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自治体FM物語第4巻 › 第14話
第4巻 第14話

数えられないもの

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渚町役場を出たあと、皆川は、しばらく何も言えずにいた。

日野のノートと、白井が作ろうとした提案書を、頭の中で何度も並べ直していた。

「先輩、これも当てはまってしまいますね」

田丸が、隣を歩きながら言った。

「翻訳しようとした人はいた。でも、完成する前に異動した」

その声には、発見の興奮よりも戸惑いの方が強かった。

皆川も、同じ戸惑いを感じていた。

「うん。湊原市も、早瀬市も、渚町も、全部、同じ仮説で説明できてしまう」

「良いことじゃないんですか。仮説が当たっている、ということですよね」

「……それが、少し怖い」

皆川は、ようやくそれだけを口にした。

三つの事例を、自分で選んで見てきた。

だからこそ、自分に都合のよい説明へ、事例の方を寄せてしまっているのではないか。その不安が消えなかった。

白井が、少し間を置いて言った。

「調べる側の都合で、なかったことにされているものは、きっと他にもあると思うよ」

普段の白井は、簡単に評価や断定をしない。

その白井が、珍しく踏み込んだ言い方をした。

それは、制度にはならなかった日野のノートを擁護する言葉であると同時に、皆川の仮説へ向けられた警告でもあった。

駅へ向かう途中、皆川は立ち止まり、フィールドノートを開いた。

これまでとは、少し違う書き方になった。

フィールドノート 渚町・転換点

「翻訳者」と「担い続ける人」の両方が必要である、という仮説は、湊原市、早瀬市、渚町の三事例すべてに当てはまる。

しかし、三事例に当てはまるからといって、それを法則と呼ぶことはできない。

自分が見たいものに合わせて、事例を読んでいないか。

仮説に当てはまらない事例を、まだ見ていないだけではないか。

もう一つ、この仮説は、時間が経過してからでなければ検証できない。

現時点で翻訳者と担い手が揃っていても、その仕組みが本当に根付くかどうかは、数年後まで分からない。

前職で、私が見られなかったものと同じである。

計画が完成した直後の姿だけでは、定着を判断できない。

田丸が、ノートを覗き込まずに言った。

「もっと見ないと、ですね」

「うん」

皆川はノートを閉じた。

「でも、一つ一つ全部を、自分の足で回るのは無理だと思う」

それは研究計画上の課題ではなかった。

自分の限界を、自分の言葉で初めて認めた瞬間だった。

大学に戻った皆川は、蓑輪の個室で、早瀬市と渚町の調査結果を報告した。

早瀬市では、沖田が地域に合わせて仕組みを作り直した。しかし後継者が決まらないまま異動し、運用は止まった。

渚町では、日野が青葉市の取組を読み続けていた。白井がそれを公式な提案へ翻訳しようとしたが、完成前に町を離れ、提案は立ち消えになった。

蓑輪は、最後まで聞いてから確認した。

「三つの事例が、すべて同じ仮説で説明できてしまう、ということですね」

「はい」

皆川は頷いた。

「だから、怖いんです。都合が良すぎる気がします」

蓑輪は、すぐには答えなかった。

しばらくして、小さく頷いた。

「では、もっと多くの事例を見ましょう」

「仮説を確かめるために、ですか」

「いいえ」

蓑輪は、穏やかな声で言った。

「仮説を壊すためにです」

皆川は、その言葉を繰り返した。

「壊すために」

「当てはまる事例だけを集めれば、どんな仮説でも正しく見えます。必要なのは、当てはまらない事例を探すことです」

皆川は頷いた。

これまでは、青葉市で見つけたものが、他の自治体にも存在するかを確かめようとしていた。

これからは違う。

存在しない場所を見る。

翻訳者がいなくても根付いた事例。

担い手が交代しても続いた事例。

二つが揃っていても失敗した事例。

そうした反例を探さなければならない。

新しい調査が、そこから始まった。

調査対象を広げるにあたり、皆川と田丸は、事例を記録するための共通様式を作った。

自治体名や制度名だけでは、比較できない。

そこで、どの事例でも同じ事実を確認できるよう、項目を揃えた。

担当者の立場。専従か、兼任か、所掌外の自主的な取組か。

担当者の在籍年数。

外部の知見を、その自治体に合わせて作り直した人物の有無。

運用を継続的に担った人物や組織の有無。

判断理由や変更経緯の記録の有無。

異動時の後継者の有無。

首長交代や組織改正の影響。

予算と人員の変化。

点数はつけなかった。

定着度も、成功度も評価しなかった。

同じ項目で、確認できた事実だけを集める。

仮説に沿って解釈するのは、事例が揃ってからにした。

田丸が、完成した様式を見ながら言った。

「答えを書く欄がないですね」

「うん。今は、なくていい」

「先輩、前より慎重になりましたね」

皆川は考えた。

「前は、早く答えを出したかったんだと思う」

「今は違うんですか」

「今は、間違った答えを出す方が怖い」

田丸は、それ以上何も言わなかった。

二人は、完成した様式を共有フォルダに保存した。

ファイル名は、「自治体FM知見伝播事例・共通調査票」。

空欄ばかりの表だった。

その空欄を埋めていくことが、次の調査になった。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら