調査を求める
二月の第二週、三崎は資料庫に入った。
檜倉の基準変更前の作業資料を探していた。
三段目の棚に、古い段ボールがあった。旧高峯町民会館の関係書類だった。廃止後に整理され、そのまま置かれている。
蓋を開けると、決裁の綴りの下に、大学ノートが一冊あった。
表紙に、二〇一九年度と書いてある。黒瀬の字だった。
めくると、施設ごとの修繕見積もりが並んでいた。数字の横に、細かい書き込みがある。
最後の頁に、一行だけあった。
このままでは十年後に間に合わない。
日付は、二〇二〇年一月。廃止決定の二か月前だった。
三崎は、そのノートを閉じなかった。
黒瀬が二〇一九年度に書いた数字を、いまの台帳と突き合わせてみた。
十一年前の予測は、外れていなかった。
築三十年超の施設の割合。修繕費の累積見込み。その多くが、黒瀬の書いた線の上に乗っていた。
黒瀬は、正しかった。
問題を見つけたのも、放置すればどうなるかを計算したのも、黒瀬だった。誰も見ていなかった時期に、一人でそれをやっていた。
三崎は、自分がこの六年、その黒瀬の下で何をしてきたかを考えた。
大滝野の資料は、自分が組んだ。補足資料を二十部作って、机の脇に積んだのも自分だ。会議録の「利用手続きに関する意見あり」も、自分が書いた。
止められた場面は、いくつもあった。
翌週、三崎は樫村に話を聞いた。
「基準変更の時、他の案はあったか」
「三案ありました」
樫村は答えた。
「劣化度を重く見る案、複合化効率を重く見る案、両方を中間で取る案です。会議に出たのは、一案だけです」
「残ってるか」
「僕が作ったので、端末にあります」
三崎は、それを見せてもらった。
三案とも、公共施設マネジメントの考え方として成立していた。どれを採っても間違いではない。
だが、採用された案だけが、檜倉の順位を最上位に動かしていた。
「これ、会議に出す案はどうやって決まった」
「黒瀬さんが選びました」
樫村は答えた。
「理由は聞いたか」
「聞きました。将来負担で見るのがいちばん正確だ、と」
「納得したか」
樫村は、少しの間、答えなかった。
「納得は、しました。説明としては、通ってるので」
「じゃあ、何が引っかかった」
「三案作れって言われたのに、二案は出さないんだな、と思って」
樫村は、端末の画面を見たまま言った。
「僕が作ったのは、比べるためだと思ってました。比べた記録が残らないなら、何のために作ったのかなと」
三崎は、その言い方に、少し身構えた。
責める口調ではなかった。それが、かえって重かった。
「檜倉から外れたことは」
「あれは、応援ですから」
樫村は言った。
「窓口も人が足りてなかったし、理由としては本当だと思います」
「でも」
「でも、外れた次の週に、基準変更の起案が回りました」
樫村は端末を閉じた。
「順番の話です。それだけの話かもしれません」
三崎は、その順番を、自分は当時気に留めていなかったことを思い出した。
「悪いことをした、とは思ってません」
樫村は続けた。
「黒瀬さんに外されたって、周りは言いますけど、僕はそこまで思ってないです。ただ、意見を言う人がいなくなると、たぶんこうなるんだな、とは思いました」
「こうなる、というのは」
「誰も何も言わないまま、全部通る」
樫村は、そう言って立ち上がった。
「資料、必要なら全部渡します。消してないので」
塩谷にも聞いた。
財政課の応接で、塩谷は湯呑みを両手で持ったまま話した。
「大滝野の時、補足資料の話をしましたね」
「はい」
「あれ以上、追及しませんでした」
塩谷は言った。
「単価が七万か三万一千かは、結論を変えません。私もそう思ったんです。だから引きました」
「今も、そう思われますか」
「思います」
塩谷は湯呑みを置いた。
「ただ、一度だけの例外は、次の案件では前例になります。桔梗台の時、私はもう何も聞かなかった。檜倉でも聞かなかった。三回目には、聞く理由が思いつかなくなっていました」
二月の下旬、三崎は黒瀬の執務室に行った。
「正式に、調査を求めます」
黒瀬は、書類から顔を上げた。
「総務に、ということか」
「はい。内部相談の窓口に、上げます」
「何を調べさせる」
「評価基準を変えた経緯です。反対意見の記録と、決裁資料と、住民説明の資料が合っているかどうかも」
黒瀬は、しばらく三崎を見ていた。
「施設の結論は」
「調査対象にしません」
三崎は言った。
「大滝野も、檜倉も、廃止でよかったと思っています。桔梗台も、いずれは統合すべきです。それは変わりません」
「なら、何が問題だ」
「決め方です」
黒瀬は答えなかった。
止めもしなかった。
「先に、お伝えしておきたかったので」
三崎はそう言って、部屋を出た。
内部相談の窓口は、総務課の奥にあった。
服部志真が、三崎の持ってきた資料に目を通した。
一時間近くかかった。
「確認します」
服部は言った。
「三崎さんが問題だと考えているのは、施設を廃止したこと自体ではない」
「違います」
「評価基準を変えたこと自体でもない」
「はい。基準は、合理的だと思います」
「では、何ですか」
三崎は、少し考えてから答えた。
「変えた理由が残っていないことです。それと、判断が一人に集まっていることです」
服部は、メモを取った。
「高峯市の内部相談規程上、意思決定過程の記録や確認に重大な不足がある場合は、事実確認を求める申出として扱えます。今回は、その形で受けます」
法令違反を断定するのではない。事実関係と、組織の確認過程を調べる。そういうことだった。
「一つ、確認させてください」
服部が言った。
「これは、黒瀬さんを辞めさせるための申し出ですか」
「違います」
三崎は即答した。
「黒瀬さんが見つけた問題は、本物です。それを、次の人が使える形にしたいだけです」
服部は、それ以上聞かなかった。
「黒瀬さんには、伝えてありますか」
「はい。先に、本人に言いました」
「本人に先に伝えていても、受理には支障ありません」
服部は書類を揃えた。
「三崎さんらしいやり方だとは思いますが」
三崎は、うなずいた。
それで気が軽くなるわけではなかった。
師を売ったわけではない。そう自分に言い聞かせながら、誰もいない廊下を歩いた。
この話のFM豆知識
FMの教訓:調査を求めるときは、確認できた事実と、まだ確かめたいことを資料で示す。
◆ この話で扱う仕事
関係するFMの仕事:統括マネジメントの確認手順・記録/改善
担当課の中で資料や判断の経緯を確かめられない場合は、庁内の相談先や調査を担当する部署を調べます。制度によって、相談できる内容、調べる範囲、資料の扱いが異なります。FMの監査、法令に基づく監査、内部相談、公益通報を同じものとして扱わず、実際の制度の窓口と手順を確認します。
◆ 違法かどうかを決め付ける前に、確かめる事項を示す
記録が見つからないことや、判断が一人に集中していることだけで、違法だとは断定できません。どの資料がなく、誰に聞き、何が確認できなかったかを示します。そのうえで、資料を探す、関係者に聞く、決められた確認を行ったか調べるなど、求める調査を具体的に伝えます。
◆ 役に立った取り組みも、調査の資料に残す
問題を調べる際も、費用を減らしたことや、サービスを続けられたことを記録します。成果と確認不足をそれぞれ調べれば、続けるべき方法と直すべき方法を考えられます。新たな事実が分かった場合は、手順の見直しだけでなく、施設をどうするかという結論も改めて検討します。
◆ 物語の場面
三崎は旧町民会館の資料から、十年後には間に合わなくなるという黒瀬の危機感を記したメモを見つけます。その考えを理解したうえで、評価基準を変えた理由の記録不足や、判断の集中について、相談窓口に調査を求めました。服部は、違法性を先に決めるのではなく、事実と手続きの記録を確かめる相談として受け止めます。
■ 担当者が行うこと
確認できた事実、未確認の事項、探した資料、調べてほしい内容を分けて書いてください。相談する制度の対象と、相談内容や資料の秘密を守る方法を窓口に確認し、その制度の手順で進めます。物語で三崎が黒瀬に先に話したことを、すべての相談で必要な手順として扱わないでください。
確認する法令・計画・庁内のルールなど
- 物語の高峯市の内部相談制度:作品内の設定です。実務では、自分の自治体にどの制度があり、誰が相談を受け、どこまで調べるかを確認します。
- 各自治体の内部相談・コンプライアンス・監査に関する規程:相談や調査の目的に合う窓口、資料の扱い、関係者から独立して確認する方法を調べます。
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
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