ss08

自治体FM物語外伝 › 第8話
外伝 第8話

受け継いだ人

この話の公開状況
状態

← 外伝 目次に戻る

秋の昼下がりだった。

市立図書館は三階建てで、かつて廃止候補に挙げられた施設だった。

正面の自動ドアを、高校生が通り抜けていく。窓際の椅子では、老人が新聞をゆっくりとめくっている。絵本コーナーから幼い子どもの笑い声が漏れ、司書が静かに声をかけていた。

特別な光景ではない。

ただの午後だった。

窓際のテーブルで、管財課の若手職員が、タブレットに表示した個別施設計画を確認していた。

「課長、この建物って……もともとは児童センターで、廃止候補だったんですよね」

若手職員が、隣に立つ上司を見上げた。

長谷巡、三十六歳。管財課長。

最近は、作業着よりもスーツを着る機会の方が増えていた。

長谷は少し意外そうな顔をしたが、すぐにいつもの表情へ戻った。

「……ああ。古い計画書で見たのか」

「はい。児童センターは利用率が低下していて、元の図書館は老朽化していた。どちらも、廃止検討の対象に入っていました」

長谷は答えず、窓の外を見た。

自転車で来た高校生が、入口を通っていく。杖をついた老人が、ゆっくりと帰っていく。

若手職員が、画面を見ながら続けた。

「元の図書館は解体された。でも、この建物は残して、図書館機能を移し、複合施設にしたと書かれています」

少し間を置いて、尋ねた。

「……なぜ、残したんですか」

長谷は、窓の外から視線を戻さないまま答えた。

「残したんじゃない」

それから、言葉を続けた。

「残されたんだ」

「誰に、ですか」

「俺が会った人たちと、会ったことのない人たちに」

若手職員は、分かったような、分からないような顔をした。

それでいい、と長谷は思った。

分かるのは、もっと先のことだ。

長谷は、今度は若手職員に尋ねた。

「お前は、この場所をどう見た」

「どう、というのは」

「計画書の数字じゃない。今、ここに立って、自分の目で見て、どう思った」

若手職員は、もう一度、館内を見渡した。

高校生。

新聞を読む老人。

絵本コーナーから聞こえる笑い声。

しばらく考えてから答えた。

「……残ってほしい、と思いました。数字とは別に」

長谷は頷いた。

「その感覚を、大事にしろ」

それ以上は言わなかった。

二人は図書館を出た。

館内には、変わらず穏やかな時間が流れていた。

日が落ちた後、長谷は庁舎の廊下を一人で歩いていた。

十年前より、建物は少なくなった。

計画に沿って統廃合が進み、役割を終えて更地になった場所もある。職員の数も減った。

それでも、街は続いている。

営繕課の部屋に、まだ灯りがついていた。

若い技術職員が一人、机に図面を広げ、赤いペンで書き込みをしている。

石末が定年を迎えた頃、長谷は自分の変化に気づいた。

技術職の若手に向かって、

「現場から逃げるな」

と言っている自分がいた。

その時は、自分でも驚いた。

石末の口調が、いつの間にか移っていた。

そう言えと教わった覚えはない。

隣で、長い間、石末の仕事を見ていただけだった。

それでも、気づけば、同じ言葉が自分の口から出ていた。

長谷は営繕課の扉を軽くノックした。

若手職員が顔を上げた。

「課長、こんな時間にどうしたんですか」

「帰れよ。それ、明日でもいいだろう」

「もう少しだけです」

長谷は、少し笑った。

その返し方にも、覚えがある。

かつて、自分も同じことを言っていた。

「無理はするな」

長谷は言った。

「でも、途中で投げ出すなよ」

若手職員が頷いた。

長谷は扉を閉めた。

副市長室の窓には、まだ灯りがあった。

財政課の電気は、すでに消えている。

地下へ続く階段の前まで来た。

降りるつもりはなかった。

今日は、いい。

ただ、その入口を見ただけで、足が止まった。

萬代のいた資料室。

珈琲の匂い。

答えではなく、問いだけを渡された場所。

長谷は、しばらく階段の暗がりを見つめてから、歩き出した。

庁舎を出ると、夜の街が広がっていた。

空は低く、風は冷たかった。

長谷は、玄関の前で立ち止まった。

市役所の窓には、まだいくつか灯りが残っている。

今夜も、誰かが働いている。

その中には、先ほどの若い技術職員もいる。

図書館の方角から、子どもの声が聞こえた。

閉館前なのだろう。

長谷は、昼間の若手職員の顔を思い出した。

「残ってほしい、と思いました」

その感覚を、若手はまだ、理由として説明できていなかった。

それでいい、と長谷は思った。

理由は、後から育つことがある。

見たもの。

聞いた言葉。

誰かの仕事の仕方。

その時には意味が分からなかったものが、何年も経ってから、自分の判断を支えることがある。

自分が、そうだった。

諫山の残した問い。

萬代から渡された言葉。

石末の現場を見る目。

響矢が数字へ向けた厳しさ。

千々岩が教えた、通すための考え方。

誰か一人から受け取ったわけではない。

会った人からも、会ったことのない人からも、少しずつ渡された。

長谷は、ようやく気づいた。

自分は、見送る側になったのだ。

誰かを送り出す側。

問いを渡す側。

かつて受け取ったものを、今度は次の人間へ渡す番になった。

寂しさはなかった。

ただ、少しだけ背筋が伸びるような感覚があった。

昼間の若手は、まだ分かっていない。

営繕課の若者も、今は目の前の図面しか見えていないかもしれない。

それでいい。

いつか必要になった時に、自分の言葉として思い出せればいい。

長谷は歩き出した。

背後には、市役所の灯りが残っていた。

前方には、図書館の窓から漏れる光が見えた。

残った建物。

残らなかった建物。

その間で受け継がれてきたもの。

夜の街は、まだ続いていた。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら