ep410

自治体FM物語第4巻 › 第10話
第4巻 第10話

呼び水

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早瀬市役所は、青葉市役所より一回り小さかった。

財政基盤が弱いと聞いていた通り、庁舎のあちこちに、改修の手が回っていない箇所が見える。壁紙の継ぎ目は浮き、ロビーの床には補修跡が残っていた。蛍光灯も、場所によって明るさが違っている。

皆川と田丸がロビーで待っていると、廊下の奥から白井が小走りで現れた。

「皆川さん、田丸さん。お待たせして申し訳ありません」

研究室で見せた砕けた口調とは、まるで違っていた。

姿勢を正し、丁寧に頭を下げる白井を見て、皆川は一瞬、別人かと思った。隣にいた田丸も、目を丸くしている。

「白井先輩、職場だと、印象が全然違いますね」

「そうですか?」

白井は、周囲を一度見回してから答えた。

「ここでは、お二人も一応、調査に来られたお客様ですから」

わざとらしく畏まった表情を作ったあと、白井は少しだけ笑った。

その一瞬だけ、研究室での顔に戻った。

「こちらです。まず、資料を見てもらった方が早いと思います」

白井は二人を庁舎の奥にある資料室へ案内した。

室内には、施設台帳や公共施設白書のファイルが、年度ごとに整然と並べられていた。背表紙の様式は統一され、分類も分かりやすい。少なくとも、外から見ただけでは、管理が止まっているようには見えなかった。

白井が、一冊のファイルを棚から取り出した。

「最初の二、三年は、かなり動いていたんですよ」

過去形だった。

白井は、感情を交えず、事実だけを伝えるように言った。

皆川がファイルを開くと、すぐに異変に気づいた。

施設ごとの利用率、維持管理費、劣化状況。書式は青葉市で見た白書によく似ている。項目の配置も、評価方法も、ほぼ同じだった。

しかし、更新日付の欄が、数年前を最後に途切れている。

「更新が止まったのは、いつ頃からですか」

皆川が尋ねると、白井は少し考えてから答えた。

「市長が替わってからです。正確には、その後に行われた組織改正からですね」

「担当部署が変わったんですか」

「施設マネジメントの専任チームが廃止されました。業務は複数の課に分けられて、それぞれの担当業務の一部として引き継がれました」

「その後、誰も更新しなくなった」

「誰も、というより、全員の仕事になった結果、誰の仕事でもなくなりました」

白井は、淡々とそう言った。

記録そのものは消えていなかった。

表紙も、書式も、評価項目も残っている。青葉市の仕組みを導入しようとした痕跡は、はっきりと読み取れた。

ただ、運用だけが途切れていた。

田丸が、ファイルの背表紙を指先で軽くなぞった。

「表紙はきれいですね」

それから、開かれたページの端を見た。

「でも、中の方は埃をかぶっています」

白井は否定しなかった。

「誰も開かなくなりましたから」

皆川は、その言葉をそのままメモに取った。

早瀬市には、制度も、書式も、記録も残っている。

それでも止まった。

これまで見てきた自治体とは、違う種類の失敗だった。

一度は動いた仕組みが、組織の変化によって、静かに止まっていた。

青葉市の仕組みは、早瀬市で取組を始める呼び水にはなった。

だが、水を流し続ける仕組みまでは作らなかった。

フィールドノート⑨ 早瀬市・到着

白井氏の現任地。

施設台帳・公共施設白書には、青葉市の形式を踏襲した痕跡がある。導入後の二、三年間は実際に更新されていた。

市長交代後の組織改正により、専任チームが廃止され、業務が複数課へ分散。その後、更新が停止した。

記録は消えていない。制度も書式も残っている。ただ、誰も開かず、誰も更新していない。

白井氏:「全員の仕事になった結果、誰の仕事でもなくなりました」

仮説7:制度が根付くためには、仕組みを導入するだけでなく、それを担う主体と責任の所在が維持される必要がある。

確認すべきこと:「一度は根付いたように見えた仕組み」が、なぜ組織改正だけで止まったのか。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら