失脚
調査は、三月の三週間で行われた。
服部と、総務部の職員二人。資産経営課の書類、会議録、決裁の綴り、庁内の照会記録が対象になった。
黒瀬は、求められた資料をすべて出した。
隠したものはなかった。基準変更の三案も、黒瀬の机の中から出てきた。
「なぜ、会議に一案しか出さなかったのですか」
服部が聞いた。
「時間の問題です」
黒瀬は答えた。
「三案を比較すれば、その場で結論は出ません。次の会議は一か月後になる」
「一か月遅れると、どうなりましたか」
「檜倉の点検が、年度内に入りませんでした」
服部は、それを記録した。
「大滝野の補足資料について伺います」
服部は、次の資料を出した。
「行事利用の集計は、補足資料として二十部作成されていますが、会議では配布されていません」
「配っていません」
「なぜですか」
「本会議は二時間で十件を審議します。全件の補足を配れば、資料は百枚を超える」
「配らないという判断は、どなたがしましたか」
「私です」
黒瀬は即答した。
「委員から求めがあれば、出す予定でした」
「求めはありましたか」
「財政課長から、行事を含めた場合の単価を聞かれました。その場で数字を答えています」
「配布はされなかった」
「口頭で答えたので、必要ないと判断しました」
服部は、しばらく書いていた。
「桔梗台児童館の説明会について伺います。久遠田さんの発言が、会議録では『代替施設への機能移転に関する意見あり』と要約されています」
「そうです」
「発言の内容は、記憶されていますか」
黒瀬は、少し間を取った。
「商店街を通って児童館に行く途中で、地域の大人が子どもを見ている。その接点がなくなる、という趣旨でした」
「覚えておられるのですね」
「覚えています」
「なぜ、記録には残らなかったのでしょうか」
黒瀬は、答えなかった。
服部は、無理に促さなかった。
「記録を作成したのは三崎さんですね」
「私が確認しています」
黒瀬は言った。
「三崎の責任ではありません」
それが、この日の聴取で黒瀬が自分から言った、唯一の一言だった。
報告は、三月末の庁議に出された。
服部が読み上げた。
「個々の施設再編の結論について、合理性を欠くとは認められません。大滝野、桔梗台児童館、檜倉のいずれも、判断としては妥当と考えられます」
会議室は、静かだった。
「一方、意思決定の過程と記録に、不備が認められます」
服部は続けた。
「評価基準の変更にあたり、比較検討した他案が会議に諮られていないこと。反対意見の記録が、内容を再現できない水準に要約されていること。住民説明で用いた資料と、決裁資料の記載範囲に差があること。判断が特定の職員に集中し、確認の過程が機能していないこと」
「特定の職員というのは、黒瀬か」
榛葉が言った。
「黒瀬部長です。ただし」
服部は顔を上げた。
「集中させたのは、黒瀬部長一人ではありません」
服部は、資料の次の頁を示した。
推進本部会議で、黒瀬の案に対する質疑が年々減っていること。財政課からの照会件数が、上半期に前年の三分の一になっていること。他部局が、資産経営課の判断を前提に事務を進める運用が定着していること。
「組織として、確認する機能が働いていませんでした」
榛葉は、しばらく黙っていた。
「私が言ったな」
「はい」
「黒瀬に任せておけば間違いない、と」
榛葉は、資料を閉じた。
「あれは、褒めたつもりだった。だが、あの一言で、他の人間が口を出しにくくなった。そういうことか」
「その一因ではあると考えます」
榛葉は、うなずいた。
「私の責任だ」
処分は、四月に決まった。
黒瀬は、決裁ラインから一時的に外れていた。その間、案件は三崎と、財政課の塩谷が二人で見ていた。
戒告。
決裁補助と文書管理に不備があったことによる、服務上の処分だった。
処分が確定した日の午後、黒瀬は市長室を訪ねた。
「辞めさせてください」
榛葉は、しばらく黙って黒瀬を見ていた。
「処分は、戒告だ。辞める必要はない」
「その上で、辞めさせてください」
「理由は」
「私が残っていると、やり方が変わりません」
黒瀬は言った。
「私が抜けた方が、早いと思います」
榛葉は、机の上で手を組んだ。
「最後まで、自分で決めるのか」
黒瀬は、答えなかった。
否定できなかった。
辞表は、その週のうちに受理された。
課内は、動揺した。
黒瀬が抱えていた案件は、二十件を超えていた。誰がどれを引き継ぐのか、すぐには決まらなかった。
三崎が、一件ずつ整理していった。
檜倉の廃止手続き。桔梗台高齢者福祉センターの評価。長寿命化計画の改定作業。他部局からの照会が、週に十件近く来ていた。
「これ、全部黒瀬さんが返してたんですか」
樫村が言った。窓口の応援から、課に戻ってきていた。
「二日か三日で返してた」
「無理ですよ、これ」
「無理だった」
三崎は言った。
「無理なことを、一人でやってた」
四月の下旬、新しい仕組みが動き始めた。
施設評価は、資産経営課の複数職員で確認する。評価基準を変更する場合は、比較した他案を必ず会議資料に添付する。住民説明会の記録は、要約と併せて発言の概要を残す。廃止方針を決定した施設は、二年後に事後評価を行う。
塩谷が、財政課から一人を兼務で出すことになった。
「うちも、聞くようにします」
塩谷は言った。
「聞かなかった責任は、こっちにもあります」
三崎は、その様式の一枚目に、新しい欄を作った。
判断の理由。
その下に、もう一つ。
採らなかった案と、その理由。
仕組みができても、案件は片づかなかった。
垣内宿の旧公民館の統廃合は、三月から住民との協議に入っていた。年度内にまとまる見込みは、なかった。
三崎の机には、その修繕見積もりが置いてあった。
一年前より、金額が上がっていた。
黒瀬なら、半年で決めていた規模の案件だった。
この話のFM豆知識
FMの教訓:問題が起きたら、誰が何を担当したかを確かめ、資料の作成・確認・決裁の手順を直す。
◆ この話で扱う仕事
関係するFMの仕事:統括マネジメントの役割・規程・データ管理/改善
施設の状態や費用を調べるだけでなく、誰が案を作り、誰が確認したかも確かめます。担当者が替わっても、必要な資料がそろわず、他の人が確認しないままなら、同じ見落としが起きます。新たな確認を加える際は、担当する人と作業時間も用意し、実際に続けられる手順にします。
◆ 処分と、仕事の手順の見直しを分けて行う
職員の責任を判断することと、次の案件で見落としを防ぐことは、それぞれ必要です。比較案を残す、住民の意見を記す、別の職員が費用や技術上の問題を確認する、実施後に利用者の状況を調べるなど、欠けていた作業を特定します。誰が、いつから、その作業を行うかまで決めます。
◆ 確認を増やすときは、人員と所要時間も見直す
確認する人を増やしても、資料を読む時間がなければ、名前を並べるだけになります。担当ごとに見る項目を分け、必要な資料をそろえて渡します。例えば、建物の安全性と費用の計算は、別の担当が同時に調べられる場合があります。確認に必要な時間を確保し、同じ転記や説明の繰り返しを減らします。
◆ 物語の場面
調査では、黒瀬の机から三つの比較案が見つかります。黒瀬は資料を提出しましたが、以前の判断時に共有していなかった問題は残ります。調査は施設の判断を妥当としつつ、手続き、記録、組織の確認不足を指摘しました。黒瀬は戒告を受け、その後に自ら退職します。市は複数人の確認、比較案の添付、住民意見の保存、二年後の評価を取り入れます。
■ 担当者が行うこと
比較案、住民の意見、技術上の確認、実施後の調査について、どの作業が抜けたかを確かめてください。直す作業ごとに、担当者、必要な人員、開始日、実施状況を調べる日を決めます。定期的な評価を待たず、サービスの中断、利用の急減、安全上の問題が分かったときにも確認できる手順を用意します。
確認する法令・計画・庁内のルールなど
- 各自治体の職務権限規程・決裁規程:複数人による確認や関係課への相談を、実際の役割と決裁の手順に組み込みます。
- 各自治体の文書管理規程:比較した案、採用理由、住民の意見、実施後の調査結果を、後から確認できる場所に保存します。
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
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