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いちばん近い建物 第4話

どこを削るか

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四月。長谷は全庁に照会をかけた。

改修後の本庁舎で必要となる面積を、課ごとに出してもらう。執務室。会議室。書庫。相談室。倉庫。用途ごとに分け、必要とする理由も書いてもらう様式にした。

五月末。集計が出た。

長谷は合計欄を見て、しばらく黙った。現在使っている面積を、上回っている。

桜井肇が横から覗き込んだ。

「増えとるな」

「増えました」

「三層落とす話は、どこへ行った」

「一度目は、こうなります」

長谷は驚いていなかった。

どの回答にも理由がある。書類が増えている。相談を受ける場所が足りない。人員は減ったが、業務量は減っていない。委託が増え、事業者との打合せ場所が要る。

どれも、嘘ではない。そして、どの課も自分のところだけを見れば正しい。

長谷には覚えがあった。学校の統廃合でも、公民館の集約でも、必要な面積を出してくださいと聞けば、必要な面積が返ってくる。要らない床を、自分から差し出す課はない。

だからといって、最初から削減率を示すわけにもいかなかった。三割減らしてください、と書けば、次に返ってくるのは必要面積ではない。三割減らした後の数字である。それでは、どこに余地があるのか分からなくなる。

まず、本音を出してもらう。一度目は、そのためだった。

問題は、二度目をどう聞くか。

長谷は集計表を閉じた。

六月。長谷は四階の財政課へ行った。

響矢律が、書類を立てたまま指で押さえている。長谷が集計表を出すと、響矢は一枚目を見ただけで顔を上げた。

「これ、査定前の要求額と同じですね」

「同じです」

「なら、同じようには減りません」

「分かっています」

「分かっていて、聞いたんですか」

「一度目を聞かないと、二度目で何が変わったか分からないので」

響矢は集計表を戻した。その点については、それ以上言わなかった。

代わりに、別の資料を引き寄せた。

「事業費の話をしておきます」

「はい」

「三層減らせば工事費も大きく下がる、という話が庁内で少し先に走っています」

長谷は黙って聞いた。

「正確ではありません」

「どういう意味ですか」

「補強量は減る可能性があります。でも、解体が増える。新しい屋根も要る。設備も更新する。仮庁舎も要る」

響矢は指を折った。

「減らす工事だから、安いとは限りません」

「財政課としては、反対ですか」

「賛成でも反対でもありません」

響矢は即答した。

「順番の問題です」

学校の長寿命化。道路。橋。設備更新。本庁舎に厚く配れば、その分、どこかが薄くなる。

響矢は集計表の合計欄を指した。

「それより、一つ決めていないことがあります」

「何ですか」

「誰が、どこを削るんですか」

長谷は答えなかった。

響矢が続けた。

「一律に何割ですか。部署の重要度ですか。それとも管財課が一部屋ずつ査定しますか」

どれも、長谷が考えた方法だった。

一律なら、業務量の多い課ほど苦しくなる。重要度なら、その順位を誰が決めるのかという話になる。管財課が一つずつ査定すれば、今後何年も協力してもらわなければならない相手と、最初から対立する。

「まだ決めてません」

長谷は言った。

響矢は少しだけ眉を上げた。

「それを決めないと、数字は下がりません」

長谷は集計表を見た。

「誰が削るか、ですか」

「そうです」

長谷は資料を鞄に戻した。

「考えます」

響矢は、自分の書類に戻った。

七月。長谷は二度目の照会を出した。

誰が削るか。その答えは、管財課ではない、だった。

一律に削れば反発が残る。重要度を付ければ、対立が残る。管財課が査定すれば、押しつけになる。どれも過去に見た。

ならば、原課に決めてもらうしかない。

ただし、一度目と同じ材料で聞けば、答えも同じになる。判断の材料を変える必要があった。

長谷は照会様式を作り直した。

各課が現在使っている面積。その横に、もう一つ数字を入れた。その床を市が持ち続けるために、毎年どれだけ費用がかかっているか。

光熱水費。清掃。保守。点検。修繕。将来の更新に備える費用。それらを庁舎全体でならし、一平方メートル当たりの概算額として示した。

実際に各課から取る金ではない。予算を移すわけでもない。長谷は、それをはっきり書いた。

そのうえで、各課の要求面積に掛けた。

専用会議室。書庫。応接室。倉庫。それぞれに、これを残すと市全体では毎年これだけの床を持ち続ける、という数字が付いた。

添えた文章は、一行だけだった。

この五十平方メートルを残すということは、市として毎年この費用を負担し続けるということです。

削減率は書かなかった。削る場所も指定しなかった。

長谷が決めたのは、何を残すかではない。残すものを、何を見ながら決めてもらうか。そこまでだった。

八月。回答が戻った。

合計は下がった。

ある課は、月に一度しか使わない専用会議室を、共用予約制へ回すと書いた。別の課は、保存文書を整理したうえで書庫を縮めると回答した。応接室を二つ持っていた部は、一室で対応するとした。

減らしてください、とは、一度も書いていない。各課が、自分で残すものを選び直した。

長谷は、その結果に別の数字を重ねた。防災棟へ移した機能。組織統合で不要になった区画。見直せる執務レイアウト。共用化できる会議室。整理できる書庫。更新に合わせて縮小できる設備スペース。

一つの理由で、三層が出てきたわけではない。五十年間に積み重なった小さな変化を拾うと、初めて、三層という大きさになった。

九月。長谷は結果を財政課へ持っていった。

響矢は、二度目の照会様式を見て手を止めた。

「この金額、実際に各課から取るわけではないんですよね」

「取りません」

「予算配分にも使わない」

「使いません」

「制度にも」

「しません」

響矢は少しだけ安心したように資料をめくった。

「制度にすると、次から別の話になります」

「負担額の算定根拠が妥当か、とか」

「うちの課だけ条件が悪い、とか」

「そうなりますね」

「今回は、判断材料として見せただけだから効いたんだと思います」

長谷も同じことを考えていた。二度目はない。同じ手法を繰り返せば、次から各課は数字の意味を読む。そうなれば、また防御が始まる。

響矢は最後まで目を通した。

「数字としては成立しています」

長谷は息を吐いた。

「三層、いけますか」

「面積としては」

響矢は言った。

「ただし」

長谷は顔を上げた。

「これで納得したのは、誰ですか」

「各課です」

「各課長は、ですね」

長谷は黙った。

響矢が続けた。

「その会議室を使っていた人。その書庫の前に机がある人。窓側の席がなくなる人。そういう人は、この照会に答えていません」

長谷は資料を見た。

数字の上では、一つの床だった。そこには、人がいる。

「削ると決めた人と、削られる場所にいる人は、別ですね」

「そういうことです」

長谷は資料の合計欄を見た。

以前なら、ここでもう一つ説明資料を作ろうとしたかもしれない。納得してもらう方法を探したかもしれない。

だが、今回は違った。

「そこは、数字では解けませんね」

響矢の手が止まった。

「たぶん」

長谷は続けた。

「ただ、後から出てくる問題ではないです。今のうちに総務に入ってもらいます」

「藤岡さんですか」

「はい」

長谷は資料を閉じた。

解けないものを、解けたことにはしない。ただ、見えているなら、先に条件にしておくことはできる。

長谷は財政課を出た。

このときはまだ、それが面積より難しい問題になるとは、分かっていなかった。

この話のFM豆知識

FMの教訓:部屋を使い続ける費用を示し、各課に必要な広さと共用できる場所を考えてもらう。

◆ この話で扱う仕事

関係するFMの仕事:評価/統括マネジメントの財務管理・面積の基準

各課が必要な広さを考えるときは、使い方とともに、その場所を維持する費用を知らせます。職員一人当たりの広さや共用部の取り方など、庁内で使う面積の基準も確かめます。ただし、一平方メートル当たりの平均費用に減らす面積を掛けても、その額だけ予算が減るとは限りません。実際に減る支出は、費目ごとに調べます。

◆ 必要な広さを、使う理由と一緒に聞く

各課には、職員の席、書類の保管、会議、応接など、何のために何平方メートル必要かを聞きます。今使っている分と、今後増やしたい分も分けます。その後、費用や利用状況を示して、共用にできる部屋、整理できる書庫を考えてもらいます。回答が変わった場合は、変えた理由も残します。

◆ 毎年払っている費用と、将来の工事費を分けて示す

毎年払う清掃費や光熱水費と、将来の設備更新に備えて一年当たりに換算した費用は、分けて示します。計算した年数や対象の設備も記します。部屋を減らしても、建物全体で使う設備や契約の基本料金は残る場合があります。各課に費用を知らせることと、その額を各課に負担させることも別です。

◆ 席や書庫を使う職員にも聞く

課長が面積を減らすことに同意しても、実際に席や書庫を使う職員には、まだ説明が届いていないことがあります。例えば、書類を取りに行く距離が延びるなら、仕事への影響を聞きます。総務や人事の担当にも早く相談し、配置を決める前に確認する項目をそろえます。

◆ 物語の場面

最初に集めた各課の希望面積は、今の庁舎の面積を上回りました。長谷は、使い続ける費用を示して、各課に必要な広さを考え直してもらいます。共用にする部屋や縮小できる書庫が挙がり、三層を減らせる見込みが出てきます。一方、響矢は、減らすと決めた人と、その場所で働く人は別だと指摘します。長谷は総務にも早い段階から相談します。

■ 担当者が行うこと

必要な広さとその理由、見直した後の広さと変更理由を記録してください。減る費用は、清掃、光熱水、設備更新などに分けて確かめます。解体、新しい屋根、仮移転、離れた庁舎間の連絡に増える費用も比べます。各課の回答を集計した後は、安全な通路、共用部、面積の基準、職員や来庁者への影響を関係課で確認します。

確認する法令・計画・庁内のルールなど

  • 総務省「公共施設等総合管理計画の策定等に関する指針」:施設の面積と、維持・更新に必要な費用を合わせて見直す際に確認します。
  • 費用の確認資料:施設の収支や工事費の記録、今後の修繕・更新費の見積りを使います。実際に払った額、将来の見込額、面積当たりの平均額、減らせる支出を区別します。
つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら