ep102

自治体FM物語第1巻 › 第2話
第1巻 第2話

施設白書という武器

この話の公開状況
状態

← 第1巻 目次に戻る

翌朝、管財課。長谷のデスクには、各施設から集めてきた台帳や図面、修繕記録の束が山になっていた。

まず施設白書だ。市内全施設の総量、床面積、築年数、維持コストを一覧にする基礎データ。それを作らなければ、何も始まらない。

だが、長谷は資料を開くたびに頭を抱えた。

公民館は手書きの台帳で、数字の単位すら統一されていなかった。小学校は教育委員会の管轄で書式がまったく違っていた。ある支所は修繕記録が10年分ごっそり抜け落ちていた。

椅子を引き、立ち上がった。台帳に欠けているデータを埋めるには、現場を見ている人間の協力を得る必要がある。

営繕課。広い作業台に図面が広げられ、室内灯の白い光の下、一人の男が睨むように図面を追っていた。日焼けした強面、白髪交じりの短髪、色褪せた作業着。胸ポケットにはノギスとクラックスケール。石末堅(52歳・技術主査)が、図面を読んでいた。

「石末さん、施設台帳の整備に協力をいただきたいんです」

長谷が声をかけると、石末が図面から目を離さずに答えた。

「管財課の若造が今さら何を始めたんだ。現場は毎日発生する不具合への対応で手一杯だ。台帳整備につき合う暇はねえ」

長谷は引き下がれなかった。石末の作業台に広げられた図面の脇に、現場の写真が数枚置いてある。その一枚を指さした。

「ここの写真ですよね。見ていいですか」

「……勝手にしろ」

長谷は写真を手に取って、じっと見た。次にスマホを取り出し、自分が過去に撮り溜めた劣化状況の写真と見比べ始めた。すぐに口を開いた。

「防水層が限界ですよね。図面だと、雨水はここに集まるはずです。でもこの写真を見ると、途中で水が溜まっている。勾配が取れてなくて、雨水の滞留が長く続いた結果だと思います」

石末の目が、わずかに細くなった。

「……写真を重ねて読んだのか」

「図面は建物が健全だった頃の姿です。今の写真と重ねると、傷み方が見えてきます。廃墟ばかり見てきたので、こういう読み方には慣れています」

石末が値踏みするような目で見てきた。そして――ほんの少しだけ――表情が変わった。

「……何が必要だ」

「各施設の劣化状況を、現場の目で確認していただきたいんです。俺が図面を読みます。石末さんは現場を見てください。それを組み合わせれば、本物の台帳が作れます」

「俺を顎で使おうってか、若造が」

「お願いします」

長い沈黙。石末が腕を組んだ。

「……一施設だけだ。使えると判断したら続ける。使えなきゃそれまでだ」

「ありがとうございます」

「感謝するな。まだ何もしてねえ」

最初の現場は、築35年の地区公民館。長谷が図面を広げ、石末がテストハンマーで外壁を叩いていく。

コンコン、コンコン――。

ある箇所で、音が変わった。

「ここ、浮いてる。中に空洞がある」

「施工台帳には20年前に外壁補修の記録がありました。でも、図面が残っていません」

「図面がないと、修繕範囲と施工内容を確認できない。追加調査が必要になる」

「調査費を試算してみます」

石末は何も言わず、次の箇所へ移動しながらテストハンマーで壁を叩いた。長谷はその背中を追いながら、メモを取り続けた。二人の間に余分な言葉はなかった。

深夜。長谷の自宅。PCの画面だけが光っている。

「施設白書を作り始めた。元になる台帳データに抜けがありすぎる。現場の協力者は得られたが、市内の全施設を回るには人手も時間もない。完璧なものが作れるまで待っていたら、何年かかるか検討もつかない」

しばらくして、中性化のレスが付いた。

「データのない役所にFMはできない。だが完璧なデータの完成を待っていたら、何年経っても始まらない。今ある不完全なデータで動いて、修正しながら進むしかない。まず『施設白書』の骨格を作れ。現状の総量、床面積、築年数――これだけでいい。維持コストは後から肉付けしろ。参考となるURLを送る」

不完全でも動く。動きながら直す、か。リンク先のサイトを開いた。

翌朝、管財課。長谷が施設白書の骨格を作成していると、石末が長谷のデスクに来た。

「昨日の公民館、外壁全面打診調査の見積だ。予算要求に使え」

「ありがとうございます。石末さん、なんで手伝ってくれる気になったんですか」

「……お前が図面を見た時の目だ」

「目?」

「建物を数字として見てる目じゃなかった。……まあいい。俺の技でデータ化できるものは手伝ってやる。ただし俺は現場の人間だ。書類仕事はお前がやれ」

それだけ言うと、石末が営繕課に戻っていった。その背中を見送ると、長谷は作業に戻った――各課へ電話をかけ、古い図面を探し回り、現場を歩き続けた。

数週間後。第一稿である施設白書(仮)が、長谷の机に積まれた。まだ不完全だが、骨格はできた。各部局の協力をもらい、これに肉付けしていけばいい。

管財課長に施設白書(仮)を提出した。課長はページをめくり終え、少し間を置いてから口を開いた。

「よく頑張ったな、長谷くん。しかし……各部局からの協力は得られないかもしれないぞ」

「なぜですか。全庁的な管理の実現には、全施設のデータを集めて共有しなければ、――」

「長谷くんの言うとおりだ。でも各部局は、自分たちの施設の維持費を外に出したくない。数字が公開されれば、予算削減の標的にされるかもしれないと思っている。政治的に、難しいんだ。……それに、俺の代で波風を立てたくない」

長谷の依頼に対して、各部局の窓口の対応は冷ややかだった。課長の言ったとおりだった。

台帳は集めた。石末さんが足りないデータを集めてくれた。骨格まで作れた。でも、維持コストは、各部局の協力がなければ、集められない。

どう進めればいいのか、長谷にはわからなかった。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら