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第2巻 第12話

問いが残っていた

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吉田朔が行政管理課に配属されて、二年が経つ。

入庁した時は、公共施設に関する行政判断が、これほど複雑だとは思っていなかった。

台帳の更新、修繕依頼の処理、関係課との調整、文書の登録。一つひとつの作業は、それほど難しくない。

だが、複数の事情が重なった案件では、何を基準に、どの順番で考えればよいのか分からなくなる。

南部地区複合施設の用途変更も、そういう案件だった。

築二十八年。一階が図書館、二階が集会室になっている。

近年、図書館の利用者は減少していた。集会室には予約が入るが、利用団体の構成は以前と変わっている。周辺では子育て世代が増え、高齢者が減った。

地域の変化に、施設の使われ方が追いついていないように見えた。

関係課から、

「施設の用途変更を検討してほしい」

という依頼が来た。

吉田が依頼を受けてから、一週間が経っていた。

資料は集めた。

過去の利用実績も確認した。

類似案件の判断記録も読んだ。

それでも、何も前に進んでいなかった。

上司の坂口徹主任に相談すると、坂口はモニターを見たまま尋ねた。

「判断記録は当たったか」

「読みました。八件出てきました」

「それで?」

「全部、少しずつ似ていて、少しずつ違いました。どれを参考にすればいいのか分かりませんでした」

坂口が顔を上げた。

「どういう順番で読んだ」

「『用途変更』で検索して、表示された順番です」

「今の案件で、一番困っていることは何だ」

「住民への説明です。なぜ用途変更をするのか聞かれた時に、答えられない気がします」

「なぜ答えられない」

「理由が整理できていないからだと思います」

「なぜ整理できていない」

吉田は、言葉を探した。

「……何を整理すればいいのか、まだ分かっていないからです」

坂口が頷いた。

「記録を読む前に、自分が何を聞きたいのかを決めろ」

「何を聞きたいのか」

「記録は、問いへの答えとして読むものだ。八件読んでも使えなかったのは、記録が悪いからじゃない。お前に問いがなかったからだ」

吉田は自席へ戻り、案件のメモを広げた。

用途変更。

図書館利用者の減少。

利用団体の変化。

人口構成の変化。

関係課からの依頼。

事実は並んでいる。

だが、それらが何を意味するのかは整理できていなかった。

吉田はメモの余白に書いた。

「住民に説明できない」

その下に、理由を書いた。

「用途変更を行う理由が整理できていない」

さらに、その理由を書いた。

「施設に何が不足しているのか、特定できていない」

そこで、手が止まった。

吉田はこれまで、

「この施設を用途変更すべきか」

という問いだけを考えていた。

しかし、その前に確認しなければならないことがある。

利用者が減った原因は、建物が古くなったことなのか。

それとも、施設が提供している機能と、地域が必要としている機能がずれたことなのか。

二つは、似ているようで違う。

老朽化が問題なら、修繕や建て替えが選択肢になる。

機能のずれが問題なら、用途変更や運営方法の見直しが必要になる。

原因を区別しないまま、用途変更という結論だけを先に考えていた。

吉田は、新しい問いを書いた。

「この施設が抱えている問題は、老朽化か、機能のミスマッチか」

問いが決まると、探すべき記録も変わった。

吉田は判断記録の検索画面を開いた。

今度は「用途変更」という単語では探さなかった。

老朽化、機能見直し、利用者減少、地域需要。

複数の条件を組み合わせて検索した。

三件の記録が表示された。

一件目は、老朽化した施設の用途廃止に関するものだった。今回とは違う。

二件目は、利用率が低下した集会所の複合化に関する記録だった。一部は参考になるが、施設の状態が大きく異なる。

三件目を開いた時、吉田の手が止まった。

記録が作成されたのは、十年前だった。

作成者欄には、

「折原悠斗・宮野彩乃」

と記載されていた。

吉田は、二人の名前を知っていた。

判断記録制度の創設と試行に関わった職員だ。現在は別の部署にいる。直接話したことはない。

記録のタイトルは、

「北部地区公民館用途変更案件 判断経緯記録」

だった。

吉田は読み始めた。

「本案件では、当初、利用者減少の原因を施設の老朽化と捉え、改修による利用回復を検討した。しかし、利用者への聞き取りと近隣施設の利用状況調査により、老朽化よりも機能のミスマッチが主因であると判断した」

続きには、当時の地域の変化が書かれていた。

施設が建設された頃は、高齢者の集会や地域団体の会議が主な用途だった。

しかし、その後、地域では若い世帯が増えた。子育て支援や学習スペースへの需要が高まった一方で、従来型の集会室の利用は減少していた。

建物そのものに重大な劣化はなかった。

施設が古いのではなく、機能の構成が地域の変化に取り残されていた。

吉田は、次の箇所を読んだ。

「老朽化への対応として用途変更を説明すると、なぜ修繕ではなく用途変更なのかという反論が生じる。機能のミスマッチへの対応として説明すれば、現在の地域に何が必要かという議論に移る。問題の捉え方が、住民説明の方向を決める」

さらに、最後には申し送りがあった。

「本案件では、調査を始めた時点で老朽化と機能ミスマッチの区別ができていたわけではない。『なぜ利用者が減ったのか』という問いを立てたことで、二つの可能性を区別できた」

「解決策を先に決めて記録を探すと、都合のよい事例だけを選ぶことになる。同種案件では、最初に問題の性質を問うこと。その後で判断記録を参照することを勧める」

吉田は画面から顔を上げた。

十年前の記録が、今の案件にそのまま答えを出したわけではない。

南部地区複合施設と北部地区公民館では、地域も、建物も、利用者も違う。

だが、何を調べるべきかを示していた。

老朽化なのか。

機能のミスマッチなのか。

その区別が判断の核心になること。

そして、その区別は問いを立てなければ見えてこないこと。

もし記録に、

「機能のミスマッチと判断し、用途変更した」

という結論だけが書かれていたら、吉田には使えなかったかもしれない。

なぜそう判断したのか。

どのような調査で区別したのか。

次の担当者に、何を注意してほしいのか。

理由と過程が書かれていたから、自分の案件へ置き換えて考えることができた。

理由が残っていたから、使えた。

吉田は、南部地区複合施設の調査をやり直した。

問いは一つだった。

「この施設が抱えている問題は、老朽化か、機能のミスマッチか」

まず、営繕担当に建物の状態を確認した。

屋上防水や外壁には、築年数に応じた劣化がある。しかし、早急な大規模改修が必要な状態ではない。空調や照明も、計画的な更新を続ければ使用できる。

建物の状態だけでは、利用者減少を説明できなかった。

次に、利用者への聞き取りを行った。

高齢者団体に、利用が減った理由を尋ねた。

「近くに新しい地域センターができた」

「階段があるから、別の施設の方が使いやすい」

「団体そのものの人数が減った」

という回答があった。

図書館の利用者にも尋ねた。

「電子書籍を使うようになった」

「予約した本を駅前の受取窓口で受け取れる」

「子どもが騒ぐと迷惑になるので、長く滞在しにくい」

一方で、

「子どもを連れて行ける場所が近くにない」

「宿題を見ながら親同士が話せる場所がほしい」

「本を借りるだけでなく、滞在できる場所なら利用したい」

という声が複数あった。

近隣施設の機能と利用状況も調べた。

従来の集会機能は、周辺の地域センターで代替できる。

しかし、子育て世代が立ち寄れる場所や、親子が滞在できる学習・交流空間は不足していた。

吉田は、問題の中心を機能のミスマッチと判断した。

建物を新しくするだけでは、利用者は戻らない。

地域が必要としている機能へ組み替える必要がある。

一階の図書館を、閲覧中心の配置から、親子の滞在と学習を重視した構成へ変える。

二階の集会室の一部を、予約なしでも利用できる交流スペースにする。

従来の利用団体の活動場所も確保する。

用途変更の方向が、ようやく見えた。

住民説明会は、三週間後に開かれた。

吉田は、説明の冒頭で言った。

「今回の見直しは、施設が古くなったから行うものではありません」

会場に集まった住民が、資料から顔を上げた。

「建物は、必要な修繕を行えば引き続き使えます。一方で、地域の人口構成と施設の利用目的が、建設当時から変化しています。現在、地域が必要としている機能と、この施設が提供している機能にずれが生じています」

住民の一人が手を挙げた。

「図書館の利用が減ったから、縮小するという話ではないんですか」

「単純に縮小する計画ではありません」

吉田は、聞き取り結果を示した。

「本を借りる人は減っています。しかし、親子で滞在できる場所や、子どもが学習できる場所への需要は増えています。図書館機能をなくすのではなく、地域の使い方に合わせて変える提案です」

別の住民が尋ねた。

「今まで集会室を使っていた団体は、追い出されるんですか」

「従来の活動場所は確保します。ただし、使用時間や部屋の配置については、皆さんと協議する必要があります」

反対意見は出た。

今の図書館を変えないでほしいという声もあった。

予約なしの利用者が増えれば、管理が難しくなるという意見もあった。

それでも、議論は、

「用途変更に賛成か反対か」

だけにはならなかった。

この地域に何が必要か。

従来の機能をどこまで残すか。

新しい利用者と既存の利用者が、どう共存するか。

次に考えるべき論点が共有された。

説明会は二時間で終わった。

全員が納得したわけではない。

だが、次の協議へ進むことについては合意を得た。

帰り道、吉田は十年前の記録を思い出した。

問題の捉え方が、住民説明の方向を決める。

記録に書かれていた通りだった。

説明会の翌日、吉田は判断記録を書いた。

採用した用途変更案。

採用しなかった案。

利用者への聞き取り結果。

関係課との協議内容。

それらを書いた後、吉田は手を止めた。

十年前の記録が自分を助けたのは、結論が書かれていたからではない。

どのような問いを立て、どのように問題を区別したかが書かれていたからだ。

吉田は、判断記録に追記した。

「本案件では、当初、『用途変更を実施すべきか』という問いを前提として調査を開始した。しかし、その問いでは、用途変更を行う理由を整理できなかった」

「このため、『施設が抱えている問題は、老朽化か、機能のミスマッチか』と問いを立て直した。建物調査、利用者への聞き取り、近隣施設との比較を行った結果、主な問題は機能のミスマッチであると判断した」

「この判断により、住民説明を施設縮小の議論ではなく、地域に必要な機能の再構成に関する議論として進めることができた」

最後に、次の担当者への申し送りを書いた。

「同種案件では、解決策を先に選ばず、まず施設が抱える問題の性質を特定すること。判断記録は、問いを持って参照しなければ活用できない。検索結果を先頭から読むのではなく、現在の案件で確認したい問いを定めてから参照することを勧める」

書き終えると、吉田は坂口に声をかけた。

「判断記録を書きました。確認をお願いします」

坂口が画面を読んだ。

「問いを立て直した経緯まで書いたのか」

「はい。折原さんたちの記録に、それが書いてあったので」

「折原さんらしい記録だな」

「今はどちらにいるんですか」

「企画政策課の課長補佐だ。今日は出張している」

「一度、会ってお礼を言おうと思ったんですが」

「何を聞きたい」

吉田は考えた。

判断記録に書かれた内容。

自分が迷った理由。

問いを立て直す方法。

次の担当者への言葉。

知りたかったことは、すでに記録にあった。

「……聞きたいことは、ないかもしれません」

坂口が頷いた。

「本人がいなくても、次の担当者が判断できる。そのための記録だ」

その日の夕方、吉田は文書管理キャビネットの前に立った。

自分が作成した判断記録は、すでに文書管理システムへ登録されている。

十年前の折原と宮野の記録と、同じ分類に収められた。

検索画面には、制度の試行が始まった頃の古い記録も並んでいた。

その中に、判断記録ではないファイルが一つあった。

「行政管理課業務改善担当 事務引継」

作成日は、二十年以上前になっている。

吉田はファイルを開いた。

几帳面な字で、担当業務の概要と、判断に迷った案件が記録されていた。

なぜ、その判断をしたのか。

何を見落としたのか。

次の担当者に、何を伝えたかったのか。

失敗した点と、その理由。

作成者の名前はなかった。

日付と所属だけが記されている。

吉田は、その文書が誰によって書かれたのか知らなかった。

折原より前の職員だろう。

あるいは、折原自身も、この文書を読んだのかもしれない。

確かめる必要はないと思った。

大切なのは、名前ではなかった。

問いと、理由と、次の人への言葉が残っている。

誰かが残した記録を、別の誰かが読んだ。

その人が、さらに次の担当者へ記録を残した。

十年前、その記録を折原たちが書いた。

今日、吉田がその記録を読んだ。

そして、自分の判断を記録した。

十年後、誰かが開くかもしれない。

開かれないかもしれない。

だが、必要になった時に、探すことはできる。

吉田はファイルを閉じた。

六階の照明を消した。

廊下は静かだった。

問いがなければ、記録は棚で眠ったままだ。

問いが決まれば、記録は地図になる。

二十年以上前の誰かが残した理由が、折原を助けた。

十年前に折原が残した問いが、今日の吉田を助けた。

今日、吉田が残した記録も、いつか誰かの問いに出会うかもしれない。

吉田は暗い廊下を歩き始めた。

残ってますよ。

問いを立てた人が、そこへたどり着くまでの理由が。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら