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いちばん近い建物 第12話

残すために、減らした

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一月、本庁舎の引渡しを受けた。

地下一階、地上四階。延床は、着手前のおよそ六割になった。

市内に分かれていた部署が、本庁舎に戻り始めた。仮に借りていた市有施設の使用を、順に終えていく。青葉重工業との平時利用の契約も、まもなく終わる。災害時の協定だけが残る。

竣工の式典は、二月にあった。簡素なものだった。市長の挨拶も短かった。

事業そのものの完了処理は、まだ残っていた。工事費の精算。実績報告。決算。年度末までに片づける仕事がある。

その中で、桜井肇が勇退を申し出た。

長谷は理由を尋ねた。桜井は多くを語らなかった。

ただ、一つだけ言った。

「俺は、二十数年、この問題が決まらないところにいた」

長谷は否定しようとした。桜井のせいではない。当時の状況では、誰も決められなかった。

そう言いかけて、言葉を止めた。桜井が求めているのは慰めではない。

桜井が続けた。

「最後まで決められなかった。それは、俺の仕事だった」

そのうえで言った。

「決められなかったことは、自分で引き受ける。ただ、引き受けたまま次に渡すことはできる」

桜井は長谷を見た。

「あの箱に綴りを入れたのは、そのつもりだった」

内示が出たのは、それから半月ほど後だった。

管財課長。長谷の名前だった。

長谷は、その場では何も言えなかった。係長からの昇任である。順序を一つ飛ばしていた。

夕方、桜井が長谷の席に来た。

「驚いたか」

「驚きました」

「俺も驚いた」

桜井は椅子を引いて座った。

「先に言っておくが、俺が推したんじゃない」

長谷は桜井を見た。

「市長室で後任の話をしたとき、名前を出したのは市長の方だ」

桜井の話は短かった。

後任は誰にするかと聞かれる前に、市長が先に長谷でいく、と言った。桜井が係長ですよと返すと、知っている、と言われた。一つ飛びます、と言っても、同じだった。

「この三年、誰があの事業を回していた。そう言われた」

長谷は黙っていた。

「庁議で決めたのはこっちだ、とも言われたよ。総務も財政もICTも動いた。それは分かっている。ただ、決められる形にして持ってきたのは、あの係長だ、と」

桜井は湯呑みを持っていなかった。手が空いたままだった。

「三年近く、市役所が六つに分かれて動いた。条件がぶつかるたびに、誰かが整理して回していた。全部、係長の職位でやっている」

そこまで言って、桜井は一度、言葉を切った。

「役職が、仕事に追いついていない。市長は、そう言った」

長谷は返す言葉を探したが、出てこなかった。

「私からも同じ名前を出すつもりでした、と言ったよ」

桜井は続けた。

「そうしたら、知っている、だから先に言った、と返された」

桜井は立ち上がった。

「お前の推薦で決まった、という話にはしたくない。そう言われた」

三月末。事業の完了処理が片づいた日、長谷は一人で庁舎を歩いた。

四階建てになった建物。一階の窓口。外から支える補強のフレーム。四階の屋上。隣に建つ防災棟。地下の、空いた文書庫。

長谷は、この五年でしてきたことを整理した。

耐震では、性能をいくつにするかの前に、この庁舎を何に使うのかを決めた。

電源では、容量を決める前に、何を止めてはいけないかを決めた。

面積では、入るかどうかの前に、本当に必要な床はどれかを決めた。

施工では、どう壊すかの前に、何を止めてはいけないかを決めた。

全部、同じ順序だった。

建物の性能を決める前に、何を残す必要があるのかを決める。それだけが、この五年間、一貫していた方法だった。

そして、長谷は、自分がしてこなかったことも数えた。

構造の計算は、宇津木がした。現況図は、石末と乾が作った。屋根を成立させたのも現場である。数字を詰めたのは響矢で、窓口の条件を出したのは藤岡だった。文書の区分は、石末が止めなければ間違えていた。

自分が出した専門分野の答えは、一つもない。

自分がしたのは、それぞれの答えが衝突するところに立って、どの答えも捨てずに、全体として成立する形を作ることだった。

それも、一つの答えだった。

あの綴りに足りなかったのは、それだった。

長谷はロビーに出た。

これまで、学校や市民館や公民館について、残すものを選んできた。どれも、誰かの場所だった。

今回だけは違った。

毎朝、自分が入る建物だった。

残すために、減らす。

今度は、自分たちの場所でそれをやった。

三月三十一日、長谷は管財課の書棚から、あの綴りを取り出した。翌日には辞令が出る。

一九九〇年代末の診断報告書から始まり、途中で止まった検討記録が並んでいる。背表紙には八つの名前があり、一番上に桜井肇、一番下に自分の名前がある。

長谷は、その後ろに、今回の事業の完了資料を一冊にまとめて足した。

診断。比較案。面積の検討。設計の変更。移転の計画。工程の記録。事務的な資料の束である。

その最後の余白に、一行だけ書いた。

残すために、減らした。

制度でも、様式でもない。

次にこの建物に手を入れる人間が、この一行を見つけるかどうかも分からない。三十年後かもしれないし、五十年後かもしれない。そのとき、この綴りが残っているかどうかも分からない。

それでも、長谷は書いた。

綴りを閉じて、書棚に戻した。

その隣に、今回まとめた一冊が並んでいる。

背表紙には「本庁舎 耐震改修」とあった。

この話のFM豆知識

FMの教訓:庁舎を小さくする案は、窓口業務を続けられるか、安全や費用に問題がないかを確かめて選ぶ。

◆ この話で扱う仕事

関係するFMの仕事:FM戦略・計画/評価/改善

改修では、必要な窓口や執務室を決め、工事を進め、使い始めた後の状態を確認します。面積が減ったことに加え、残る建物が安全か、行政サービスを続けられるか、工事費と今後の維持費が予定に収まるかを調べます。結果を、次の修繕計画、予算、施設のデータに反映します。

◆ 必要な広さに直し、残す部分を長く使えるか考える

老朽化した庁舎を直すときは、今と同じ広さを残す必要があるかを調べます。必要な仕事が少ない面積でできるなら、建物を小さくし、残る部分を補強して使う案も考えられます。採用するかは、地震への備え、窓口や執務室の使い方、工事中の移転、将来の修繕費まで比べて決めます。

◆ 職員が使う本庁舎も、必要な広さと費用を調べる

学校や公民館の広さや費用を見直すなら、本庁舎についても、必要な部屋と使い方を調べます。職員が使う場所だからという理由だけで、今の広さを残す判断はできません。災害対応や窓口など、本庁舎に必要な仕事は確保したうえで、共用にする場所、減らす場所、残す理由を説明します。

◆ 物語の場面

改修後の本庁舎は、地下一階・地上四階になり、延床面積は着手前のおよそ六割になります。桜井は、自分が決められなかった仕事を次の担当へ渡したことを語ります。長谷は、耐震診断、比較した案、面積の検討、設計の変更、移転、工事の日程をまとめます。記録に残した言葉は「残すために、減らした」でした。将来の費用や環境への影響がどれだけ減るかは、本文では示されていません。

■ 担当者が行うこと

実際の工事費、完成後の図面、選んだ案と理由、採らなかった案、残した部屋と用途、変更の記録をまとめてください。計画時の目標と、完成後の安全性、使い勝手、面積、費用を比べます。まだ分からない効果は、確認する担当と時期を決めます。次の点検、修繕、設備更新の時期と費用を、数年先までの計画と各年度の計画に記して引き継ぎます。

確認する法令・計画・庁内のルールなど

  • 総務省「公共施設等総合管理計画の策定等に関する指針」:施設の面積を適正にし、長く使い、更新費用を抑えて特定の年度に集中させない計画を考える際に確認します。
  • 各自治体の個別施設計画・庁舎整備方針:本庁舎を今後何年使い、いつ何を直し、どの部屋や業務をどこに置くかを確認します。
つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら