自分の場所
二月。四階の改修が終わり、最初の課が戻ってきた。
庁外から戻った職員たちが、新しくなったフロアに入る。天井は明るく、設備は新しく、床はきれいになっていた。
最初の一週間で、不満が出始めた。
戻ってきた場所は、出ていった場所と同じではなかった。
一人あたりの執務面積が変わっている。書類キャビネットの数が減っている。窓際の席がなくなり、島の組み方が変わった。専用だった会議室が、共用の予約制になっている。応接室が減り、来客対応に順番待ちが出た。
一年半前、各課は自分たちで面積を下げる判断をした。
しかし、それは資料の上の話である。実際に戻ってきた職員の多くは、その判断の場にいなかった。
苦情は、全部、総務課へ行った。庁舎の配置を所管しているのが総務課だからである。
藤岡務が、その矢面に立った。
三月、長谷は藤岡のところへ行った。
藤岡は苦情を長谷に流していなかった。自分のところで止めていた。
「制度としては正しいんですよ」
藤岡は言った。
「私が決裁しました」
そのうえで続けた。
「ただ、窓際の席を失った人が怒っているのは、席そのものじゃない」
「というと」
「二十年、あの席にいた人がいます。その人にとって、あそこは自分がこの組織にいることの証明でした。それを、面積の話で片付けられた。怒っているのは、そこです」
藤岡自身も、七階にあった総務課長の席を失っている。四階の、他の課と並んだ島の端に移っていた。
長谷は、しばらく聞いていた。
以前なら、ここで説明の方法を探したかもしれない。数字を見せて、必要性を示して、納得してもらう方法を。
だが、それでは解けないことは、一年半前に響矢と話したときから分かっていた。
長谷は、直せるものと直せないものを分けることにした。
直せるもの。来客対応の順番待ちは、共用の応接室の予約単位を短くすれば減る。書類キャビネットは、この夏の文書整理が進めば、戻せる分がある。島の向きが悪くて動線が詰まっている場所は、配置を変えれば解消する。
これらは、直す。
直せないもの。二十年座っていた席がなくなったこと。それは、もう戻らない。
「そこは、解けません」
長谷は言った。
藤岡が長谷を見た。
「解けないものを、解けたことにはしない方がいいと思います」
長谷は続けた。
「説明会をやって、納得しましたという記録を作れば、その場は収まります。でも、収まったことにするだけです」
藤岡はしばらく黙っていた。
「そのとおりです」
それから、苦情の一覧を長谷の前に置いた。
「では、直せる方をお願いします。こっちは、私が受けます」
四月。直せるものは、順に直された。
応接室の予約は三十分単位に変わった。動線の悪かった二か所は、島の向きを変えた。
直せないものは、残った。
長谷は、面積の再配分をしなかった。できないからである。
代わりに、新しい配置図を庁内に掲示した。
かつて七階にあった市長室は、四階に移っている。応接と庁議の機能は共用化された。必要な面積は確保されているが、上の階にはない。
偉い部署ほど上の階にある、という一九七〇年代の庁舎の作りが、この改修で消えていた。
長谷は、それを説明して回らなかった。図を貼っただけだった。
数週間が過ぎた。
苦情は完全には収まらなかったが、業務は回り始めた。
藤岡が、四階の廊下で長谷に言った。
「戻ってくる場所はある、と言いましたね」
「言いました」
「ありましたよ。ただ、同じ場所ではありませんでした」
長谷は頷いた。
「同じ場所なら、減らせていません」
藤岡は少し笑った。
その翌週、別の課から窓口カウンターの位置を変えたいという相談が総務課へ入った。
藤岡は、こう答えた。
「それは長谷さんにも入れてください。工程全体に響きます」
この話のFM豆知識
FMの教訓:職員が戻った後も、席、書庫、会議室の使いにくさを聞き、直した結果を確かめる。
◆ この話で扱う仕事
関係するFMの仕事:運営維持/評価/改善
改修した建物を使い始めたら、不具合や要望を集め、計画で決めた条件を満たしているかを確認します。利用者の満足度も確認する項目の一つです。ただし、苦情が少ないだけで安全や仕事のしやすさを判断することはできません。面積、費用、仕事への支障も調べ、使い方を変えるか、建物を直す必要があるかを決めます。
◆ 課長の了解だけで、使う職員全員の了解としない
改修前に各課と相談していても、実際に使う職員全員が話合いに参加したとは限りません。席から書庫までの距離や会議室の予約の取りやすさは、使い始めて分かることもあります。工事が終わる前に、職員が意見を伝える相手と、使い始めた後に確認する日を決めておきます。
◆ すぐ直せることと、設計や計画の見直しが必要なことを分ける
机の向きや会議室の予約方法は、使いながら変えられる場合があります。一方、以前の席への愛着は、配置を変えるだけでは解消できないこともあります。何を変えられるかを説明し、意見を聞き続けます。安全な避難や必要な仕事に支障がある場合は、職員に我慢を求めず、設計や計画を見直します。
◆ 物語の場面
四階に職員が戻ると、席、書庫、会議室、応接室への不満が出ます。長谷は会議室の予約単位や机の配置を直します。それでも、以前の場所を失った思いまで消えたとは考えません。市長室や総務課の位置も変わりました。必要な面積が確保できても、職員が以前と同じ気持ちで使えるとは限らないことが分かります。
■ 担当者が行うこと
使い始めた後に、誰が、いつ、何を確認するかを決めてください。例えば、職員に困っていることを聞き、来庁者が迷う場所、待ち時間、通路の通りにくさ、会議室の予約状況を調べます。指摘ごとに、すぐ対応すること、運用を変えること、工事や上司の判断が必要なことを分けます。担当者、対応日、直した後に確かめる日を記録します。
確認する法令・計画・庁内のルールなど
- 各自治体の庁舎運用ルール・執務環境の基準:共用スペース、会議室、机や書棚の配置を見直す際に確認します。
- 確認の方法:職員や来庁者への聞取り、アンケート、現地確認、予約記録などを使い、改修前の目標と実際の使われ方を比べます。
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら
一般財団法人 建築保全センター