大瀧市・柚木村
大瀧市は、人口約八万人の中規模市だった。
皆川が訪ねたのは、企画課で公共施設マネジメントを専従で担当している職員だった。
「青葉市さんではなく、湊原市さんの仕組みを参考にされたと伺いました」
皆川は、面談が始まって間もなく、驚きを隠せなかった。
「ええ。湊原市で仕事をされた来島さんの資料を、知り合い経由で見せてもらったんです」
青葉市から湊原市へ。
そして湊原市から、さらに大瀧市へ。
知見は、一世代先ではなく、その先まで伝わっていた。
皆川は、その広がりに静かな感動を覚えた。
「今も専従で担当されているんですか」
「はい。七年になります」
「後継者の育成は進んでいますか」
その問いで、担当者の表情が初めて曇った。
「正直、まだです」
少し苦笑して続けた。
「上司は評価してくれています。『そろそろ異動させてやりたい』とも言われます」
「でも」
「私を外すと、地域が不安がるんです」
担当者は、ためらいながら言葉を続けた。
「私自身も、自分が抜けたら地域に迷惑がかかると思うと、身動きが取れなくて」
皆川は、その言葉に複雑なものを感じた。
この人は、地域との信頼関係を築いた。
しかし、その信頼が強くなりすぎた結果、その関係自体が誰にも引き継げないものになっていた。
成功したからこそ、後継者を育てる機会を失っている。
皆川は、これまでとは違う種類の不安を覚えた。
今、確かに機能している。
だが、それが五年後、十年後も続く保証は、どこにもなかった。
フィールドノート(大瀧市)
翻訳型(湊原市からの孫世代の伝播)。
条件:専従・七年間継続。
選択:地域との信頼関係を築き、自らが中心となって運用を継続。
結果:現在は機能しているが、後継者は育っていない。
「今、機能していること」と「将来も続くこと」は別である。
緑川町との違いは能力ではなく、「手放す」という選択をしたかどうか。
この事例は、前職で自分が経験したことと、初めて明確に重なった。
一方、田丸は、人口三千人に満たない柚木村を訪ねていた。
応対したのは、総務係と施設台帳を兼任している神崎友里だった。
「兼任なので、専門にやっているわけではないんですけど」
そう前置きしながら、神崎は台帳を開いた。
田丸は、いつものように全体を眺めようとしたが、一つの欄に目が止まった。
「この備考欄、全部の項目に『いつ』『誰が』『なぜ』を書いてありますね」
「最初からではありません」
神崎は首を振った。
「前任者が、『理由まで残さないと意味がない』と言って追加したんです」
田丸は、備考欄を一ページずつ見ながら尋ねた。
「読んでいて、どう感じますか」
神崎は、ほとんど考え込むことなく答えた。
「前任者の体温みたいなものを感じます」
田丸は、その表現を書き留めた。
神崎は続けた。
「この村の人たちは、理由をきちんと説明すれば分かってくれる。だから、自信を持って説明できるように残しておくんだ、と書いてあったんです」
少し笑った。
「クレーム対策じゃなくて、住民を信じて書いていたんだなって伝わってきました」
「だから続けられる」
「はい」
神崎は頷いた。
「義務というより、受け取ったバトンみたいな感じです」
田丸は、もう一つ気になっていたことを尋ねた。
「形式があるから続けられるんですか。それとも、なぜ書くのかが伝わっているから続けられるんですか」
神崎は間を置かずに答えた。
「……両方だと思います」
「形式があるから書けるし、理由が分かっているから、続けようと思える。どちらかだけだったら、多分、続かなかったと思います」
田丸は、その答えを丁寧に書き留めた。
これまでで、最も整理された説明だった。
フィールドノート(柚木村・田丸担当)
翻訳型(青葉市由来)。
条件:兼任。
選択:前任者が残した形式と理由を、そのまま引き継いだ。
結果:前任者の退職後も運用が継続している。
舟見市より条件は厳しい兼任体制でありながら続いている。
形式(仕組み)が個人の負担を支え、理由(意味)が続ける動機を支えている。
継続には、その両方が必要なのかもしれない。
夜、宿泊先で合流した二人は、それぞれの一日を報告し合った。
皆川が、大瀧市の不安──「今は機能しているが、後継者がいない」という話を終えると、田丸が柚木村でのやり取りを話し始めた。
「形式があるから書けるのと、理由が分かっているから続けようと思えるのは、別なんじゃないかって聞いてみたんです」
「そしたら、『両方だと思います』って」
皆川は、一瞬言葉を失った。
それは、自分が何度も現場を回り、ようやく区別できるようになった問いだった。
田丸は、その場で自然に問いとして立てていた。
「……田丸さん」
「はい」
「その質問、自分で思いついたの」
「はい」
田丸は少し照れたように笑った。
「形式だけの話だと、何か薄い気がして」
皆川は、しばらく田丸の顔を見つめた。
最初は、自分の調査を隣で見ているだけだった後輩が、いつの間にか、自分と同じ問いを立てるようになっていた。
その変化が、いつ始まったのかは思い出せなかった。
「……ううん、何でもない」
皆川は小さく笑った。
「いい質問だったと思う」
田丸は、嬉しそうに笑った。
皆川はフィールドノートを開きながら、これまでとは違う感慨を覚えていた。
調査は、自分一人のものではなくなり始めていた。
この話のFM豆知識
(豆知識は準備中)
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
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