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自治体FM物語急ぐ理由 › 第10話
急ぐ理由 第10話

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一月の下旬、三崎は何もしなかった。

黒瀬の執務室を出てから、二週間が経っていた。

その間、桔梗台高齢者福祉センターの起案は止まっていた。黒瀬が止めたのではない。三崎が、資料を仕上げずに手元に置いていた。

黒瀬は、催促しなかった。

それが、かえって重かった。

翌週、三崎は起案を仕上げた。

黒瀬の案のとおりだった。桔梗台高齢者福祉センターの来年度中の閉鎖。移動支援は福祉部局と協議。

自分でも、なぜそうしたのか、うまく説明できなかった。

黒瀬の理屈が正しいと思ったからではない。

ただ、止めるだけの材料が、自分にはなかった。

決裁の欄に判を押したとき、手は震えなかった。

その週の木曜、桔梗台の福祉センターから電話があった。

施設の職員だった。

「入浴の日程のことなんですが、来年度どうなりますか。利用者さんから聞かれていて」

三崎は、受話器を持ったまま、言葉を探した。

「まだ、決定ではありません」

「でも、閉めるという話は出ているんですよね」

「検討はしています」

「そうですか」

職員は、すぐには続けなかった。

「一つだけ。週二回の入浴の日だけ、外へ出る方がいます。九十二歳です」

「はい」

「その方に、なんて説明したらいいですか」

三崎は、答えられなかった。

「決まったら、こちらからご連絡します」

そう言って、電話を切った。

受話器を置いてから、しばらく動けなかった。

翌日、三崎は黒瀬の執務室に行った。

起案を、取り下げたいと言うつもりだった。

黒瀬は、机で別の資料を見ていた。

「桔梗台か」

「はい」

「回してもらった。助かった」

黒瀬はそう言って、顔を上げた。

「先週、県に事前相談をかけた。要件は満たせる」

三崎は、口を開きかけて、やめた。

黒瀬は、三崎の起案を前提に、もう次の手続きを進めていた。

取り下げれば、それも止まる。

「何かあったか」

「いえ」

三崎はそう答えて、部屋を出た。

自分の席に戻ってから、三崎は、起案を通したことを考えた。

止められなかったから、自分で起案を書いた。書いたから、手続きが進んだ。

先に動いて、後から引き返せなくする。自分は黒瀬に反対しながら、同じ形を選んでいた。

その夜、三崎は課に残った。

大滝野の資料を、もう一度出した。

自分が組んだ二枚。補足資料の束。会議録の一行。

どれも、自分の手で作ったものだった。

黒瀬に指示された。だが、逆らわなかったのも自分だ。

樫村が名簿を持ってきたとき、自分は何も言わなかった。塩谷から電話があったとき、補足を配るべきだと進言することもできた。

しなかった。

三崎は、資料を閉じた。

黒瀬を止めるということは、黒瀬を責めることではない。

この六年で自分がやってきたことを、自分で認めることだった。

それは、黒瀬を責めるより、ずっと難しかった。

二月に入って、三崎はもう一度、桔梗台の起案を確認した。

判は、押されている。手続きは進んでいる。

だが、まだ間に合う。事業債の申請は、年度末までだ。

三崎は、起案の補足欄に、自分の手で書き込んだ。

新拠点稼働までの空白期間について、代替サービスの成立条件が未確認。

それを、決裁の綴りへ綴じ込んだ。

誰かが読むかは、分からなかった。

ただ、書いた。

この話のFM豆知識

FMの教訓:保留する理由、確認する人、回答期限を記し、決裁する人に再判断を求める。

◆ この話で扱う仕事

関係するFMの仕事:統括マネジメントの承認・記録/プロジェクト管理

承認を受けた計画でも、サービスを続けるための準備ができていないと分かることがあります。その場合は、何が未確認か、予定や費用にどう影響するかを報告し、進めるか見直すかの判断を求めます。書類を手元で止めたり、補足を綴じたりしただけでは、保留や変更の承認を受けたことにはなりません。

◆ 保留するときも、次に判断する日を決める

必要なことが確認できないために、いったん手続きを止める場合があります。その際は、何が分かれば進められるか、誰が調べ、いつ報告するかを決めます。期限を設けず書類を置いたままにすると、修繕費や利用への影響が増え続ける場合があります。確認できなかったときの扱いも、決裁する人に相談します。

◆ 自分が報告しなかった情報も確かめる

確認不足は、指示した人だけでなく、資料を作った人にも関わります。自分が集めながら会議に出さなかった資料や、報告に入れなかった意見がないかを見直します。抜けが見つかったら、何が抜けたか、そのため判断が変わる可能性があるかを報告し、必要な追加確認を求めます。

◆ 物語の場面

三崎は桔梗台の起案を二週間止めた後、黒瀬の案で書類を整えます。その過程で、大滝野の補足資料や樫村の記録を自分も表に出していなかったことを振り返ります。起案の補足欄には、新拠点が開くまでの代替サービスを用意できるか未確認だと記し、決裁綴りに残しました。この記録だけで、市が正式に保留を決めたとは読めません。

■ 担当者が行うこと

保留する理由、未確認の事項、調べる人、回答期限、再開を判断する人を文書にしてください。既に決裁を受けた場合は、元の文書を黙って書き換えず、日付と作成者を付けた補足や変更の文書を残します。補足が決裁する人に届いたかを確かめ、再度の確認や決裁が必要かを規程に沿って判断します。

確認する法令・計画・庁内のルールなど

  • 各自治体の決裁規程・文書管理規程:保留、追加確認、計画変更を誰に報告し、どの文書で決裁や記録を行うかを確認します。
つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら