ls0106

いちばん近い建物 第6話

動かせないもの

この話の公開状況
状態

← いちばん近い建物 目次に戻る

一月。施工計画の検討が始まった。

長谷が最初に立てた問いは、どう壊すか、だった。

上から三層を落とす。その間、下の階をどう使うか。工区をどう区切るか。順序をどう組むか。

石末堅は、その資料を一度見て、脇へ置いた。

「順番が違う」

「違いますか」

「壊し方の前に、止められないものを決めろ。それが決まらんと工程は組めん」

長谷は資料を引き戻した。

工事の都合で組んだ工程は、必ずどこかで止まる。止められないものにぶつかったとき、そこから全部を組み直すことになる。

先に決めておくべきなのは、触れない場所の方だった。

乾智也が、一覧を作り始めた。

各課へ照会をかける。工事期間中、止めることのできない業務を挙げてください。

二週間で、返ってきた。

「全部です」

乾が長谷の席に紙束を置いた。

「どこも、止められないと書いてきました」

長谷はめくった。窓口。電話。決裁。システム。会議。相談。受付。確かに、どれも止められない。止めていい業務があるなら、そもそもやっていない。

一覧は膨らむばかりで、このままでは工事ができなかった。

長谷は基準を立て直した。

止められないのは、業務ではない。機能である。

同じ業務でも、場所を変えれば続けられるものと、その場所でなければ成り立たないものがある。市民が来る窓口は、市民が来る場所になければ意味がない。だが、内部の決裁は、机がどこにあっても回る。

問題は、どちらなのかを誰が判断するかだった。

長谷は、自分では決めないことにした。

回線を切ったら何が止まるのか。それはICT部門でなければ分からない。設備を止めたとき、復旧に何時間かかるのか。それは石末の領分である。議会の日程がどこまで動かせるのかは、議会事務局に聞くしかない。窓口を止められない日がいつなのかは、藤岡が知っている。

長谷は、それぞれに問いを一つずつ渡した。

答えの形も指定した。止められない、ではなく、どういう条件なら止められるか。何時間なら耐えられるか。代わりの場所があるならどこか。

乾が聞いた。

「長谷さんは、何を調べるんですか」

長谷は答えた。

「集まったものが、矛盾していないかを見ます」

乾は少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。

二月。答えが戻ってきた。

内部管理の事務、企画、財政、人事。この辺りは、場所を変えても業務が続くと回答があった。机と回線があればいい。

残ったものは、四つに収れんした。

来庁者対応。窓口は市民が来る場所にある必要がある。遠くへ移せば、負担が市民に移るだけだった。

災害対応。ただし、これは既に防災棟にある。一覧には、災害時の代替拠点として青葉重工業と結んだ協定も載っていた。

議会運営。定例会、委員会、議案審査。年間の日程があり、工事側の都合だけで動かせるものではなかった。

基幹行政事務。住民票が出せない日を作ることはできない。

長谷は、二つ目の行をしばらく見ていた。

災害対応は、既に防災棟にある。

災害対策本部も、防災通信も、サーバーも、基幹ネットワークも、平成二十五年に移設されていた。

もし、それが本庁舎の中にあったら、と長谷は考えた。

上層階を落とす工事の間、庁内のシステム全体を止めるか、大がかりな仮設で切り替えるしかない。防災の中枢を工事現場の中に置いたまま、三層を解体することはできない。

その場合、この計画はここで終わっていた。

長谷は、あの綴りのことを思い出した。

防災棟は、本庁舎を諦めた結果だと桜井は言った。決められないまま、いちばん止められない機能だけを先に逃がした建物だ、と。

そのとおりだった。

そして、そのおかげで、九年後の今、本庁舎に手をつけられる。

先送りにした行為が、そのまま、先へ進むための条件になっていた。

長谷は、そのことを誰にも言わなかった。

議場だけは、別の扱いになった。

高い天井の大空間である。吊り天井の対策が、長年の課題として残っていた。

石末が説明した。床から足場を組めば、議場を長期間ふさぐことになる。それが、これまで手をつけられなかった理由でもあった。

「吊足場にする」

石末は言った。

「上から吊れば、下は空く。ふさぐ期間が短くなる」

「工事中に議会は開けますか」

「開けん」

石末は即答した。

「閉会中にまとめてやる。天井を触るなら、照明も音響も空調の吹出しも、中継の設備も一緒だ。何度も足場を組み直すのは無駄になる」

長谷は日程表を出した。定例会の時期を外し、閉会期間に工事を集中させる案を、議会事務局と詰めることになった。

その打合せの帰り、電気設備の話が出た。

乾が図面を見ながら聞いた。

「発電機の容量は、どうやって決めるんですか」

石末は即答した。

「先に、残す回路を決めろ」

停電したときに何を生かすのか。それが決まらなければ、必要な容量は出てこない。全部を生かすつもりで積み上げれば、置ける大きさに収まらなくなる。

「決めてから、決めるんですね」

乾が言うと、石末は頷いた。

長谷は横で聞いていた。

耐震と同じだった。性能をいくつにするかの前に、この建物を何に使うのかを決める。容量をいくつにするかの前に、何を止めてはいけないかを決める。

現況調査では、ほかにも見つかったものがある。

既存不適格の事項がいくつか出てきた。今回の工事に伴って対応が必要になるものと、長期の改修計画へ送るものを、仕分けることになった。上階の一部の材料からは、石綿の含有が確認された。工程に組み込み、調査、範囲の確定、除去、処分という順で処理する。

乾には大ごとに見えたらしい。石末は淡々としていた。

「古い建物を触るなら、先に確認するもんだ。それだけだ」

三月。長谷は、最終版の一覧を机に広げた。

乾が最初に作った紙束は、四つに絞られていた。

来庁者対応。災害対応。議会運営。基幹行政事務。

三か月かけて、ここまで来た。順序としては、間違っていないはずだった。

長谷は、その表をしばらく見ていた。

そして、気づいた。

これは、止められないものの一覧である。

止めずに工事をするということは、この四つを、工事の間もどこかで続けるということだった。

どこで続けるのか。

その一覧が、まだない。

窓口をどこに置くのか。議会をどこで開くのか。工事の間、市役所はどこにあるのか。

誰も、まだ作っていなかった。

長谷は表を閉じた。

順序は、正しかった。壊し方の前に、止められないものを決めた。

ただ、順序が正しいことと、答えが出ることは、別だった。

この話のFM豆知識

FMの教訓:工事の順番を決める前に、止められる業務、止められる時間、代わりの場所を確かめる。

◆ この話で扱う仕事

関係するFMの仕事:プロジェクト管理/運営維持

業務が止まったときの影響を調べ、続ける方法を用意し、訓練や見直しを行う管理活動が「BCM」です。その方針、体制、手順をまとめた計画が「BCP」です。計画した工事では、どの日に何を止め、どこへ移すかを具体的に決めます。災害時のBCPも確認し、工事中に災害が起きた場合の対応と食い違わないようにします。

◆ 「止められない」を、時間と代わりの方法で確かめる

各課に業務を止められるかだけを聞くと、すべて必要だという回答になりがちです。システム担当には、回線を切ると何が止まり、復旧に何時間かかるかを聞きます。窓口担当には、休止できない日と時間、別の場所で受け付けられるかを聞きます。工事の日程を決められる形で回答してもらいます。

◆ 古い建物で追加の調査や工事が必要な場所を確かめる

改修前に、図面と現場の違い、設備の傷み、石綿(アスベスト)を含む建材の有無、現在の法令との関係を確認します。調査、除去、設備の切替えなどに必要な日数を工事の日程に入れます。今回必ず対応する部分と、適法かつ安全に使い続けられるため次の計画で扱える部分は、設計者と所管部署に確認して分けます。

◆ 物語の場面

石末は、長谷に壊し方より先に止められないものを決めるよう伝えます。各担当に確認すると、来庁者対応、災害対応、議会運営、住民票の発行などの基幹行政事務が残りました。災害対応の中枢とサーバーなどは、既に防災棟へ移っていました。この移設が、今回の改修を進められる条件になります。ただし、他の仕事をどこで続けるかは、まだ決まっていません。

■ 担当者が行うこと

業務ごとに、止まった場合の影響、止められる時間、代わりの場所、切替えと復旧の手順、判断する人を書いてください。工事中に使う場所では、作業場所との区切り、避難経路、事故時に使用を止める条件も確かめます。石綿などの調査と必要な対応を日程に入れ、仮移転中の体制で災害時のBCPを実行できるかも確認します。

確認する法令・計画・庁内のルールなど

  • 各自治体の業務継続計画(BCP):災害時の体制を確認し、工事中の仮移転先、担当者、設備の切替え手順でも対応できるかを確かめます。
  • 建築基準法・石綿に関する法令:建てた当時は適法でも、基準の変更により現在の基準に合わない「既存不適格」は、法令違反とは分けて扱います。今回の工事で適用される基準や手続き、石綿の調査・報告・作業の条件を設計者と所管部署に確認します(巻末資料B・C)。
つづく

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・自治体等はすべて架空であり、実在するものとは関係ありません。作中の制度・法令に関する記述は一般的な説明であり、最新情報は関係省庁にご確認ください。詳しい注記はこちら