紙の消える部屋
五月。三階と二階の改修に向けて、書庫と倉庫の整理が本格化した。
二年前の面積の見込みで、書庫の縮小分を織り込んでいる。実際に落とさなければならなかった。
地下一階の文書庫を開けると、想定を超える量が出てきた。
「全部スキャンして、捨てましょう」
乾が言った。
効率的である。面積も減る。検索もできるようになる。
石末が止めた。
「全部は無理だ」
「どうしてですか」
「保存年限が来てないものは捨てられん。年限が過ぎても、原本でなきゃ意味がないものがある。歴史資料に回すものもある」
石末は棚の一角を指した。
「そのへんは、同じもんが何部もある。それは重複だ。基準が違う」
乾が反論した。
「一つずつ判断していたら、工期に間に合いません」
長谷は、仕分けの区分を立てた。
現用。保存期間中。保存期間が満了したもの。原本でなければならないもの。歴史資料の候補。重複資料。
そして、原則を一つ置いた。
電子化と、廃棄の判断を、同じ作業にしない。
スキャンしたから捨てていい、ではない。捨ててよいかどうかは文書の性質で決まる。電子化は、そのあとの保管方法の話である。
この区分に沿って進めると、大量に出てきたものがあった。
念のため取ってあった写しの束。同じ通知が三つの課にそれぞれ保管されていたもの。誰も見返したことのない控え。
作業は進んだ。
六月のある日、長谷は古い図面の束を見つけた。
一九八〇年代の空調改修の完成図である。
余白に、当時の担当者の手書きの書き込みがあった。
なぜこの方式を選んだのか。何と比較したのか。何を諦めたのか。それが、短く記されている。
長谷は手を止めた。
廃棄の対象として扱ってよいのか、判断がつかなかった。保存年限だけの話ではない。歴史資料として残すべきかどうかも、確認が要る。
そして何より、そこに書かれた理由は、他のどこにも残っていなかった。
紙を減らすことと、理由を失うことは、別の問題である。
長谷は、その図面を別の箱に入れた。
七月。文書庫の一角が空いた。
空いた床は、そのまま面積の計画に組み込まれた。四階に戻せる分のキャビネットが、各課へ返っていった。
長谷は、自分たちが今作っている資料のことを考えた。
三層減築を選んだ理由。目標とした性能。一階の補強で何を守ったか。市役所を六つに分けたときに、何を優先したか。
それらは今、決裁の文書として残っている。決裁の文書には、結論が書いてある。
三十年後、誰かがこの建物にまた手を入れるとき、なぜこうなっているのかは読み取れるだろうか。
長谷は、その日の作業記録の末尾に、一行だけ書き足した。
なぜそう決めたかを、書いておく。
この話のFM豆知識
FMの教訓:紙を減らすときも、工法や配置を選んだ理由が後から読めるように残す。
◆ この話で扱う仕事
関係するFMの仕事:統括マネジメントのデータ管理・文書のルール
図面や工事記録は、必要なときに探し出し、最新の内容を確かめられるように保管します。建物名、工事名、図面を直した日、変更した理由を結び付けておきます。データを管理する仕組みを作ることと、公文書を保存するか捨てるかを決めることは別です。廃棄は、自治体の条例や文書管理の規程に従って判断します。
◆ スキャンする判断と、原本を捨てる判断を分ける
紙をスキャンすると書庫を小さくできる場合がありますが、画像ができただけでは、原本を捨ててよいかは決まりません。保存する年数、原本を残す必要、歴史資料としての価値、個人情報の取扱いを文書管理の担当と確認します。電子化した資料も、探せるか、細かい文字が読めるか、将来も開けるかを確かめます。
◆ 採用した案と、他の案を採らなかった理由を残す
後から改修する人には、完成した形とともに、その形を選んだ理由が必要です。例えば、配管の位置を調べるとき、他の経路を使えなかった理由が残っていれば、同じ検討を最初から繰り返さずに済みます。図面の余白や打合せ記録にだけある説明も、どの工事の判断かが分かる形で保管します。
◆ 物語の場面
書庫を小さくするため、乾は紙を全部スキャンして捨てる案を出します。作業中、長谷は一九八〇年代の空調改修図に、当時の担当者が案を比べた理由を見つけます。その理由は、他の資料には残っていませんでした。長谷はその紙を別の箱に分け、自分たちの耐震改修でも、なぜ決めたかを書いておくことにします。
■ 担当者が行うこと
文書管理の担当と、保存期間、原本を残す必要、歴史資料として残すかを確認してください。スキャンの作業と、廃棄の承認を分けます。建物、工事、作成日、図面の版、変更理由、原本の保管場所を記録します。電子データを読む人と更新する人を決め、読める形式とバックアップを確保します。
確認する法令・計画・庁内のルールなど
- 各自治体の文書管理規程・公文書管理条例:保存する期間、廃棄を決める手順、電子化と原本の取扱いを確認します。
- 公文書等の管理に関する法律第34条:地方公共団体には、同法の趣旨に沿う施策を定め、実施するよう努めることが求められます。個々の保存・廃棄は、自分の自治体の条例や規程に即して判断します(巻末資料A)。
- 各自治体の情報セキュリティポリシー:電子データの保存先、閲覧できる人、記録媒体の管理方法を確認します。
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
一般財団法人 建築保全センター