補助金の謎
教育総務課の棚に、古い補助事業のファイルが一冊置かれていた。
表紙には、
「地域学習活動推進事業 関係書類」
とある。
平成十二年度。
二十五年前の事業だった。
宮野彩乃がそのファイルを引き出したのは、別の仕事のついでだった。
学校の放課後活動に関する新しい補助事業を検討するため、過去に実施した類似事業を確認しようとしただけだ。
ファイルによれば、地域の住民が学校へ出向き、子どもたちへ読み聞かせや工作を教える活動に対し、国から補助を受けていた。
補助対象には、活動で使用する備品や、学校内の一部設備の整備も含まれている。
宮野は、ページをめくる手を止めた。
事業は十年ほど前に、
「地域による自主運営へ移行」
と記録されていた。
だが、移行に伴って、補助金で整備した備品や設備をどのように扱ったのかが書かれていない。
国庫補助を受けて取得した財産には、用途変更、譲渡、廃棄などを制限される場合がある。
制限期間内に本来の目的と異なる使い方をするなら、所管省庁の承認や所定の手続が必要になることもある。
自主運営へ移行したことが、直ちに財産処分へ当たるとは限らない。
市が所有したまま地域団体へ運営だけを任せたのか。
備品も一緒に引き渡したのか。
学校教育以外の用途で使われるようになったのか。
その区別さえ、ファイルからは読み取れなかった。
宮野は電話を取った。
「折原さん。調べてほしいことがあります」
「どのような案件ですか」
「二十五年前の国庫補助事業です。適用された補助制度と、財産処分の条件を確認してください」
「ファイルはありますか」
「あります。交付申請書と、交付決定通知も残っています」
「では、補助制度の名称は確認できそうですね」
「通知を見ても、事業名しか書かれていません。交付要綱や制度の正式名称が、別にあるのかもしれません」
「わかりました。確認します」
電話が切れた。
折原が防災棟へ来たのは、翌日の昼前だった。
数枚の資料を、宮野の机へ置く。
「交付決定通知は残ってました」
「何の補助金でしたか」
「平成十二年度の文部省所管事業です」
「文部省」
「文部科学省へ再編される前です」
宮野は通知を手に取った。
差出人は、確かに文部大臣となっている。
交付決定額。
事業名。
補助対象経費の内訳。
申請時の条件。
必要な情報は一通り書かれているように見える。
「処分制限期間は?」
「この通知には書かれていません」
宮野は、もう一度通知を確認した。
財産処分に関する一般的な注意書きはある。
だが、何を何年間処分できないのかまでは記載されていない。
「交付決定通知には書かれないんですか」
「補助制度によります。交付要綱や、財産処分に関する別の告示で定められている場合があります」
折原は資料を指した。
「問題は、当時の交付要綱がファイルに綴じられていないことです」
「市の規程集には?」
「ありませんでした。国の制度なので、当時の省庁資料を確認する必要があります」
「文部科学省へ問い合わせる」
「はい。ただ……」
折原が珍しく言葉を止めた。
「どこへ問い合わせればいいか、わかりますか」
宮野は答えられなかった。
二十五年前の補助事業である。
当時の担当部署は、組織再編や制度廃止によって存在しない可能性がある。
事業名が似ていても、現在のどの部署が引き継いでいるのかはわからない。
「引継書に、所管部署や照会先は書かれていませんか」
「確認しましたが、ありません」
「当時の市の担当者は?」
「退職しています」
折原は、机の上に資料を並べた。
「交付を受けた事実と金額は残っています」
「でも、どの制度が適用され、どの条件で交付されたのかがわからない」
「はい」
「では、今は何もできない?」
「何もできないわけではありません」
折原は答えた。
「まず、補助対象になった財産を特定します。備品なのか、建物に付属する設備なのか。取得価格はいくらか。現在の所有者と用途はどうなっているか」
「その上で、制度を特定する」
「はい。制度がわかれば、処分制限期間や承認手続、特例の有無を確認できます」
「そこから始めなければならない」
「そういうことです」
宮野は腕を組んだ。
新しい補助事業を調べていたはずが、二十五年前の制度を特定する仕事に変わり始めていた。
宮野は、補助制度に詳しい職員を探して、いくつかの部署へ相談した。
財政課は、市全体の予算管理には詳しい。
だが、各省庁の個別補助制度について、二十五年前の条件までは把握していなかった。
総務課は、国への申請や庁内手続の一般的な流れを知っている。
しかし、個別財産の処分制限は、原課で確認するものだという回答だった。
資産活用課は、市有財産の管理を担当している。
それでも、教育委員会が二十五年前に取得した備品や設備について、補助金との関係を示す記録までは持っていなかった。
最後に相談したのは、管財課だった。
管財課長の長谷巡は、宮野が以前、管財部門で働いていた頃の同僚である。
当時、長谷はまだ若手だった。
資料の説明が足りないたびに、
「それを、誰に説明するつもりですか」
と宮野が問い返した記憶がある。
今では長谷が課長となり、宮野も教育総務課の課長補佐になった。
役職は変わったが、今も遠慮なく話せる相手だった。
「文部省の補助事業か」
宮野の説明を聞き終え、長谷が言った。
「平成十二年なら、俺はまだ小学生だな」
「私も担当者ではありませんでした」
「当時の交付要綱は?」
「ファイルにはありません」
「省庁へ問い合わせるのが確実だろうな。交付年度、事業名、交付決定番号があれば、現在の所管部署を案内してもらえるかもしれない」
「今の制度名と、当時の通知にある事業名が一致するかわかりません」
「二十五年も経てば、制度廃止や統合はあり得る」
長谷は席を立ち、背後の棚から古いファイルを一冊取り出した。
「これが参考になるかもしれない」
宮野は受け取った。
厚いファイルだった。
表紙には、
「国庫補助事業取得財産 処分制限関係整理」
と書かれている。
「これは?」
「前任者が作った庁内整理だ」
長谷は答えた。
「国庫補助を受けて取得した施設や設備について、当時確認した制度や処分制限の考え方をまとめてある」
「正式な基準ですか」
「違う。作成時点の制度を、担当者が整理した参考資料だ」
長谷は念を押した。
「現在も使えるとは限らない。個別案件は、必ず交付要綱や所管省庁へ確認しろ」
「わかりました」
長谷は自席へ戻った。
宮野はファイルを開いた。
補助制度ごとに、取得財産の区分、処分制限、承認手続、照会先などが整理されている。
文部省・文部科学省所管の学校施設関係補助についても、数ページにわたって記載があった。
建物。
建物附属設備。
備品。
それぞれ、耐用年数や制度上の区分によって取扱いが異なる。
一定額未満の備品や、既に処分制限期間を経過した財産については、承認手続の対象外となる場合がある。
公共目的での転用について、国庫納付(補助金相当額の国への返還)を求めない取扱いが認められる場合もある。
ただし、どれも、
「制度および財産の種類により異なるため、個別確認を要する」
と注記されていた。
二十五年前に取得した設備であれば、既に処分制限期間を経過している可能性はある。
取得価格の小さい備品なら、そもそも処分制限の対象になっていない可能性もある。
だが、それは一般的な可能性にすぎない。
今回の補助事業が、どの制度に基づいていたのか。
何を補助対象財産として取得したのか。
それがわからなければ、結論は出せない。
宮野は、ファイルを開いたまま折原へ電話した。
「管財課に、国庫補助事業の処分制限を整理した資料が残っていました」
「残ってましたか」
「長谷課長の前任者が作ったものです。文部省所管の設備補助についても載っています」
「今回の財産に使えそうですか」
「二十五年経過していれば、制限期間を過ぎている可能性はあります。ただし、制度と財産の種類によります」
「やはり、省庁への確認は必要ですね」
「そうです」
宮野は整理表の注記を見た。
「この補助金が、どの交付要綱に基づくものか。補助対象となった財産が何か。それがわからなければ、緩和された取扱いが使えるかどうかも判断できません」
電話の向こうで、折原が少し黙った。
「それが、今回の問題なんですね」
「何がですか」
「制度が二十五年後に変わっていることを想定した引継ぎになっていない」
折原は続けた。
「当時の担当者には、どの部署へ聞けばいいかも、どの要綱を見ればいいかも、わかっていた。でも、その人がいなくなった後に何が必要になるかまでは残していなかった」
「はい」
「補助制度名、交付要綱、補助対象財産、処分制限、当時の照会先。そこまで残っていれば、今頃は確認が終わっていたかもしれません」
「そういうことです」
宮野は電話を切った。
もう一度、整理表へ目を落とす。
今回の補助金に、今もどのような条件が残っているのか。
調べ続ければ、いずれ結論にはたどり着くだろう。
だが、そのためには、二十五年前の制度を特定し、補助対象となった備品や設備を洗い出し、現在の用途と所有関係を確認しなければならない。
新しい補助事業の検討は、その後になる。
もし引継記録に、
「適用された補助制度」
「交付要綱」
「取得した財産」
「処分制限期間」
「用途変更時の照会先」
が書かれていれば、今日中に終わったかもしれない仕事だった。
書類は残っていた。
交付決定通知も、金額も、事業の実施報告もある。
だが、将来その記録を使う人間が、どこから調べ始めればよいのかは残されていなかった。
宮野は、処分制限の整理表を閉じた。
北小の評価係数では、判断した理由が消えていた。
今回は、制度へたどり着く道筋が消えている。
同じ「引継ぎ不足」でも、残すべきものは一つではないらしい。
判断の理由。
判断の前提。
制度の根拠。
照会先。
見直しが必要になる条件。
後任者が必要とする情報は、案件によって違う。
では、何を残せば、二十五年後の担当者が同じところから調べ直さずに済むのか。
宮野には、まだ答えがなかった。
忘れないために
―なぜそう判断したのかを残す物語―
千々岩収への相談を提案したのは、折原だった。
宮野が文部科学省への照会文書を作成した翌日。
六階の廊下を歩いていると、折原に呼び止められた。
「宮野さん。千々岩課長には聞いてみましたか」
「この補助事業について?」
「はい」
折原は手にした資料を抱え直した。
「制度上の経緯ではなく、当時の政治的な背景を知っている人がいるとすれば、千々岩課長だと思います」
「政治的な背景……」
「教育長の判断や、市長部局との調整があった案件なら、正式な文書に残っていない事情を知っているかもしれません」
千々岩へ相談することに、宮野は抵抗を感じていなかった。
ただ、千々岩は、問いへそのまま答えることが少ない。
必ず別の問いを返してくる。
急いでいる時には、そのやり方を面倒に思うこともある。
それでも折原の言うとおり、制度の論理だけでなく、政治や組織の事情で動いた事業なら、千々岩が何か知っている可能性はあった。
「連絡してみます」
千々岩からの返事は、短かった。
「珈琲三番地。夕方」
夕方の珈琲三番地には、低い陽光が差し込んでいた。
昼間とは違う陰影が、古いカウンターや壁に落ちている。
奥の席に、千々岩が座っていた。
今日はコーヒーではなく、煎茶を飲んでいる。
宮野が席へ着くと、千々岩が先に口を開いた。
「地域学習活動推進事業か」
宮野はまだ何も説明していなかった。
「ご存じだったんですか」
「名前だけだ」
千々岩は答えた。
「当時の教育長が力を入れていた事業だった。国の補助を確保してから、市長へ報告するという順番で進めたらしい」
「千々岩課長も関わっていたんですか」
「庶務担当の若手だった。決裁書類を見た程度だ。制度の詳細までは知らん」
千々岩は煎茶を一口飲んだ。
宮野は、現在までに確認した内容を説明した。
補助制度の正式な根拠が特定できていないこと。
財産処分の制限期間がわからないこと。
地域の自主運営へ移行した後、補助対象財産がどう扱われたのか記録がないこと。
現在、文部科学省へ照会する準備を進めていること。
千々岩は、口を挟まずに聞いていた。
「平成十二年当時、地域学習活動を対象にした文部省の補助事業なら」
説明が終わると、千々岩が言った。
「当時の生涯学習関係部局か、初等中等教育関係部局の所管だった可能性が高い」
「現在の文部科学省では、組織が変わっています」
「問い合わせれば、承継した部署へ回されるだろう」
「照会は進めています。問題は、補助対象財産と処分制限です」
「一つ聞く」
千々岩は宮野を見た。
「その補助金で、何を購入した」
「備品一覧は残っています」
宮野は資料を開いた。
「読み聞かせ用の本棚、工作用の道具、視聴覚機器などです」
「視聴覚機器は、今もあるのか」
「二十五年前の機器ですから……」
宮野は考えた。
「おそらく、既に更新か廃棄されていると思います」
「現物は確認したか」
「まだです」
「廃棄した記録は?」
宮野は答えられなかった。
「確認できていません」
「備品台帳には?」
「そこまでは、まだ見ていません」
千々岩は、机上の資料へ目を落とした。
「補助金で購入した備品を廃棄したなら、その時点で処分制限との関係を確認する必要があった可能性がある」
「制限期間内なら、承認が必要になる」
「制度によってはな」
千々岩は断定を避けた。
「期間を過ぎていれば、承認不要だったかもしれない。取得価格や財産の種類によって、そもそも制限の対象外だった可能性もある」
「でも、記録がなければ判断できない」
「そういうことだ」
宮野は黙った。
備品の現物がない。
廃棄記録も見つかっていない。
補助制度も、まだ特定できていない。
処分制限の条件もわからない。
二十五年間の経緯が、途切れている。
「通った理由が残っていない案件は、次に立ち止まった時に揉める」
千々岩が言った。
「以前も話したな」
「はい」
「今回は、その先だ」
「その先?」
「事業が通った後、何を取得し、どう管理し、いつ処分したのか。その履歴が残っていない」
千々岩は続けた。
「補助金を受けた時点の書類だけ保存しても、その後の財産管理とつながっていなければ、記録としては途中で切れている」
「処分制限期間内に廃棄していた場合は?」
「必要な手続をしていなかった可能性はある」
「今から問題になりますか」
「それは所管省庁が判断することだ」
千々岩は答えた。
「二十五年前の案件で、既に財産の耐用年数も過ぎているなら、実務上は経緯を確認して整理する対応になる可能性が高い」
「柔軟に扱ってもらえる?」
「期待で判断するな」
千々岩の声が少し強くなった。
「現状を正直に説明し、必要な対応を確認しろ」
「はい」
「ただし、記録がなければ、こちらから説明できる材料も少ない。所管省庁も判断しにくくなる」
宮野は、煎茶を一口飲んだ。
今日の千々岩は、珍しく問題の全体像を明確に示していた。
制度を特定するだけでは足りない。
補助対象財産の取得から処分までを、一つの履歴として追わなければならない。
省庁への照会は続ける。
残された決算資料や財産関係書類も確認する。
だが、根本的な問題は、それより前にあった。
珈琲三番地を出ると、宮野は折原へ電話した。
「千々岩課長と話しました」
「何かわかりましたか」
「補助対象備品の廃棄記録も調べてください」
「廃棄記録ですか」
「購入した視聴覚機器や工作用備品が、いつ除籍、廃棄されたのか。処分制限との関係を確認するために必要です」
「備品台帳を確認します。ただ……」
折原が少し間を置いた。
「二十五年前の物品関係帳簿は、保存期間が満了している可能性が高いです」
「何年くらいですか」
「帳簿の種類にもよりますが、五年や十年のものが多いです。現物がなくなってから二十五年近く経っているなら、廃棄済みかもしれません」
「では、確認できない?」
「備品台帳がなくても、別の資料に痕跡が残っている可能性はあります」
「例えば?」
「購入時の決算資料です。品目や取得額が載っているかもしれません」
「廃棄については?」
「現在の財産台帳に登録がなければ、既に除籍された可能性はあります。ただし、登録されていなかった可能性もあります」
「除籍年月日までは、わからない」
「記録が残っていれば確認できます」
「お願いします」
「わかりました」
翌日。
折原から連絡があった。
「決算資料に、購入品目と取得額は残っていました」
「廃棄記録は?」
「見つかりませんでした」
「財産台帳は?」
「現在の台帳に、該当する備品はありません」
「それは、廃棄済みということですか」
「断定はできません」
折原は答えた。
「取得時に登録されなかった可能性と、後に除籍された可能性の両方があります。除籍簿や廃棄決裁は、確認できませんでした」
宮野は、ゆっくり息を吐いた。
「省庁への照会は続けます」
「はい」
「それとは別に、この案件で確認した内容を記録として整理したいと思います」
「判断記録ですか」
「判断だけではありません」
宮野は答えた。
「当時の補助制度がわからなかったこと。補助対象財産の取得記録はあったこと。廃棄や除籍の記録は確認できなかったこと。文部科学省へ何を照会したか。今後、何を確認する必要があるか」
「案件履歴として残す?」
「そうです」
宮野は続けた。
「少なくとも、次に誰かがこの事業を調べた時、また交付決定通知から探し直さなくて済むように」
「わかりました」
折原は言った。
「残しておきます」
二週間後。
文部科学省から回答が届いた。
当時の補助事業は、現在の生涯学習政策関係部局へ承継されていた。
回答には、適用されていた補助制度と、補助対象財産の取扱いが示されていた。
財産処分の制限期間は、取得した財産の種類と耐用年数を基準に判断する。
当時購入した視聴覚機器については、一般的な耐用年数を踏まえると、既に処分制限期間を経過している可能性が高い。
また、取得価格が一定額未満の備品は、制度上、処分制限の対象外となるものが含まれていた。
現時点で確認できる資料の範囲では、国庫納付や新たな承認手続を求める案件ではない。
ただし、回答には一つ条件が付されていた。
「本回答は、貴市から提示された取得財産、取得価格および現在の状況に基づくものである。今後、新たな資料が確認された場合には、改めて相談されたい」
宮野は、回答文書を最後まで読んだ。
別紙の連絡文には、担当者からの補足もあった。
「本来、補助対象財産を廃棄または用途変更する時点で、適用制度および財産処分制限との関係を確認する必要があります。今後は、補助制度名、交付要綱、取得財産、制限期間、処分時の照会先を一体的に記録することが望まれます」
宮野は椅子の背にもたれた。
力が抜けた。
結果として、現時点で追加の手続は求められなかった。
だが、それは過去の管理が適切だったと確認されたこととは違う。
当時、廃棄時に必要な確認をしたのかどうかは、最後までわからなかった。
単に、既に制限期間が経過している可能性が高く、今から是正を求める対象ではないと整理されただけだ。
確認には、ほぼ一か月を要した。
引継記録に補助制度と財産処分の条件が残っていれば、一日で終わったかもしれない仕事だった。
隣で回答を読んでいた折原が言った。
「追加対応がなくてよかったです」
「ええ」
「でも、今回は偶然、期間を過ぎていた可能性が高かっただけです」
「そうですね」
「これが十年前の補助事業だったら、違う対応が必要だったかもしれません」
「承認や、国庫納付の検討が必要になった可能性もある」
「はい」
折原は回答文書を見た。
「補助制度が特定できなければ、使える特例も、必要な手続もわからない」
「それが、今回の本当の問題ですね」
宮野は答えた。
二人で、案件記録を整理した。
表題は、
「地域学習活動推進事業に係る補助対象財産確認記録」
とした。
記載したのは、次の内容だった。
適用された補助制度。
交付決定年度と番号。
補助対象となった財産。
確認できた取得価格。
現在の所在。
確認できなかった廃棄・除籍記録。
文部科学省への照会内容。
同省からの回答。
今後、同様の補助事業で記録すべき項目。
A4用紙で三枚になった。
案件ファイルへ綴じる。
電子データにも同じ表題を付け、文書管理システムへ登録した。
宮野は、登録画面を確認してから折原へ言った。
「これで、次の担当者は一か月かけなくて済みます」
「少なくとも、同じ調査を最初から繰り返す必要はありません」
折原は答えた。
「残しました。今度は」
宮野は、折原を見た。
「残ってますよ」
という言葉が、折原にとって何を意味するのか。
少しわかったような気がした。
誰かが、自分のために記録を残してくれた。
そのことへの、静かな感謝。
そして今、自分が残した記録が、いつか別の誰かにとっての、
「残っていた」
になる。
そういうことなのだろう。
数日後。
地域学習活動推進事業の今後について、住民との意見交換会が開かれた。
宮野は、今回確認できた事実を説明した。
過去の備品管理記録に途切れている部分があったこと。
文部科学省へ照会したこと。
現時点では、追加の財産処分手続を求められていないこと。
今後は、補助制度と取得財産の管理記録を一体として残す方針であること。
参加者の中に、二十五年前の事業立ち上げに関わった高齢の男性がいた。
説明を聞き終えると、静かに口を開いた。
「あの頃は、事業を始めることだけで精一杯だった」
宮野は男性を見た。
「はい」
「地域の人に来てもらう。子どもに本を読んでもらう。工作を教えてもらう。それを始めることしか考えていなかった」
男性は少し遠くを見るような目をした。
「二十五年後に、誰かが書類を調べるなんて、想像もしなかった」
「当時は、それが自然だったと思います」
宮野は答えた。
「でも、今こうして調べてくれた」
男性は頭を下げた。
「ありがとう」
宮野も頭を下げた。
十分ではなかったかもしれない。
過去の手続が適切だったかどうかも、完全には確認できなかった。
それでも、途切れていた記録を、現在までつなぐことはできた。
今度は、その続きが途切れないように残した。
補助金の記録は、受け取った事実だけでは足りない。
どの制度に基づくのか。
何を取得したのか。
どの条件が付いているのか。
いつまで制限を受けるのか。
変更や廃棄の時、どこへ確認するのか。
事業が終わった後も、財産の履歴は続いている。
その道筋を残さなければ、制度の意味は時間とともに失われる。
宮野は、説明会の机に置かれた案件記録を見た。
今度は、理由だけではない。
その後に何をしたかも残っている。
この話のFM豆知識
(豆知識は準備中)
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
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