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第1巻 第22話

お茶の時間

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西部集会所の暫定利用に向けた改修が始まって、数週間が過ぎた。

作業へ参加している住民は、まだ一部に限られている。

中心となっているのは、橋本と町内会の有志だった。

鍵の管理方法を決める。

清掃当番を組む。

不要な家具を整理する。

壁を塗り直す。

一番動いている人間が、自然に場を引っ張るようになっていた。

それ自体は悪いことではない。

橋本たちは、誰かに命令されたのではなく、この場所を残したいと思って動いている。

だが、長谷には響矢の言葉が引っかかっていた。

――運営に関わった人だけが使いやすい場所になるかもしれません。

長谷が集会所へ入ると、橋本たちは中央のテーブルを囲み、作業の段取りを話していた。

そのとき、須藤が入口に現れた。

七十代。

以前、病院帰りに集会所へ立ち寄っていた男性だ。

須藤は室内を見渡した。

橋本たちの集まるテーブルへ近づこうとしたが、少し迷い、離れた場所にある椅子へ腰を下ろした。

会話には入らない。

長谷が近づいた。

「来てくださったんですね」

「……一度、見ておこうと思ってな」

「作業に参加されますか」

「いや。そういうのは、得意じゃない」

須藤は中央のテーブルを見た。

「皆、昔からの仲間みたいでな。何となく入りにくい」

「ここへ来るのも、久しぶりですか」

「病院の帰りには、よく寄っていた」

須藤は少し笑った。

「何かをするためじゃない。ただ、誰かと話してから家へ帰りたかっただけだ」

同じ頃、響矢が長谷のそばへ来た。

手にしたスマートフォンの画面を見せる。

「長谷さん。SNSに投稿が上がっています」

画面には、西部集会所の取組を批判する文章が表示されていた。

「市が管理責任を放棄し、住民へ無償労働を押しつけている」

「市民協働という名前の経費削減だ」

「一部の町内会役員だけで、勝手に話を進めている」

長谷は画面を見た。

「また炎上ですか」

「前回ほど広がってはいません。ただ、投稿への反応は増えています」

「発信しているのは?」

「最初の説明会で、住民運営に強く反対していた方です」

響矢は、作業する住民たちへ目を向けた。

「ここに来ていない人から見れば、参加者が自分の意思で動いているのか、市に働かされているのか、区別できません」

「参加している人たちは、自分で決めて来ています」

「はい。でも、その過程は外から見えません」

「情報の非対称性、ですか」

「そうです」

長谷は橋本へ声をかけた。

「橋本さん。少し相談があります」

「何だ」

長谷はSNSの投稿を見せた。

橋本は一通り読み、鼻から息を吐いた。

「好きに言わせておけばいい。俺たちは、自分でやりたくてやっている」

「橋本さんたちが、行政に強制されているとは思っていません」

「なら問題ないだろう」

「ここに来ていない人には、そのことが見えていません」

橋本の表情が少し硬くなった。

「では、俺たちが動くのを止めろというのか」

「違います」

長谷は首を振った。

「橋本さんたちだけで進めているように見えない方法を考えたいんです」

「参加しろと言っても、来ない人間は来ない」

「須藤さんが、あちらに座っています」

橋本が振り返った。

一人で座る須藤を見る。

「病院帰りに立ち寄って、誰かと話せる場所が欲しいそうです」

「作業に参加したいわけじゃないのか」

「はい」

橋本はしばらく須藤を見た。

「俺たちは、場所を残すために動いている」

「須藤さんは、残った場所へ立ち寄りたい」

「目的が違うな」

「でも、同じ場所で両方できるかもしれません」

橋本は黙って考えた。

「……俺たちだけで、話を進めすぎたかもしれんな」

その夜。

長谷は掲示板へ書き込んだ。

「市民協働の中心メンバーが、善意で場を動かしている。しかし、作業へ参加しない住民が入りにくくなっている。中心グループだけの場所にしないため、行政が利用規則を作るべきだろうか」

諫山から返信が届いた。

「市民協働の最初の壁だ。

最も動く人間が、情報と決定権を持つ。それ自体は自然だが、放置すれば、その人間のための場になる。

ただし、細かな規則を先に作っても、人は来ない。

まず、異なる人間がその場所へ来る理由を探せ。

作業したい人。

話したい人。

子どもを遊ばせたい人。

それぞれの目的が重なる時間や使い方を作れ。

共通の目的を行政が押しつけるな。既にある目的の重なりを見つけろ」

長谷は、その文章を読み返した。

――目的の重なり。

翌日。

長谷は、集会所の端に座る須藤の隣へ腰を下ろした。

「須藤さん。この場所で、一番したいことは何ですか」

須藤は戸惑った顔をした。

「大げさなことはない」

「何でも構いません」

「病院の帰りに寄って、誰かと話したいだけだ」

「家では、お一人ですか」

「ああ」

須藤は床を見た。

「まっすぐ家へ帰ると、一日誰とも話さないことがある。前は、ここへ寄れば誰かいた」

長谷は、その話を橋本へ伝えた。

橋本は腕を組んだ。

「病院帰りに寄れる場所か。火曜日の健康体操とは別だな」

「違う目的です」

「体操に参加しない人間もいる」

「はい」

橋本は少し考えた。

「なら、体操の後に一時間だけ、誰でも寄れる時間を作るか」

「誰でも寄れる時間?」

「湯を沸かして、お茶を飲む。何もしなくていい。体操に来ない人間も入れる」

「それなら、須藤さんも来られると思います」

「本人に聞いてみろ」

橋本は須藤の方へ歩いていった。

「須藤」

須藤が顔を上げる。

「来週から、火曜日の体操が終わったあとに、お茶を飲む時間を作る」

「俺は体操には出ないぞ」

「出なくていい」

「作業もできない」

「それもしなくていい」

橋本は言った。

「話したいなら来い」

須藤は少し困ったように笑った。

「……邪魔じゃないか」

「邪魔なら、最初から呼ばん」

翌週の火曜日。

健康体操が終わった後も、集会所の扉は開いたままだった。

橋本が湯を沸かし、住民が持ち寄った菓子を机へ並べる。

須藤が入口に立った。

以前よりも迷う時間は短かった。

「来たか。座れ」

橋本が声をかける。

須藤は空いている席へ腰を下ろした。

やがて、子どもを連れた女性が入ってきた。

体操には参加していなかった高齢者も、二人やって来た。

何かの活動をするわけではない。

お茶を飲み、天気や病院の待ち時間について話している。

子どもが室内を歩き回り、高齢者が声をかける。

長谷は、少し離れた場所からその様子を見ていた。

諫山が言った「目的の重なり」とは、こういうことなのかもしれない。

体操を続けたい人。

誰かと話したい人。

子どもを連れて外へ出たい人。

目的は同じではない。

だが、「近くに、誰かがいる場所が欲しい」という部分では重なっている。

お茶の時間が何度か続いた頃、橋本が長谷へ尋ねた。

「この様子を、町内会のSNSに載せてもいいか」

「写っている方全員の同意を取ってください」

「批判への反論として載せたいんだ」

「反論のためだけなら、やめた方がいいと思います」

「なぜだ」

「批判している人を言い負かすための写真にすると、参加者が行政や町内会の宣伝に使われたように見えます」

橋本は少し考えた。

「では、何のために載せる」

「この場所で何が行われているのかを、来ていない人へ知らせるためです」

橋本は参加者へ説明した。

顔を出したくない人は、写真の外へ移った。

了承した人だけが写るようにし、投稿には短い文章を添えた。

「火曜日の午後、体操の後に、誰でも立ち寄れるお茶の時間を始めました。作業や会費は不要です。見るだけでも構いません」

数日後。

響矢が投稿への反応を確認していた。

「長谷さん。少し空気が変わっています」

「批判がなくなりましたか」

「いいえ。『無償労働を美化している』という意見は残っています」

響矢は別の反応を示した。

「ただ、『作業をしなくても参加できるなら行ってみたい』『こういう使い方なら理解できる』という投稿が出ています」

「写真一枚で、変わるものなんですね」

「写真だけではないと思います」

響矢は画面を見た。

「作業を手伝う人だけの場所ではないことが、具体的に伝わったからでしょう」

少し考えてから続ける。

「私は、制度やルールを説明すれば誤解は減ると思っていました」

「違いましたか」

「文章より、そこにいる人の表情の方が、状況を伝えることもあるようです」

「響矢さんにとっては、大きな発見ですね」

「……そうかもしれません」

長谷は、その夜、諫山へ短いメッセージを送った。

「異なる目的が重なる時間を作りました。体操後のお茶の時間です。作業へ参加しなかった人も来るようになりました」

返信は短かった。

「それでいい。続けろ。

ただし、うまくいっている時ほど、中心人物へ権限が集まる。誰が来たかだけでなく、誰が来なくなったかも見ろ」

長谷は画面を閉じた。

お茶の時間が定着し始めても、市民協働に対する批判が消えたわけではなかった。

「行政の責任を住民へ転嫁している」

「高齢者へ鍵や清掃を押しつけている」

「無償で施設を管理させるのはおかしい」

長谷自身にも、同じ不安があった。

住民が自発的に動いている。

それを理由に、行政が本来負うべき責任まで手放していないか。

長谷は再び掲示板へ書き込んだ。

「市民協働が少しずつ動いている。しかし、行政が負うべき責任を住民へ押しつけているように見えないか不安がある。どこまでが行政の責任で、どこからが住民の自主運営なのか、線引きが難しい」

諫山から返信が届いた。

「その不安は消すな。

住民へ丸投げするなら、協働ではない。

行政が負うべきものは残る。

建物の安全。

法令への適合。

専門的な点検。

重大な修繕。

事故時の対応。

住民が選んで担えるのは、日常の利用と運営だ。

鍵。

清掃。

利用調整。

見守り。

異常の早期連絡。

境界を曖昧にするな。住民が主役になることと、行政が責任を放棄することは別だ」

長谷は、その区分を住民にも示す必要があると考えた。

翌週、集会所の利用者と運営準備に参加していない住民も招き、話し合いの場を設けた。

「今日は、市から運営規則を示すために集まっていただいたのではありません」

長谷は参加者を見渡した。

橋本たち町内会の有志。

お茶の時間に来る須藤。

健康体操の参加者。

子どもを連れた保護者。

これまで反対していた住民も、数人参加している。

「この施設で何をしたいのか。何が必要なのか。改めて聞かせてください」

最初は沈黙が続いた。

やがて、若い母親が口を開いた。

「子どもを連れて来ても、誰かと話せる場所が欲しいです」

「今までは、なかったんですか」

「子育て支援の施設はあります。でも予約が必要だったり、少し遠かったりします」

女性は子どもを見た。

「ここなら歩いて来られる。子どもが泣いても、気を遣いすぎずに済む場所になればいいと思います」

高齢の女性が続いた。

「昔は、この集会所の前で盆踊りをしていました」

「また、やりたいですか」

「大きな祭りでなくていいんです。子どもに踊りを教えるくらいでも」

須藤も口を開いた。

「俺は、誰かと話せればいい」

会場に小さな笑いが起きた。

三十代の男性が、少し間を置いてから話した。

「子どもの頃、ここで友達と遊びました。喧嘩もしたし、仲直りもした」

男性は室内を見回した。

「今までほとんど使っていなかった。でも、なくなると聞いて、残ってほしいと思いました」

長谷はホワイトボードへ言葉を書いていく。

――子どもと一緒に来られる。

――誰かと話せる。

――地域の行事を引き継ぐ。

――用事がなくてもいられる。

橋本が言った。

「俺たちだけで使うつもりはなかった」

須藤の方を見る。

「だが、誰も来ないから、動いている人間だけで決めていた。結果として、入りにくくなっていたのかもしれない」

「運営へ参加しない人の意見も、定期的に聞く必要があります」

響矢が言った。

「運営会議に出る人だけで利用ルールを決めると、参加できない人の希望が反映されません」

「では、毎回全員を呼ぶのか」

橋本が尋ねた。

「それでは決まらないぞ」

「すべての決定に全員が参加する必要はありません」

長谷は答えた。

「ただし、月に一度、利用者なら誰でも参加できる話し合いを開く。意見箱も置く。利用時間や費用負担のような重要事項は、事前に知らせる」

「中心メンバーだけで、急に決めないということか」

「はい」

反対していた住民が尋ねた。

「清掃や鍵当番を断ったら、使えないのか」

「使えます」

長谷は明確に答えた。

「運営への協力は任意です。協力しないことを理由に、利用を断ることはできません」

「では、動く人ばかりが損をする」

橋本が苦笑した。

「そう感じることはあるだろうな」

「その問題も、隠さず話し合う必要があります」

長谷は答えた。

「負担が一部の人に偏れば、長く続きません。行政が支援できる範囲も含めて、定期的に見直します」

石末は、壁際で黙って聞いていた。

話し合いの後、三十代の男性が、内装の補修作業を手伝うことになった。

石末は、壁の表面を塗るローラーの使い方を教えている。

「ここは内装の仕上げだけだ。深いひびや、浮いている部分には触るな」

「自分で直してはいけないんですか」

「専門的な修繕は行政がやる」

石末は答えた。

「お前たちにやってもらうのは、壁を塗る、棚を直す、蝶番へ油を差す。その程度だ」

「日常のがたつきなら、自分たちで直せる?」

「安全に関係しない範囲ならな」

石末は男性の手元を見る。

「大事なのは、自分で全部直すことじゃない。小さな変化へ早く気づくことだ」

「天井のシミとか?」

「そうだ。ドアが急に閉まりにくくなった。床が沈む。変な音がする。そういう時は、自分で触らず連絡しろ」

「それだけでも保全になるんですか」

「それが保全の入口だ」

男性は真剣な顔で、ローラーを動かした。

数週間後。

西部集会所では、お茶の時間が毎週開かれるようになっていた。

平均すると、十人ほどが集まる。

子育て中の保護者の集まりも始まった。

盆踊りを復活させるための練習も、小規模ながら始まっている。

すべてが順調なわけではない。

鍵当番の負担をめぐる不満が出た。

子どもの声がうるさいという意見もあった。

橋本たちが決めた利用時間に、別のグループが異議を唱えた。

そのたびに、話し合いが必要になった。

ある日。

響矢が、長谷の隣で集会所の入口を見ていた。

住民たちが次々と入ってくる。

「長谷さん。足音が変わりました」

「どう変わりましたか」

「以前は、橋本さんたちの集団と、それ以外の人が別々に入ってきました」

響矢は室内を見る。

「今日は、須藤さんが橋本さんと話しながら入ってきました。子育ての方も、健康体操の方と同じテーブルに座っています」

「混ざってきた」

「はい」

長谷は少し笑った。

「読み違えてはいませんか」

響矢は一瞬、考えた。

「……今日は、合っていると思います」

「今日は?」

「明日も同じとは限りません」

「それでいいです」

長谷は、諫山へ報告した。

「西部集会所へ、以前来なかった人も来るようになりました。運営の中心メンバーとは違う目的を持つ人たちが、同じ場所を使い始めています」

諫山から返信が届いた。

「それでいい。続けろ」

少し間を置いて、もう一つ届く。

「ただし、集まった人数だけで成功を判断するな。

誰でも入れるか。

負担が偏っていないか。

行政が責任を手放していないか。

中心人物がいなくなっても続くか。

そこまで見ろ」

長谷は返信を読んだ。

「今の感覚を忘れるな」とは書かれていない。

代わりに、次に見るべき問題が並んでいる。

諫山らしいと思った。

長谷は地下資料室へ向かった。

萬代は、いつものように珈琲を飲んでいた。

机の上には、黒い冊子が開かれている。

表紙は、灰色からさらに明るくなっていた。

「萬代さん。数字はどうなっていますか」

「財政に関する指標は、引き続き改善しておる」

「人口流出率は?」

萬代はページを見た。

「悪化の幅が、わずかに小さくなっておる」

「西部集会所の取組が影響したんでしょうか」

「わからん」

萬代は即答した。

「一つの集会所だけで、街全体の人口が動くとは考えにくい」

「では、なぜ」

「ほかの取組も含め、街の変化が少しずつ数字へ表れ始めたのかもしれん。冊子が、お前に何かを考えさせるために動いた可能性もある」

「結局、この冊子が何なのかは、わからないままですね」

「そうじゃな」

萬代は冊子を閉じた。

「だが、来歴がわからなくても、何を示しているかを考えることはできる」

「なぜ俺の前に現れたのかも?」

「それも、わからん」

萬代は穏やかに答えた。

「人間も似たようなものじゃ。なぜ自分がここにいるのか、完全に説明できる者は少ない」

珈琲へ口をつける。

「それより、ここで何をするかの方が大事じゃろう」

長谷は地下資料室を出た。

階段を上がりながら、西部集会所の光景を思い出した。

橋本が湯を沸かしていた。

須藤が、照れながら席へ座った。

子どもが部屋を走り、高齢者が笑っていた。

望ましいFMが何なのか、まだ明確には言えない。

財政を守ること。

建物の安全を守ること。

必要な機能を残すこと。

住民が関わること。

どれか一つだけでは足りない。

完璧な答えは、おそらくない。

それでも今日、西部集会所には人が集まっていた。

少なくとも、その事実は確かだった。

長谷は階段を上り切った。

「明日も、続けよう」

誰に聞かせるでもなく呟いた。

地下資料室の棚には、冊子が置かれている。

表紙は白に近づいていた。

だが、完全な白ではない。

わずかな灰色が、まだ残っていた。

この話のFM豆知識

(豆知識は準備中)

つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら