、冊子を閉じた。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら