ls0208

急ぐ理由 第8話

三崎

この話の公開状況
章状態
一
二
三
四
五

← 急ぐ理由 目次に戻る

一

長谷巡が高峯市に来たのは、十二月の第二週だった。

青葉市資産経営部長。四十一歳。名刺を受け取って、黒瀬は思ったより若いと感じた。

会議室で、上半期の資料を広げた。

長谷は一件ずつ目を通していった。読むのが速かった。

「判断は速いですね」

長谷が言った。

「結果も出ている。児童館の防水改修、あれは効いてますね。使用制限が出る前に手を打っている」

「それが、うちのやり方です」

黒瀬は答えた。

「ただ」

長谷が、資料の一枚を指で叩いた。

「反対意見の記録が、どれも短い。何が議論になったのか、これだけでは分かりません」

「議論はしています。記録が短いだけです」

「短いのと、無いのは、外から見ると区別がつきません」

黒瀬は即答しなかった。

長谷も、それ以上は追わなかった。

二

昼を挟んで、檜倉の現地視察に向かった。

車の中で、黒瀬が言った。

「長谷さんも、急いでいる方だと聞いています」

「うちも、施設が老朽化していく速さに、何度も置いていかれそうになりました」

長谷はうなずいた。

「なら、分かるはずです。手続きを待っていたら、間に合わない場面がある」

「分かります」

長谷は即答した。早口だが、迷いのない口調だった。

「だから、うちも急ぎます。ただ、急ぐ理由は、あとで誰かが確認できる形で残します」

「記録を残す時間が、いつもあるとは限らない」

「時間がないなら、後からでも書けます。書かないことを選んでいるのは、時間の問題じゃないと思います」

黒瀬は答えなかった。

早く決めた方が、皆のためになる。喉まで出かかったその言葉を、黒瀬は口にしなかった。

三

視察を終えて、庁舎に戻った。

廊下で、二人になった。

「結局、青葉市も施設を減らしているでしょう」

黒瀬が言った。

「減らしています」

長谷は答えた。

「残せないものまで残そうとは思っていません」

「なら同じだ」

「たぶん、違います」

黒瀬の眉が、わずかに動いた。

「黒瀬さんは、まず何を減らせるかを決めてから、住民に説明する。僕は、住民にとって必要なサービスが何かを確かめてから、それを今の財政と人員でどう実現するかを考えます。施設を減らすのは、そのための手段です」

「時間がかかる」

「かかります」

「その間にも建物は古くなる」

「それも分かっています」

「財政は待ってくれない」

「はい」

長谷は否定しなかった。

黒瀬は、しばらく黙っていた。

「……甘いな」

「そうかもしれません」

長谷は、少しの間、答えを探しているようだった。

「うちにも、二年かけてまとまらなかった案件があります。その二年で、修繕費は上がりました。それは、僕の方法の代償です」

「なら、どうする」

「代償を引き受けます。ただ、何のために引き受けたのかは、残します」

黒瀬は、それに答えなかった。

だが、その言葉は、長谷を見送ったあとも、しばらく黒瀬の中に残っていた。

四

視察の合間、三崎は長谷と二人になる時間があった。

「黒瀬さんのやり方、どう思われますか」

三崎の問いに、長谷はすぐには答えなかった。

「急がなきゃいけないことは、うちの市にもあります。だから、黒瀬さんの問題意識は分かります」

「でも」

「判断の理由を残さないと、次の人が検証できません」

長谷の言葉は、断罪ではなかった。淡々とした事実の指摘だった。

三崎は、檜倉の件を話した。

評価基準を変更したこと。その基準自体は合理的であること。適用すると檜倉の順位が大きく動くこと。詳細点検で腐朽が見つかったこと。事前に分かっていたという噂が広がり、黒瀬が訂正していないこと。

長谷は、しばらく黙っていた。

「基準を変えたこと自体は、問題ないと思います」

「はい」

「問題は、変えた経緯が残っていないことです。三年後に誰かが同じ基準を使う時、なぜこの重み付けなのかが分からない」

長谷はそう言ってから、続けた。

「それと、訂正しなかったことは、記録の話とは別ですね」

「別、というのは」

「記録は仕組みの問題です。訂正しないのは、その人の判断です」

長谷はそこで言葉を止めた。

続きは、三崎自身が考えることだった。

五

長谷が帰った翌日、三崎は原資料を出し始めた。

大滝野の初期案。行事利用の集計。桔梗台の説明会で久遠田が話した内容の、自分の手帳の書き写し。

基準変更前の作業資料も探した。他の重み付け案があったはずだった。

見つからなかった。

黒瀬の机の中にはあるかもしれない。だが、共有フォルダにも、決裁の綴りにもなかった。

樫村に声をかけた。

「大滝野の写真、まだ持ってるか」

「あります」

「見せてくれるか」

樫村は端末を開いた。

秋祭りの写真。提灯。長机に並んだ年配の人たち。子どもが走っている。

その次に、去年の記録があった。

参加者百二十名。前年比マイナス二十名。歩道未整備区間あり。

「これ、誰かに出したか」

「出してません」

樫村は言った。

「出す様式がなかったので」

三崎は、その画面をしばらく見ていた。

黒瀬が作った成果は、確かに残っている。四十人の居場所は守られた。三百万円は無駄になっていない。

だが、二十人が来なくなったことは、どこにも記録されていなかった。

この話のFM豆知識

FMの教訓:報告様式に、費用の削減とともに、来られなくなった人や失われた活動を書く欄を作る。

◆ この話で扱う仕事

関係するFMの仕事:評価/改善/担当外の人による確認

担当外の人が資料を読むと、担当者が当然だと思って省いた説明に気付くことがあります。確認してほしい資料と質問を渡し、回答をどう検討したかも残します。長谷への相談は、外部の人に見てもらう例です。ただし、正式なFM監査として依頼し、手順を決めて行ったものとは区別します。

◆ 結論の確認だけでなく、足りない資料を尋ねる

相談するときは、「この案でよいか」だけでなく、「何を追加で確かめる必要があるか」を尋ねます。例えば、施設を集約する案なら、来られなくなる人はいないか、別の場所でも活動を続けられるかを見てもらいます。指摘を受けた項目は、担当課と調べ、結果を次の判断に使います。

◆ 集めた情報を、報告できる欄と手順を用意する

職員が問題に気付いても、報告書に書く欄がなく、誰に出すかも決まっていないと、個人の記録にとどまる場合があります。費用や人数の表に加え、利用者が困ったことを書く欄を設けます。福祉や教育の担当課と調べる必要がある事項は、その課と回答期限も記します。

◆ 物語の場面

長谷は、黒瀬の判断の速さと、児童館の閉鎖を避けられたことを認めます。そのうえで、反対意見などの記録が乏しい点に目を向けます。三崎が元の資料を調べると、評価の配点を比べた案は共有フォルダにも決裁綴りにもなく、秋祭りの参加者が減った記録は樫村の端末だけにありました。

■ 担当者が行うこと

実施後の報告には、費用、安全性、利用人数に加え、移動の負担や続けられなくなった活動を記してください。数字で示せない場合は、聞き取りや現場で確認した内容を残します。見守りや交流への影響は福祉などの担当課と調べます。まだ分からないことは、次に調べる項目として担当と期限を決めてください。

確認する法令・計画・庁内のルールなど

  • 公共施設等総合管理計画・個別施設計画:費用、安全性、広さや利用状況を調べる項目と、実施後に見直す手順を確認します。
  • 各自治体の事後評価・行政評価の様式:期待した効果と、利用者に新たに生じた不便の両方を報告できるかを確認します。
つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら