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第2巻 第12話

終わらない補助金

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藤崎良太が宮野彩乃の机の前に立ったのは、午前十時を過ぎた頃だった。

書類を一枚持っている。

立ったまま、何度か口を開きかけて、そのたびに閉じた。

「どうしたの」

宮野が声をかけると、藤崎はようやく話し始めた。

「北小の空き教室のことなんですが」

北小学校の三階に、使われていない教室が二つある。

児童数の減少で余った部屋だった。

そのうち一室を改修して、特別支援のための教室にする計画が進んでいる。

設計はほぼ固まっていた。

「部屋に、備品が残ってるんです」

藤崎が書類を差し出した。

備品の一覧だった。

書架が四台。

工作用の作業台と、糸のこ盤。

プロジェクターとスクリーン。

「地域学習活動推進事業」という事業名が、一覧の上に書かれている。

「十年以上前に、補助金で入れたものだそうです」

「今は使ってないの」

「地域の活動自体は続いてるんですが、公民館の方でやってます。ここの備品を使ってるのは、年に数回だと聞きました」

藤崎は書類の端を指で押さえた。

「移すか処分するか、決めれば済むと思ってたんです」

「違ったの」

「学校の事務の方から、補助金で買ったものは勝手に動かせないかもしれない、と言われて」

宮野は一覧を受け取った。

備品は八点。

十年以上前の購入で、耐用年数はとうに過ぎているものが多い。

「交付要綱と台帳を見れば分かるでしょう」

宮野は言った。

「午後、少し時間を取る」

藤崎は頭を下げて戻っていった。

その背中を見ながら、宮野は半日で終わる仕事だと思っていた。

午後、宮野は簿冊を三冊、机に積んだ。

平成十二年度の教育委員会の補助事業関係書類。

背表紙の紙が茶色く変色している。

一冊目を開いた。

補助金の交付申請書があった。

事業の目的、実施計画、所要経費の内訳。

添付された設計書には、備品ごとの単価まで記されている。

二冊目には実績報告書。

事業が計画どおり完了したこと、経費の精算、補助金の額の確定。

三冊目には、改修時の写真と、購入した備品の一覧。

書類は、きちんと残っていた。

申請から精算まで、必要なものは揃っている。

宮野は、順にページをめくった。

そして、手が止まった。

どの財産が処分制限の対象なのか、書かれていない。

制限がいつまで続くのかも、書かれていない。

移設や用途変更に承認が要るのかどうかも、書かれていない。

誰がこの備品の管理を引き継いできたのかも、どこにもない。

交付要綱の写しはあった。

そこには、こうある。

補助金により取得した財産の管理及び処分については、関係規定に従うこと。

宮野は、その一行をもう一度読んだ。

関係規定。

どの規定なのかは、書かれていない。

六階へ上がり、行政管理課の折原悠斗に声をかけた。

折原は、机に積まれた簿冊のことを聞くと、少し考えてから席を立った。

宮野の机で、三冊を順に見た。

読むのが速い。

必要な箇所だけを拾っている。

「使った記録は、残っていますね」

折原は言った。

「申請も、実績も、精算も揃っています」

「でも、足りない」

「使った後に、何を守る必要があるかが残っていません」

宮野は、交付要綱の写しを指した。

「関係規定に従うこと、としか書いてない」

「その規定を特定するのが、今回の仕事になりますね」

折原の口調は、いつもと変わらなかった。

困っている様子も、同情する様子もない。

事実を置いているだけだった。

宮野は椅子に座り直した。

「じゃあ、関係規定を探せばいい」

この時はまだ、そう思っていた。

制度名で検索をかけた。

地域学習活動推進事業。

該当する現行制度が出てこない。

省庁のサイトを辿ると、この事業は平成十七年度に別の事業へ統合されていた。統合先の事業も、平成二十四年度に廃止されている。

補助制度を所管していた部署の名称も、組織改編で二度変わっていた。

宮野は管財課へ内線を入れた。

備品の整理表があるという。

送られてきた表を見ると、北小学校の該当する部屋の備品が並んでいる。

備考欄に、こうあった。

地域学習補助

略称だった。

どの補助金なのかは、この表からは分からない。

財政課にも問い合わせた。

当時の予算資料は保管されている。

歳入の科目に、国庫補助金として計上された記録もあった。

ただし、交付条件までは分からないという。

「うちは、金額を管理している部署なので」

そう言われた。

学校にも確認した。

備品はある。

台帳にも載っている。

だが、なぜ勝手に動かせないのかを知っている職員は、一人もいなかった。

宮野が電話を切るたび、次の照会先が増えていく。

市の管財課。

財政課の保管簿冊。

当時の県の担当部署。

国の制度を引き継いだ部署。

補助事業の実施主体だった地域団体。

三日目の午後、藤崎が様子を見に来た。

宮野の机は、簿冊とコピーで埋まっている。

「宮野さん」

藤崎は、恐縮した顔をしていた。

「そこまでしてもらわなくても」

宮野は顔を上げた。

「あなたが悪いわけじゃないでしょう」

口調は強かった。

だが、声は静かだった。

「引き継ぐものを、誰も引き継いでないだけ」

藤崎は何か言おうとして、やめた。

宮野は、机の上を見た。

今すぐ扱いを決める必要があるのは、三つだけだった。

書架と、作業台と、プロジェクター。

その三つを動かすだけの話だったはずだ。

「これ、備品を三つ動かすための仕事じゃない」

宮野は言った。

「十年前の仕事を、今から終わらせてるんだ」

四日目に、古い予算簿が見つかった。

書庫の奥にあった簿冊の中に、県からの交付決定通知の控えが挟まっていた。

宮野は、その一枚を机に広げた。

平成十二年度。

国庫補助事業。

補助率と補助額。

そして、通知の裏面に、条件が印刷されていた。

補助事業により取得した財産のうち、単価が一定額以上のものについては、補助の目的に従って管理すること。

補助の目的に反して使用し、譲渡し、交換し、貸し付け、または担保に供する場合には、所定の手続によること。

「ありました」

宮野は折原に電話をかけた。

折原は十分後に降りてきた。

通知の裏面を読み、それから宮野に確認した。

「単価が一定額以上、というのは」

「五十万円です。当時の基準で」

「該当するものは」

「糸のこ盤と、プロジェクターです。書架は単価が低いので、対象外でした」

折原は備品一覧と照らし合わせた。

「二点ですね」

「二点のために、四日」

宮野は言った。

折原は、それには答えなかった。

代わりに、別のことを聞いた。

「この事業は、いつ終わってますか」

「平成十七年度に統合されて、その後の事業も廃止されています」

「地域の活動は」

「今も続いてます。ただし、公民館の自主運営に移ってます」

折原は、しばらく黙っていた。

それから言った。

「問題は、今も使えるかどうかじゃないですね」

「というと」

「補助で整備した財産を、どういう根拠で次の用途へ引き渡すか、です」

宮野は、通知の裏面をもう一度見た。

事業は終わっている。

活動も移っている。

それでも、この二点の備品には、条件が残っていた。

国と県への確認には、さらに三日かかった。

制度を引き継いだ部署に電話をかけると、担当者は当時の要綱を探すところから始めた。

折り返しの電話は翌日になった。

結論は、宮野が想定していたよりも単純だった。

事業終了後、相当年数が経過していること。

備品の耐用年数を超えていること。

これらを踏まえれば、市の判断で移設・処分して差し支えない。

ただし、判断の経緯を記録に残すこと。

そう言われた。

宮野は受話器を置いた。

七日目だった。

特別支援教室の改修設計は、その間止まっていた。

新たな補助金の検討も、進んでいない。

夕方、藤崎が結果を聞きに来た。

宮野が説明を終えると、藤崎は頭を下げた。

「すみませんでした」

「何が」

「私が、もっと早く気づいていれば」

宮野は、一度黙った。

机の上に広がった七日分の資料を見た。

簿冊が三冊。

コピーの束。

電話のメモ。

照会先の一覧。

それから、顔を上げた。

「違う」

藤崎が、宮野を見た。

「あなたが気づけなかったんじゃない。気づけるように、何も残してなかったんです」

声は、大きくなかった。

「補助金をもらう時だけは、あれだけ書類を作るのに」

宮野は、交付申請書の綴りに手を置いた。

「終わった後、何を守る必要があるかは、次の人に一行も渡さない」

藤崎は何も言わなかった。

「こんなの、困った人が出るたびに、誰かが最初から掘り返すしかないじゃない」

宮野は、そこで言葉を止めた。

隣で聞いていた折原は、反論しなかった。

机の上の資料を見ている。

しばらくして、折原が言った。

「処分の承認が必要かどうかだけじゃないですね」

宮野が折原を見る。

「誰が、どう確認した上で、今の用途に変えたのかを残さないと」

折原は、通知の裏面を指した。

「また同じことになります」

翌週、宮野は藤崎と二人で、処理記録を作った。

一枚にまとめることにした。

補助制度名と、交付年度。

対象となった財産と、単価。

処分制限の対象になったもの、ならなかったもの。

国への確認の結果と、その回答日。

地域活動が自主運営へ移った経緯。

備品ごとの移設、廃棄、継続利用の判断。

そして、次に改修や更新を行う際の確認先。

藤崎が、書きながら聞いた。

「ここまで必要ですか」

宮野は手を止めなかった。

「必要です」

「でも、もう終わった話ですよね」

「次の人に、同じ調査をさせないために」

藤崎は、しばらく画面を見ていた。

それから、確認先の欄に一行加えた。

制度を引き継いだ部署の、直通番号だった。

改修工事は、予定より二週間遅れて始まった。

書架とスクリーンは、公民館へ移された。

糸のこ盤とプロジェクターは、記録を整えた上で処分された。

作業台だけは、特別支援教室でそのまま使えることが分かり、部屋に残った。

工事が終わったのは、年度末に近い頃だった。

宮野が現場を見に行くと、教室には新しい床が張られ、壁際に手すりがついていた。

窓際に、あの作業台が置かれている。

天板に、古い工作の傷が残っていた。

帰り道、折原が言った。

「補助金は、交付決定で終わるわけじゃないんですね」

宮野は、少しだけ笑った。

「使い終わった後の条件まで、引き継いで初めて終わるんでしょうね」

歩きながら、宮野は考えた。

二十年以上前、この補助金を申請した職員がいる。

書類を揃え、要件を確認し、実績を報告した。

その仕事は、間違いなく正しかった。

備品は入り、活動は始まり、地域に根づいて、やがて自主運営へ移った。

事業としては、成功している。

ただ、一つだけ渡されなかったものがあった。

この先、何を守る必要があるのか。

その一行が、どこにもなかった。

宮野は、鞄の中の処理記録を思った。

一枚の紙に、七日分が入っている。

次にこの部屋を改修する誰かが、同じ七日を費やすことだけは、させたくなかった。

それでも、探せば見つかる場所には置いた。

それだけは、自分の意思で決めた。

この話のFM豆知識

FMの教訓:補助金で整備した建物や備品は、使い方を変えたり処分したりするときの条件も引き継ぐ。

◆ 補助金で整備した物を、自由に処分できるとは限らない

補助金で整備した建物や備品は、使い方の変更や売却、廃棄などに、一定期間の制限が付くことがあります。これを「財産処分制限」といいます。対象となる物、期間、必要な承認は補助制度によって異なります。建物と備品を区別し、それぞれの条件を確認します。

◆ 受け取った金額と、後に残る条件を一緒に探せるようにする

会計記録に交付額が残っていても、その備品をいつ、どの手続きで処分できるかは分かりません。選んだ補助制度の名前、交付決定書、交付条件、その後の照会結果を、対象施設や備品から探せるようにします。問い合わせる部署と連絡先も記載します。

◆ 事業が完了しても、続く条件は別に引き継ぐ

工事や支払いが終わっても、処分などの条件が残る場合があります。事業完了時と担当者の異動時に、今後も確認する条件と、その根拠資料を引き継ぎます。後年、施設を改修したり用途を変えたりするときは、計画を固める前にその記録を確認します。

◆ 物語の場面

小学校の空き教室を改修する際、十年以上前に補助金で整備した備品の扱いが問題になります。申請や支出の書類はそろっていますが、処分の対象、期間、承認手続きを示す記録が見つかりません。宮野は、所管部署の組織改編や制度の廃止を調べ、複数の窓口に問い合わせます。処分の可否を確認した後は、後任が同じ調査を繰り返さずに済むよう、調べた経過と結果を残します。

■ 担当者が行うこと

施設・備品ごとに、補助制度名、交付年度、交付条件、処分制限の内容と期間、必要な承認、根拠資料、照会先を記載します。用途変更や解体、備品の処分を計画したら、現在の取扱いを所管窓口に確認してください。回答日、回答部署、確認した内容も引き継ぎます。

参照する主な法令・制度

法令・制度名この話との関係
補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律第22条、同法施行令第13条・第14条、各省庁の関係省令・告示・交付要綱等補助金で整備した物について、処分制限の対象と期間、必要な承認、例外となる条件を確認する法令・制度。
つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら