体育館の夜
桧原地区の小学校体育館は、57棟の再編方針の中で、「避難所機能の再配置」というパターンを検証する最初の事案として選ばれていた。
「数字だけ見れば、廃止すべき施設です」
津久見が資料を閉じながら言った。
来島は、すぐには答えなかった。
「数字だけ、ですね」
静かな返事だった。
「他にも見るべきものがあると、お考えですか」
津久見が尋ねる。
来島は少し考えてから首を振った。
「まだ分かりません。今は、言葉にできる段階ではありません」
意外だった。
以前の来島なら、「設計できます」と迷わず答えていたはずだ。
今は違う。
分からないことを、分からないと言う。
その変化を、津久見は黙って受け止めた。
「来島さんに、一つ共有しておきたいことがあります」
「何でしょう」
「これまでの再編方針では、施設を廃止する場合、その機能は行政の中で置き換えるか、近隣施設へ統合するか、その二つを前提にしてきました」
来島は黙って聞いている。
「ですが、その前提を外そうと思っています」
「行政の外に答えを探す、ということですか」
「ええ」
津久見は頷いた。
「民間への委託や売却も、その一つです。ただ、それだけではありません。行政が施設の管理から手を引いたあと、地域のサービスを誰が、どう支えるのか。その仕組み自体を設計したいと考えています」
「住民自身が担うことも含めて」
「はい」
来島が小さく笑った。
「それが、私が呼ばれた理由ですね」
「そうです」
津久見も短く答えた。
「制度や法令、数字までは私が整理できます。しかし、その先で人が合意し、役割を引き受ける仕組みは作れません。そこは、来島さんの専門です」
体育館の床は、ところどころ波打っていた。
築三十九年。
Is値〇・六一。
避難所指定施設だが、代替施設の収容人数は百二十人。地区人口は五百八十人。数字だけ見れば、避難所機能の再配置は成立しない。
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夜になっても、体育館には灯りがついていた。
地元の子どもたちのバスケットボールチームが練習をしている。
掛け声とボールの音が、静かな校庭に響いていた。
二人は入口に立ち、その様子を見つめた。
津久見は手帳を開き、
「体育館としての機能は維持されている」
と書いた。
そして、その下にもう一行加えた。
「避難所としての評価だけでは判断できない」
書き終えたあと、自分でもその一文を見返した。
湊原市に来てから、何度も同じことを書いている。
数字では説明できない。
制度だけでは整理できない。
最初は例外だと思っていた。
しかし、診療所も、公民館も、消防団詰所も、同じだった。
例外ではない。
自分が、これまで見落としてきただけなのかもしれない。
「来島さん」
体育館の照明が一つ消えた。
練習が終わったらしい。
「もう一つ、見ていただきたい場所があります」
「どちらですか」
「港ノ浦です」
津久見は続けた。
「診療所があります。医師は七十一歳。三十年近く、一人で地区の医療を支えてきました」
来島は何も言わない。
「代替手段は考えました。巡回診療も、遠隔診療も、送迎も整理しました」
津久見は小さく息をついた。
「でも、その先生が三十年間積み重ねてきたものを、置き換える方法だけは、まだ見つかっていません」
来島は体育館の床ではなく、窓の外を見ていた。
「これが」
津久見は言葉を選んだ。
「来島さんに来ていただいた、一番の理由です」
この話のFM豆知識
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※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
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