ハコの融合と実務の三重壁
管財課。
長谷は机の上に地図と施設一覧を広げた。
中央地区公民館の建物は残せない。
だが、そこで提供されてきた機能は残す。
新たな施設を建てる予算はない。既存施設のどこかに、公民館の集会機能や地域活動の場を移すしかなかった。
長谷は地図上に、周辺の公共施設を一つずつ書き込んだ。
老人福祉センター。
図書館。
児童館。
小学校。
一つの施設名で、手が止まった。
「南小学校……」
中央地区公民館から徒歩五分。
児童数は減少を続け、普通教室として使われていない部屋が複数ある。
長谷は南小学校の資料を引き出した。
児童数の推移。
学級数。
各室の利用状況。
将来推計。
現在は空き教室に見えても、少人数学習、特別支援、教材保管などに使われている部屋もある。それでも、将来的に学校運営へ支障を与えず活用できる余地はあった。
「ここなら、できるかもしれない」
長谷は設計図を広げた。
校舎の一部に、公民館の機能を移す。
学校教育で使う区域と、地域住民が使う区域の動線を分ける。
放課後や休日には、集会室、サークル活動、地域図書室として使えるようにする。
建物を新たに増やさず、公民館の役割を引き継ぐ。
図面に線を引いていると、石末が机を覗き込んだ。
「学校との複合化か」
「はい。ほかに、歩いて移れる範囲で受け皿になりそうな施設がありません」
石末は図面を見たまま腕を組んだ。
「学校に別の機能を入れるのは、役所の中でも難しい部類に入る。激戦区だぞ」
「わかっています」
「教育財産の取扱い。補助金で建てた部分の用途変更。教職員の負担。保護者の防犯上の不安。全部来る」
石末が長谷を見る。
「空いているように見える部屋でも、教育委員会は簡単に空き教室とは認めない。覚悟しておけ」
「それでも、検討する価値はあります」
長谷は設計図へ目を戻した。
「建物を残せなくても、公民館の機能は残せます」
次の推進委員会。
長谷は南小学校の配置図と平面図をスクリーンに映した。
「中央地区公民館の機能移転先として、南小学校との複合化を提案します」
委員たちが画面へ目を向ける。
「南小学校は、公民館から徒歩五分の位置にあります。児童数の減少により、今後も普通教室として使用しないと見込まれる区画があります」
長谷は校舎の一角を示した。
「この部分を改修し、地域活動に利用できる集会室と図書スペースを設けます。学校区域とは出入口と動線を分離し、放課後や休日を中心に開放します」
千々岩が尋ねた。
「既存校舎の有効活用ということか」
「はい。新築せずに、公民館の機能を引き継げます」
教育委員会の課長が眉を寄せた。
「学校で地域住民を受け入れるとなれば、保護者から反対が出ます」
「学校区域へ自由に立ち入れる計画ではありません。利用者の入口を分け、学校部分との境界には施錠できる扉を設けます」
「図面上で分ければ済むという話ではありません」
課長はスクリーンを見た。
「不特定の大人が学校へ出入りすると聞くだけで、不安を感じる保護者はいます。不審者が入り込んだらどうするのか。事故が起きたら誰が責任を取るのか。必ず問われます」
「安全管理の方法を整理し、保護者へ説明します」
「説明したから理解されるとは限りません」
長谷は言葉を継いだ。
「ですが、このまま中央地区公民館を閉じれば、現在の利用者は活動場所を失います」
「それはわかっています」
教育委員会の課長は、苦い表情を浮かべた。
「わかっているから、簡単には決められないんです」
委員会終了後。
廊下を歩いていると、響矢が隣に並んだ。
「長谷さん。会議の空気は、どう見えましたか」
「教育委員会の課長は、反対というより、責任を負うことを恐れているように見えました」
「私も同じです」
響矢は資料を持ち直した。
「保護者の反発だけではありません。教育財産を市長部局が利用する手続、補助金の財産処分に関する確認、施設管理上の責任分担。課長は、提案の後ろにある手続の重さを知っています」
「壁が大きいということは、越えられないという意味でしょうか」
「そこまではわかりません」
響矢は前を向いた。
「ただ、住民説明会の前に、学校長と教職員へ説明する方が先です。学校の中で話が共有されていない状態で、保護者へ説明すべきではありません」
「地域側はどうしますか」
「町内会や、公民館の利用団体にも事前に話してください。全員を同じ説明会へ呼ぶ前に、立場ごとの懸念を確認した方がいいと思います」
数日後。
南小学校の校長室。
長谷は校長と向かい合っていた。
「複合化の提案は、教育委員会から聞いています」
校長は図面に目を落とした。
「管財課の考え方は理解できます。ただ、教職員からは反発が出るでしょう」
「どのような点でしょうか」
「学校の空いている場所を、本庁の都合で使われる。そう受け止める教員がいると思います」
「実際には使われている部屋もある、ということですね」
「はい。空き教室と呼ばれていても、少人数学習、相談室、教材置場などに使っています。学校側から見れば、完全に余っているわけではありません」
長谷は図面の書き込みを直した。
「では、教育上必要な部屋を整理したうえで、使える区画を再検討します」
校長は少し表情を緩めた。
「そこから始めてもらえるなら、話はできます」
少し間を置き、続けた。
「それに、悪いことばかりではないかもしれません」
「どういうことでしょう」
「今の学校は、昔より地域との関係が薄くなっています。保護者以外の大人が、学校へ関わる機会も減りました」
校長は校庭の方へ目を向けた。
「安全管理ができたうえで、地域の人が自然に学校と関わるようになれば、長期的には意味があるかもしれません。あくまで、私個人の考えですが」
「地域とのつながりを取り戻す……」
長谷はメモを取った。
「その視点は、提案に入っていませんでした。ありがとうございます」
教職員への説明では、やはり懸念が相次いだ。
地域利用者の出入り。
児童との動線。
騒音。
鍵の管理。
清掃。
事故発生時の対応。
一つずつ記録した。
反対意見というより、運用を担わされることへの不安が多かった。
「学校側の仕事を増やさない管理体制を作ります」
長谷は約束した。
「地域利用部分は、学校ではなく市長部局が管理します。鍵の受渡しや利用受付を、教職員へお願いする形にはしません」
教職員の表情はまだ硬かったが、話を聞く空気は残った。
町内会長とは日程が合わず、説明会前に直接会うことができなかった。
資料を渡し、町内会内で回覧してもらうことになった。
住民説明会の夜。
中央地区公民館の会議室には、三十人ほどの住民が集まっていた。
公民館の利用団体だけでなく、南小学校の児童の保護者も多い。
説明を始めて間もなく、手が上がった。
「学校の教室を地域に渡したら、子どもたちの居場所が減るんじゃないですか」
児童の保護者だった。
別の保護者が続く。
「知らない大人が学校へ入ってくるんですよね。不審者が紛れ込んだら、どうするんですか」
公民館の利用者からも声が上がった。
「公民館をなくして、学校の隅へ追いやるのは、地域の切り捨てじゃないですか」
答えようとすると、別の手が上がる。
「学校に移ったら、夜は使えなくなるんじゃないか」
「太鼓や音楽の練習はできるんですか」
「階段が使えない高齢者はどうするんですか」
保護者は、学校の安全を心配している。
公民館利用者は、活動を続けられるかを心配している。
同じ説明会に参加していても、見ている問題は違っていた。
響矢は会場の端で、発言者と周囲の反応を観察していた。
石末は壁際で腕を組み、黙って聞いている。
説明会終了後。
長谷と響矢は並んで駅へ向かった。
「長谷さん。私は読み違えていました」
「何をですか」
「公民館を多く利用している人が、最も強く反対すると思っていました」
響矢は少し考えながら話した。
「でも、今日多かったのは保護者でした。施設を利用している人と、意思決定に強く反応する人は、同じではありません」
「利用者の数だけでは、反応は予測できないということですね」
「はい。ただ、なぜ自分が利用していない施設のことで、あれほど強く反応するのかは、私には理解できません」
「子どもの安全に関わると感じたからでしょう」
「実際の危険性とは別に、ですか」
「たぶん、そうです」
長谷は振り返り、公民館の明かりを見た。
施設の評価だけでは、人の反応までは測れない。
それを、身をもって知った。
翌日。
管財課で説明会の記録をまとめていると、石末が近づいてきた。
「複合化の手続を整理したか」
「補助金で整備した校舎の用途変更に関する確認。教育財産の目的外使用か、所管替えにするかの整理。建築基準法上の用途変更や、消防との協議……」
「それだけじゃない」
石末が言った。
「学校は教育委員会の所管だ。管財課が図面を作ったからといって、勝手に進められる話じゃない」
「教育委員会と市長部局の調整が必要ですね」
「技術では越えられない壁だ。千々岩に頼め」
市長秘書室。
長谷は千々岩の前に立った。
「南小学校との複合化について、教育委員会と市長部局の調整をお願いしたいんです」
千々岩は書類から目を上げた。
「管財課が考えた案のために、俺が動く理由は何だ」
長谷は一瞬、言葉に詰まった。
「管財課のためではありません」
千々岩が長谷を見る。
「中央地区公民館を閉じれば、地域活動の場がなくなります。南小学校の教育環境も守りながら、公民館の機能を残すには、部局を越えた調整が必要です」
「それは、君の考えだ」
「市長は、建物ではなく市民に必要なサービスを残すと言いました」
長谷は続けた。
「この案が最善かどうかは、まだわかりません。ただ、部局の壁だけを理由に検討を止めれば、市長が示した方針を実行できません」
千々岩はしばらく長谷を見ていた。
やがて、書類を机へ置いた。
「そこまで言うなら、調整の場は作る」
「ありがとうございます」
「ただし、条件がある」
「何ですか」
「住民説明をやり直せ」
千々岩は前回の記録を指した。
「保護者と、公民館の利用者では、心配していることが違う。同じ場で同じ説明をしても、話はかみ合わない」
「別々に説明する、ということですか」
「そうだ。保護者には、子どもの安全と学校運営を説明する。地域住民には、活動場所と利用条件を説明する」
千々岩は書類を長谷へ返した。
「それぞれの不安に答えられる案を作れ。それができたら、教育委員会との調整は俺が引き受ける」
数週間後。
最初に開かれたのは、南小学校の保護者向け説明会だった。
長谷は、前回より具体化した図面をスクリーンに映した。
「地域利用は、原則として放課後と休日に限定します」
児童が使う区域と、地域利用者の区域を色分けして示す。
「出入口は別に設けます。学校区域との間には、常時施錠する扉を設置します。受付と鍵の管理は、市長部局が行い、教職員には負担を求めません」
防犯カメラ。
利用者名簿。
入退室管理。
緊急時の連絡体制。
保護者から、具体的な質問が続いた。
「授業参観など、学校行事の日はどうするんですか」
「地域利用を停止します。学校行事を優先します」
「万が一、事故が起きた場合の責任は誰が負うんですか」
「教育委員会、管財課、地域利用部分の運営担当で、安全管理規程を作ります。管理範囲と責任者を明確にします」
別の保護者が図面を見ながら言った。
「子どもと地域の利用者が、校舎内で自由に行き来するわけではないんですね」
「はい。日常的には動線が交わらない計画です」
保護者全員が納得したわけではない。
それでも、最初から拒絶する空気は薄れていた。
次に、中央地区公民館の利用者を対象とした説明会が開かれた。
長谷は、公民館から南小学校までの地図を示した。
「徒歩で約五分です。現在の公民館で行われている活動を確認し、必要な広さや設備を整理します」
利用団体の代表が尋ねた。
「私たちのサークルも、学校の教室で続けられるんですか」
「活動内容を確認したうえで、利用できる部屋を決めます。使用時間や収納場所についても、一緒にルールを作りたいと考えています」
「夜は何時まで使えるんですか」
「周辺への騒音と学校管理を考え、午後九時までを案としています。今後、皆さんの活動時間を聞いて調整します」
高齢の男性が地図を見て言った。
「公民館がなくなるのは寂しい。でも南小学校なら、わしの母校だ。歩いても行ける」
別の女性が続けた。
「子どもたちと同じ建物を使うのも、悪くないかもしれませんね。最近は、近所の子どもの顔も知らないから」
長谷は、その言葉に校長の話を思い出した。
施設を移すことで失うものがある。
だが、新しく生まれる関係もあるかもしれない。
説明会の終了後。
響矢が、退出する住民たちを見ながら言った。
「前回とは、足音が違います」
「どう違いましたか」
「前回は、速くて強い音が多かったです。今日は、立ち止まって話しながら帰る人が多い」
「グループを分けたからでしょうか」
「自分に関係する説明を聞けたからだと思います」
響矢は長谷を見た。
「ただし、反対がなくなったわけではありません」
「わかっています」
長谷は、住民たちが話しながら帰っていく姿を見た。
「それでも、何について話し合えばいいのかは見えてきました」
その後、千々岩の調整により、教育委員会と市長部局の合同検討会が設置された。
施設の所管。
地域利用部分の管理。
教職員の負担。
補助金に関する手続。
安全管理。
少しずつ、実施条件が整理されていった。
数か月後。
実施設計を進める中で、新たな問題が判明した。
石末が、消防との協議記録と見積書を机に置いた。
「防火区画と避難経路の見直しが必要になった」
「工事費は、どれくらい増えますか」
「防火設備、非常照明、出入口の改修を合わせて、当初より千五百万円増える」
長谷は見積書を見た。
「……今の予算では足りません」
「足りないなら、財源を探すしかない」
石末は別の資料を差し出した。
「公共施設の集約化や複合化に使える地方債がある。延床面積の縮減や、既存施設の活用が条件になる。今回の事業が対象になるか、財政課と確認しろ」
「今年度中の工事は難しいですね」
「無理に始めて途中で止まるよりましだ」
長谷は、工程表を見直した。
財源協議。
事業費の再精査。
教育委員会との正式な合意。
住民への再説明。
着工は、当初計画より一年遅れる見込みとなった。
地下資料室。
長谷は萬代の前で、修正した工程表を広げた。
「財源の不足を、最初に見通せませんでした。もっと早く消防や財政課と協議していれば、予定どおり進められたかもしれません」
萬代は工程表を眺め、珈琲カップを置いた。
「最初から、すべて見通せる者などおらんよ」
「でも、一年遅れます」
「計画を具体化したからこそ、防火設備も、財源も、必要だとわかった」
萬代は、長谷が書き直した工程を指した。
「見えなかった穴が見えたのなら、次は埋めればよい。穴があることも知らずに進むより、はるかにましじゃ」
長谷は工程表を見つめた。
一年遅れる。
だが、計画がなくなったわけではない。
「……やります。一年遅れても、必ず実現させます」
萬代が静かに頷いた。
住民の理解。部局を越える手続。そして、安全と財源。
図面の上では一つにできても、実務には三つの壁があった。
中央地区公民館の建物を閉じるだけではなく、その役割を南小学校へ移す。
施設を減らしながら、地域の居場所を残す。
その道筋は、ようやく形になり始めていた。
この話のFM豆知識
(豆知識は準備中)
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
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