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第1巻 第21話

お客様の終焉

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西部集会所。

築五十二年。

個別施設計画の見直しにより、市直営の集会所としては、翌月末で運営を終了する方針が示されていた。

老朽化が進み、屋根、外壁、給排水設備に修繕が必要となっている。

利用率は五パーセント。

現在の建物を今後も市が全面的に維持するには、利用実態に見合わない費用が必要になる。

データは、閉鎖が妥当だと示していた。

住民説明会。

長谷と石末は、壇上に立っていた。

会場は、怒りに満ちた住民で埋め尽くされている。

「役所は横暴だ!」

前方の男性が声を上げた。

「税金を払っているんだ。行政が責任を持って、この施設を維持するのが当然だろう。私たちは市民だぞ」

別の住民が続いた。

「数字だけで判断するな。ここが私たちにとって、どれほど大切な場所かわかっているのか」

「管財課は、地域を切り捨てるつもりだ!」

怒号が重なる。

長谷は壇上で、マイクを強く握っていた。

頭に浮かんだのは、黒い冊子の最後のページだった。

整然とした道路。

修繕された施設。

財政的には破綻していない街。

だが、そこには誰もいなかった。

――行政が必要だと判断した施設と、住民が必要だと感じる施設は、同じとは限らない。

諫山の言葉が蘇る。

自分たちは、筋の通った判断をした。

データを集め、費用を計算し、代替施設も調べた。

それでも、何かが足りなかった。

長谷は、会場を見渡した。

怒っている人。

悲しそうに俯く人。

既に諦めたような顔をしている人。

森下の顔が重なった。

田中の「仕方がないね」という表情が重なった。

「……少し、聞いてください」

怒号は、すぐには止まらなかった。

長谷は待った。

やがて声が少しずつ弱まり、会場が静かになる。

長谷は深く息を吸った。

「今日まで、私たちは施設の状態と利用実績、維持費を中心に、閉鎖の妥当性を説明してきました」

スクリーンには、まだ何も映さなかった。

「ですが、その説明だけでは足りませんでした」

「何が足りないんだ」

住民の一人が声を上げる。

「この施設が、皆さんの生活の中で何を支えてきたのか。閉鎖されたら、具体的に何が失われるのか」

長谷は答えた。

「それを聞かないまま、閉鎖の方針を先に示しました。順番が逆でした」

会場がざわつく。

「閉鎖が間違いだったと認めるのか」

「現在の建物を、市が従来どおり維持し続けることは難しい。その判断は変わりません」

長谷は、ごまかさずに答えた。

「ただし、建物を閉じることと、ここで行われていた活動や、地域の居場所までなくすことを、同じものとして扱ったのは誤りでした」

前列に座っていた高齢の男性が、長谷を見た。

穏やかな顔つきだが、目には強い光がある。

「では、何を聞きたい」

「この施設で、皆さんは何をしてきましたか」

長谷は尋ねた。

「ここがなくなれば、何に困りますか。近くに別の集会所があるという説明だけでは、代わりにならないものがあるのなら、教えてください」

しばらく、誰も話さなかった。

やがて、高齢の男性が立ち上がった。

「俺は橋本洋一だ。町内会の役員をしている」

橋本は、会場を一度見渡した。

「この集会所では、毎週火曜日に高齢者の健康体操をしている」

長谷は頷いた。

「病院の帰りに、ここへ寄って一息つく人もいる。子どもが雨宿りをすることもある。家に一人でいるのがつらい人が、用事もないのに来ることもある」

「はい」

「それが、あんたたちの利用率に入っているか」

「一部は入っています。ですが、立ち寄るだけの利用や、そこに場所があることで得られる安心までは、十分に表せていません」

「だろうな」

橋本は続けた。

「この場所がなくなれば、すぐに誰かが死ぬわけじゃない。だが、少しずつ外へ出なくなる人間が増える。人と会わなくなる。子どもの姿も見なくなる」

長谷は橋本を見た。

「そうやって地域が弱っていくことを、あんたたちのデータは示しているのか」

「示せていませんでした」

「では、どうする」

橋本が尋ねた。

「謝って終わりか」

「終わりにはしません」

長谷は一歩前へ出た。

「今日、閉鎖方針をその場で撤回することはできません。建物の安全性と、必要な修繕費を確認しなければならないからです」

「結局、閉めるのか」

「市が従来どおり運営する形は終了します」

長谷は続けた。

「ただし、この場所で必要とされている機能を残す方法を、皆さんと検討させてください」

「機能を残す?」

「火曜日の集まり。病院帰りに立ち寄れる場所。雨の日に子どもと親が来られる場所」

長谷は、橋本が語った内容を繰り返した。

「それを別の施設へ移すのか。この建物の安全な部分を限定的に使うのか。別の空き店舗を使うのか。今の段階では、まだ決めません」

会場の住民が顔を見合わせる。

「行政が結論を決めてから説明するのではなく、何を残すべきかを皆さんと先に考えます」

住民の一人が声を上げた。

「また話し合いだけして、結局何もやらないんじゃないか」

「期限を決めます」

長谷は答えた。

「一か月間、利用者と地域住民への聞き取りを行います。建物については、使用できる範囲と必要な安全対策を石末さんたちが調査します」

石末が短く頷いた。

「その結果を踏まえ、閉鎖後の代替案を三案以上示します」

「その中に、この建物を残す案も入るのか」

橋本が尋ねた。

「安全性と費用の条件を満たせるなら、限定利用の案として検討します」

「住民に管理させるつもりか」

別の住民が言った。

「行政の仕事を、ただで押しつけるんじゃないだろうな」

「建物の構造安全や重大な修繕まで、住民へ任せることはありません」

長谷は明確に答えた。

「住民の皆さんに協力をお願いするとすれば、利用時間の調整、鍵の管理、簡単な清掃、異常に気づいたときの連絡などです」

「それでも、ただ働きじゃないか」

「そう感じる方がいることは当然です」

長谷は答えた。

「協力したくない方へ、参加を強制することはありません。まず、何を残したいのかを聞かせてください」

橋本が周囲を見た。

「皆が納得したわけじゃない」

「はい」

「俺も、役所の仕事を住民へ押しつけるだけなら反対だ」

橋本は長谷を見た。

「だが、話を聞くと言うなら、こちらも話はする」

会場から、いくつか不満の声が上がった。

賛成の声はなかった。

それでも、怒号だけだった空気は、わずかに変わっていた。

橋本が席へ戻る前に言った。

「次は、閉鎖の説明じゃなく、残すものの話をしろ」

「はい」

長谷は頭を下げた。

説明会の一週間後。

長谷と石末は、再び西部集会所を訪れた。

橋本が入口で待っている。

「来たか」

「今日は、皆さんの話を聞かせてください」

「何人かに声をかけた。全員じゃない。来ようと思った人間だけだ」

集会室には、十人ほどの住民が集まっていた。

高齢者が多い。

その中に、幼い子どもを連れた女性と、三十代ほどの男性もいた。

長谷は、ホワイトボードの前に立った。

「今日は、市から案を説明するつもりはありません」

住民たちを見る。

「この場所で何をしていたのか。なくなったら、何に困るのか。教えてください」

最初は沈黙が続いた。

やがて、高齢の女性が口を開いた。

「毎週火曜日に、健康体操をしていました」

長谷はホワイトボードに書く。

――健康体操。

「ここでなければ、できませんか」

「絶対にここでなければいけないわけじゃない」

女性は少し考えた。

「でも、ここが一番近いんです。遠いと、歩けない人が来なくなる」

――徒歩圏内。

別の男性が続いた。

「病院の帰りに寄って、お茶を飲んでいました」

「何かの活動に参加していたんですか」

「いや。ただ寄るだけだ」

男性は笑った。

「誰かがいれば話す。いなければ少し休んで帰る。それが楽しみだった」

――用事がなくても立ち寄れる。

子どもを連れた女性も話し始めた。

「雨の日に、子どもを連れて来ていました」

「子育てサークルですか」

「毎回ではありません」

女性は子どもの手を握った。

「家で子どもと二人きりでいるのが苦しくなる時があって。ここへ来れば、誰かがいるから」

――誰かがいる。

三十代の男性が、少し躊躇しながら口を開いた。

「俺は、ほとんど使っていませんでした」

「それでも、今日は来てくださった」

「あると安心していたんです」

「安心?」

「災害とか、何かあった時に、ここへ来れば誰かいると思っていた」

――非常時のよりどころ。

長谷は、ホワイトボードに並んだ言葉を見た。

利用率、五パーセント。

施設白書には、そう記録されている。

だが、この場所の価値は、使用時間や利用人数だけでは表せなかった。

近い。

誰かがいる。

用事がなくても立ち寄れる。

困った時に来られる。

橋本が長谷へ尋ねた。

「行政が必要だと考える施設と、俺たちが必要だと感じる施設は、違うのか」

「違うことがあります」

長谷は答えた。

「行政は、利用人数、維持費、建物の状態、代替施設までの距離などを見ます。それらは必要な情報です」

「だが、それだけでは足りなかった」

「はい」

「では、どうやって一致させる」

「完全に一致させることは難しいと思います」

長谷は正直に答えた。

「ただ、皆さんの話を評価の前に聞き、数字に表れない価値も判断材料へ入れることはできます」

橋本が鼻から息を吐いた。

「最初からそうしていれば、前の説明会は、あそこまで荒れなかった」

「おっしゃるとおりです。順番を間違えました」

「認めるんだな」

「はい」

橋本の表情が少しだけ和らいだ。

「では、これからどうする」

長谷は石末へ目を向けた。

石末が建物調査の資料を広げる。

「建物全体を、今のまま使い続けるのは無理だ」

住民たちの表情が硬くなる。

「屋根と外壁には、大規模な修繕が必要になる。市が直営施設として全面改修する予算は出せない」

石末は平面図の一角を指した。

「ただし、この集会室と玄関周辺は、必要な補修と使用範囲の限定を行えば、一定期間使える可能性がある」

「この部屋だけなら残せるのか」

橋本が尋ねる。

「まだ決定ではない。構造、安全、消防、費用を確認する」

長谷が続けた。

「限定利用が可能なら、市は建物の安全確認と必要な基礎的補修を担います」

「私たちは何をするんですか」

高齢の女性が尋ねた。

「地域で運営することを選ぶ場合は、開ける曜日、利用時間、鍵、清掃、利用者間の調整をお願いすることになります」

「使い方は、私たちが決めていいの?」

「誰でも利用できるという原則と、安全上必要なルールの範囲で、皆さんに決めていただきます」

住民たちが互いの顔を見る。

「私たちにできるのは、鍵を開けるくらいだよ」

誰かが言った。

橋本が答えた。

「最初は、それでいいんじゃないか」

「鍵だけ?」

「誰かが鍵を開けなければ、場所はあっても使えない」

三十代の男性が頷いた。

「清掃当番なら、月に一度くらいできます」

子ども連れの女性も言った。

「子どもが来る曜日が決まっていれば、見守りならできるかもしれません」

長谷は口を挟まなかった。

住民同士の会話が続く。

火曜日の体操は残したい。

病院帰りに立ち寄れる時間が必要。

子どもと高齢者が同時に使える日を作りたい。

夜間利用は必要か。

騒音をどうするか。

掃除は誰がするか。

石末が壁際から言った。

「最初から立派な運営組織を作ろうとするな」

住民たちが石末を見る。

「続けられることだけ決めろ。週に一度でも、鍵一本でもいい」

橋本が、その言葉を繰り返した。

「鍵一本でいい、か」

「小さく始めて、続かなければやり方を変えろ」

「維持費はどうなる」

橋本が尋ねた。

「電気代や水道代まで、俺たちが払うのか」

長谷は答える。

「費用分担は、今後整理します。住民運営だからといって、すべてを地域へ負担させる考えではありません」

「大規模修繕は?」

「市が安全性を確保できない状態になれば、利用は停止します」

長谷は明確に伝えた。

「住民運営を理由に、危険な建物を使い続けることはできません」

「日常の小さな異常は、どうする」

「早く気づけば、大きな修繕になる前に対応できるものがあります」

石末が答えた。

「俺が、見方を教える」

「素人にわかるのか」

「全部はわからん」

石末は言った。

「天井のシミ。ドアの建て付け。床の沈み。排水口の詰まり。いつもと違うことに気づいて、連絡する。それでいい」

「一度、教えてくれるのか」

「一度と言わず、最初のうちは見る」

石末は、少し口をつぐんだ。

「だが、最後は自分たちで気づけるようになれ」

数週間後。

西部集会所では、暫定利用に向けた準備が始まっていた。

市による安全確認と最低限の補修が終わり、使用区域は集会室、玄関、トイレに限定された。

住民が行う作業も、安全性に影響しない範囲に限られている。

壁の塗装。

棚の組み立て。

不要品の整理。

カーテンの交換。

住民たちは、古くなった壁へ新しい塗料を塗っていた。

石末が三十代の男性に、補修材の扱い方を教えている。

「そこは構造体じゃない。表面を整えるだけだ。深いひび割れには触るな」

「これくらいですか」

「力を入れすぎるな。薄く伸ばせ」

石末は長谷の方を見た。

長谷は住民たちに、日常点検の手順を説明している。

天井のシミは、同じ位置から写真を撮る。

ドアは、急に閉まりにくくなっていないか確認する。

排水口の周囲に、落ち葉や泥が溜まっていないかを見る。

長谷の説明は、以前より自然だった。

石末は声をかけようとして、止めた。

――現場技術者としても、悪くない。

そう思う。

だが、長谷に必要なのは、自分と同じ技術職になることではない。

技術者、住民、財政、政治。

その間をつなぐ仕事をする人間だ。

長谷は、住民と一緒に棚を組み立てていた。

子どもを連れた女性も来ている。

幼い子どもが、長谷の手元を興味深そうに見ていた。

「おじさん、何してるの」

「棚を作っています」

「なんで?」

長谷は少し考えた。

「ここへ来たい人が、使いやすくなるようにです」

子どもは、よくわからないという顔で棚を見ていた。

少し離れた場所で、響矢が施設内を見渡している。

長谷へ近づき、声を落とした。

「長谷さん。一つ、気になることがあります」

「何ですか」

「橋本さんたちのグループが、運営準備の中心になっています」

「かなり動いてくれています」

「はい。だからこそです」

響矢は、作業している住民たちを見た。

「火曜日の健康体操の人たちと、病院帰りに立ち寄っていた須藤さんは、まだ運営の話し合いに参加していません」

「このままでは、どうなりますか」

「橋本さんたちが場所の使い方を決める状態が固定される可能性があります」

「特定のグループの場所になる」

「はい」

響矢は続けた。

「誰にでも開かれた場所として残したはずなのに、運営に関わった人だけが使いやすい場所になるかもしれません」

「利用規則を作りますか」

「行政が細かく決めすぎれば、住民主体ではなくなります」

「放置すれば、中心メンバーのものになる」

「そうです」

響矢は少し考えた。

「ただし、まだ実際に問題が起きたわけではありません。私が先回りして心配しすぎている可能性もあります」

「それでも、気づいたことは大事です」

長谷は答えた。

「運営会議に参加していない人からも、定期的に意見を聞く仕組みを考えます」

「誰が運営するかだけではなく、誰が運営から外れているかを見る」

「はい」

響矢は小さく頷いた。

「それなら、少し確認しやすくなります」

集会所の中には、作業音が響いていた。

まだ正式な運営は始まっていない。

補修も、ルール作りも、費用負担の整理も途中だった。

全員が納得したわけでもない。

それでも、ここには人がいる。

行政からサービスを受け取るだけの「お客様」としてではない。

自分たちに必要な場所が何なのかを話し、その一部を引き受ける当事者として。

行政が一方的に施設を用意し、住民が利用する。

その関係を変えることは、簡単ではない。

行政だけが変わっても足りない。

住民へ責任を押しつけてもいけない。

誰が何を担い、何を行政に残すのか。

対話しながら境界を決めなければならない。

そして、住民の変化を行政が命令することはできない。

長谷は、鍵の管理表を作っている橋本を見た。

「最初は、鍵一本でいい」

橋本が受け止めた、その言葉を思い出す。

今は、それで十分だった。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら