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第4巻 第6話

石末

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皆川はフィールドノートを開き、田丸から聞いた響矢との面談内容と、自分が行った石末への聞き取りを照らし合わせていた。

石末との待ち合わせ場所は、市役所ではなく、地区の公民館だった。

完全に退職していると聞いていたが、約束の時間に訪れると、石末(七十代前半)は、すでに作業着姿で壁の一部に手を当てていた。

日焼けした顔には深い皺が刻まれている。皆川が想像していたよりも背筋は伸び、体格もがっしりしていた。

「石末さん、お忙しいところ、ありがとうございます」

「現場を見るのが俺の仕事だ。点検しながら答えることになるが、勘弁してくれ」

石末は壁をこつこつと叩きながら、廊下の奥へ進んでいった。

皆川は、その後を追った。

「音だけで分かるものなんですか」

「だいたいはな。長く聴いていれば、誰でも分かるようになる」

石末は、それ以上、技術的な説明を加えなかった。

皆川は歩調を合わせながら、いつもの質問を向けた。

「退職された後も、こうして点検を続けているのは、どういう理由からですか」

石末が壁から手を離した。

「理由というほどのものはない。気になるから見に来る。それだけだ」

「点検で確認した結果は、施設白書の数字にも反映されるんでしょうか」

「反映される。図面に描かれた壁と、実際の壁が違うことはあるからな。数字も、人が見て確かめなければ、本当かどうか分からない」

「長谷さんたちが更新しているデータの裏付けが、現場での点検結果ということですか」

「そういうことになる」

石末は、次の壁を叩いた。

「誰かが机の上だけで決めると、たいてい現場とずれてくる。そのずれを直すには、結局、見に行くしかない」

「誰かに頼まれて続けているわけではないんですね」

「頼まれてはいない」

石末は短く答えた。

「ただ、誰も見に来なくなったら、数字の方が嘘をつき始める。それだけは、よく分かっている」

皆川は、その言葉を、これまでの面談内容と重ねていた。

長谷の更新。

響矢の数字。

折原の判断記録。

宮野の理由の記録。

どれも、石末の言う「現場で確かめる」という行為がなければ、机上の仕組みにとどまっていたかもしれない。

「制度として点検を続ける仕組みができれば、石末さんが個人で続ける必要はなくなるんでしょうか」

石末は黙って皆川を見た。

しばらくしてから、口を開いた。

「制度ができるなら、それは良いことだ」

石末は、また壁に向き直った。

「だが、制度ができるまでの間は、誰かが見ておかなければならない」

別の場所を叩くと、今度は高く、空洞を含んだような音が返ってきた。

石末はポケットからテープを取り出し、その箇所に貼った。

「建物は、人間より長生きだからな」

皆川は、すぐには言葉を返せなかった。

「……そうですね」

いつもより一拍遅れた相槌だった。

石末は何も言わず、次の壁へ進んでいった。

面談を終えて公民館を出る時、皆川は建物全体を見上げた。

築年数の古さは隠せない。

それでも、今も見続けている人がいる。

その事実が、建物の古さから受ける印象を、少しだけ変えていた。

その夜、田丸が帰った後、皆川は一人でフィールドノートを開いた。

これで、青葉市で予定していた面談は一通り終わった。

長谷、折原、千々岩と宮野、響矢、そして石末。

それぞれの言葉を、もう一度並べてみた。

フィールドノート⑥ 青葉市・総括

長谷=施設の現状を毎年見直し、更新を止めない。

響矢=施設の状態を維持費、更新費、LCCなどの数字に置き換え、優先順位を裏付ける。

折原=結果だけでなく、なぜその判断をしたのかを記録する。

宮野=資料や説明が、何のために作られたのかまで残す。

石末=現場で実際の状態を確かめ、数字と現実のずれを修正する。

皆川は、その下に一本の矢印を書いた。

現場確認

現状の更新

数字による裏付け

優先順位の決定

判断理由の記録

実行

再び現場確認へ

計画を策定している自治体は、青葉市だけではない。

公共施設等総合管理計画も、個別施設計画も、多くの自治体に存在する。

青葉市が特徴的なのは、優れた計画を持っていることではなく、現状把握から実行までの流れが、止まらずに循環していることなのかもしれない。

しかも、誰か一人が全体を動かしているわけではない。

長谷は更新を続ける。

響矢は数字を計算する。

折原は判断を残す。

宮野は説明の理由を残す。

石末は現場を歩く。

それぞれが、自分の仕事を続けることで、一つの循環が成立している。

皆川は、さらに書き加えた。

仮説2を修正。

青葉市の特徴は「止めない運用」だけではない。

複数の人物が異なる役割を担い、その役割が接続されることで、運用が循環している可能性がある。

ただし、この仕組みは人員と専門性を必要とする。

人手の少ない自治体が、そのまま模倣することは難しいのではないか。

次は湊原市を調査する。

規模や人員の異なる自治体でも、同じ循環が成立しているのか。

成立しているとすれば、青葉市とは異なる方法によってではないか。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら